随想 空即空(連載108)内村鑑三の不敬事件を巡って#ドストエフスキー&清水正ブログ#

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随想 空即空(連載108)内村鑑三の不敬事件を巡って#ドストエフスキー清水正ブログ#

清水正

    鑑三の生涯において諍いごとはたえない。札幌農学校時代においては「イエスを信ずる者たちの契約」署名時の他に、独自の教会設立を図った時に米国メソジスト派宣教師や英国聖公会派宣教師等との確執があった。後に無教会主義を唱えた鑑三だが、この時は旧来の宗派から独立した札幌農学校出身者による独自の教会設立に情熱を傾けている。鑑三は自分の考えに固執し、それを正義と見なす傾向があるから、特別に親しい関係を保った友人たちとの関係は別として、他者とうまくやっていくことができない。

 アメリカから帰国して新潟北越学館に赴任した時にも、すぐに諍いごとを起こしている。まずは、この間の事情を伝える鑑三のD・C・ベル宛(一八八八年六月二十日)の手紙を見ることにしよう。

 

  アメリカに四年間行っていた間に、祖国がひどく変ったことを知りました。この二週間というもの、私はほとんど茫然自失のていでした。かつては自分もその中のひとりだったふう変りな国民の中に入って、たまげてしまったためです。改めて自分の日本流の生活様式に合わせるために、非常な努力をせねばなりませんでした。全くつらい経験でした。かけるイスのない家と、バタつきパンのない食事とは、たえずおじぎをし、お茶をのむことと共に、ヤンキー流の贅沢な生活と簡単な様式になれた者には、どうも感心できません。しかし私どもは、ユダヤ人のごとくになり、ギリシャ人に対してはギリシャ人のごとくにならねばなりません。ナザレの大工たる者は、その中に入って伝導しようとする国民の習慣とはちがった習慣を、いつまでも固執しようとはしません。友人たちは、私の精神がすこしもアメリカ化されていないことを発見して、すっかり驚いています。多年のアメリカ生活で、祖国に対する烈しい愛国心をおおかたなくしてしまっただろう、と皆考えていたからです。しかし、私は、日本人として祖国を出で、日本人として祖国に帰り来ったことを神に感謝します。私はいまだかつて、日本人として生れたことを悔いたことはありません。

  わが国の「一般人」の間に、次第に、まじめな気風が高まりつつある由を耳にして、この上ない喜びを覚えています。私は元来「信者」、すなわち洗礼を受けて教会に加わる人の増加ということには、余り関心をもちませんが、国民道徳が向上し、官吏と商人とが一層誠実に、またまじめになるのを見たいとたえず注意を払っています。わが国は今や漸く、貿易のことにおいても、政治のことにおいても、おもわくや因襲にたよるべきでないこと、また強い確信から生れる道徳的熱誠こそ永遠不抜の進歩の要因たることに気づき始めています。これこそは教会員の数的増加ということよりは、はるかに確かなキリスト教発展のしるしである、と私は考えます。

  今秋から始める仕事はほぼきまりました。某中学校(専門学校と自称しています!)〔新潟北越学館〕の教頭となるのです。これは日本人だけで経営しているのですが、その大部分はクリスチヤンではありません。しかも学校の管理は、あげてこれをクリスチャンの教頭にゆだねたい、というのです。学校は新潟市(ニイガタとよみます)にあります。人口約三万、本州の西岸なる豊沃な越後地方に位し、東京の西北約二百五十マイルにあたります。この種の学校、すなわち政府にもミッションにも頼らず、ただ日本人だけで経営される専門学校は、日本でははじめての試みです。ご承知のとおり、私の主義は、国民的キリスト教ですから、日本に於ける事業で、キリスト教的でもなく、同時に国民的でもないものには、私は何の同情もいだき得ません。シカゴのオルブレクト博士とニューヨークのスカッダー博士とが、創立当初我々を援助されることになっています。しかし完全に独立させることがわたしの素志です。その理由は、外国のミッションの援助は、いかなる形にせよ、同胞の後援と支持をうる上に、実に大きな障害となるからです。秋の学期を二百名以上の学生といっしょに始める予定です。ベルさん、申上げるまでもなく、私はアナタの御加護を今までどおり、いな今まで以上に、必要とします。経済上のことなぞでは私の紙の御手にゆだねておいて頂きたいのですが、しかしアナタの祈祷に見放されたひとりぼっちの人にはしないでください。(206~207)

 

 一八八八年十一月二十五日、ベル宛の手紙には次のように書かれている。

 

