山下聖美  日露文化交流としての「清水正・ドストエフスキー論執筆 50 周年」記念イベント 連載1

動画「清水正チャンネル」

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc

 

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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

 

 

ドストエフスキー曼陀羅」9号刊行

特集 「清水正ドストエフスキー論執筆50周年」記念イベントを振り返る

2019年12月24日に納品。執筆者に手渡しする。

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清水正  小沼文彦  江川卓日大芸術学部文芸学科清水正研究室に於いて 1986年11月14日」)

今回は山下聖美さんの原稿を何回かにわたって紹介する。

日露文化交流としての「清水正ドストエフスキー論執筆 50 周年」記念イベント 連載1

ソコロワ山下聖美


  二〇一八年十一月、清水正先生とドストエフスキーをめぐ るいくつかのイベントが日本とロシアの両国で開催された。 日本大学芸術資料館で開催された「ドストエフスキー曼陀羅」 展、「清水正ドストエフスキー論執筆 50 周年   清水正先生 大勤労感謝祭」、第 43 回国際ドストエフスキー研究集会の期 間中にロシア・サンクトペテルブルクドストエフスキー文 学記念博物館で開催された「想像を超える現象としてのドス トエフスキー」展(在サンクトペテルブルク日本総領事館主宰「第15 回サンクトペテルブルク日本の秋フェスティバル」関連事業)だ。 これらのイベントの企画