  八月の末に新潟にまいり、直ちに仕事に取りかかりました。当地において、私はエルウィン〔エルウィン児童白痴院(精薄児収容所)〕、アマスト〔アマスト大学〕、ハートフォード〔ートフォード神学校〕等で学び得たすべてをひっさげて、専心事に当りうる手ごろの地位を発見しました。学校は昨年創設されたばかりで、みじめな財政状態とあやふやな組織の下に苦しみ来り、今もなお苦しみつづけています。生徒数は百六十人で、すばらしく賢い、鋭い、さとい、理論ずきな者もいます。私は一週五回エレミヤ記を講じていますが、生徒らは夢中になって聞き入り、この涙の預言者において最も崇高な愛国者を発見しつつあります。(もっともかかる愛国者はわが国にもいないわけではありませんが)。キリスト教はか弱い、やさしい人のためのものである、との観念を彼らの心から根だやしにし、また真の英雄的行為と高き愛国的精神とは、イエスの精神にみたされてのみ始めて可能なことを教えようとつとめています。私の目的がここにあるため、この学校はアマストやオベリンとは全くちがった意味でのキリスト教学校です。ゆえに私は余り「宗教的形式」にとらわれません、私は説教せずに、講義します。この意味で、京都の新島君の学校その他とは大いにちがいます。しかし私は、このやり方の結果に、大きな満足を覚えつつあります。生徒らに対し、聖書を持参するよう強いもすすめもしませんが、彼ら――ごく少数の者を除けば皆いわゆる「異教徒」です――の大多数が自発的に聖書を買い求め、私についてノートを取りながら読んでいます。かくて、われわれは普通のミッション・スクールの網にもれた魚を捕えているのだ、と私は信じています。館長は非常に立派なクリスチャンの紳士で、一週に一回ずつ、ローマ書について話してくれます。

  近頃、私は一つの重大な考えをいだくに至りました。それは、日本はまだ収穫の時期に達していない、ということです。私のおそれるところは、日本が今、全キリスト教国の諸教会から霊的黄金郷と目され、他にくらべてきわて僅かな努力で「改宗者を束にして」刈り取りうる、と夢想されていることです。まかねば刈れぬということは、ミネソタの麦畑でも、主の霊魂畑でも同じです。二千五百年にわたって神の霊が日本の上に働きたもうたのは、第十九世紀のキリスト教徒をして一挙に大量に刈り取らせるためであった、という考え方は、かつては私も抱いたものでしたが、これは全然ちがった意味で考え直さねばなりません。まことに西部のあの大草原のように、恵み深き神は種をまく土地を用意しつづけたまいました。しかし神はそこを耕し、そこにまくことを、われらのなすべきこととして残したまいました。まことに、いくらかの自然のままの果実は、既に今日刈り納められるまでに熟しています。しかしミネソタ州のアナタ方が誇りとされるような穀物は、草原からいっそく飛びに刈り取ることはできません。私自身は霊的日本の開拓者たることに満足しています。私の任務は刈ることでも、まくことでもありません。耕すことでさえなく、探りを入れること、すなわちせいぜい、肥えてはいてもすこぶる頑固な土地をくだくことです。「束をたずさえて帰ってくる」たのしい仕事は、これを幾年も幾年も後の兄弟たちに残します。私は自分の事業の結果を、はるかのかなたに、ただ信仰によって望んでいます。キリスト教の家庭にそだち、たえずキリスト教の雰囲気を呼吸しておられるアナタ方クリスチャンには「異教徒」をしていっそく飛びに復活の贖い主を信じさせようとすることが、いかに無謀であるかは、ご想像になることもできますまい。従って、霊魂救済の方法や手段としてアメリカでは適切なものも、そのまま直ちに日本に適用することはできません。宣教師諸君はこの点に関し、大いに研究せねばならぬと堅く信じます。(212~213)

 

 さらに一八九〇年九月二十六日ベル宛の手紙も引いておこう。

 

 一昨年新潟でアメリカ伝導会社の宣教師諸君と接触するに至った結果、楽しかるべかりし四カ月の間、いまだかつて味ったこともないような悲痛な体験のかずかずをなめさせられました。続いて、一家を支える重い責めを負いつつも、これと戦う生計の資も得難い悪戦苦闘の一年がやって来ました。そして今年に入るや、そうそう腸チフスにおかされ、一と月というもの意識をうばわれ、骨と皮ばかりにやせ衰え、冥府の入口までつれ行かれ、五カ月以上も何等まとまった仕事に従事し得ず、再び建てなおすには数年を要するほどの破壊状態に追い込まれました。最近ようやく元の自分を取戻しましたが、まだ意力も体力も旧に復していません。(中略)宣教師の中には、私のことを、アメリカでユニテリヤンになったのだ、と非難する者があります。しかし私ほどイエスを崇め、また讃えるユニテリアン信者なる者が、いるでしょうか。聖書の解釈方法や同胞教化の手段においては、私はいわゆる正統派の信者とは違うでしょう。しかしもし、ナザレのイエスに対する心からなる崇拝ということならば、自分の信ずるところに固く立つことにおいて、私はどんな熱心な宣教師にもおくれをとる者でないと確信しています。日本は日本独自の型のキリスト教会を持つに至る時が近づきつつあると信じます。日本は清教徒的信仰の精髄をば、日本の守護山なる富士山のようなすっきりした衣と、日本の国花なる桜花のように美わしい衣とをもって、つつむでしょう。ニュー・イングランドの組合教会主義も、監督教会主義のあらゆる特質も、かかる方面のことには簡素の美を理想とするこの国民にとっては、いずれも、余りにも間の抜けた、馬鹿気たものでしかありません。(216)

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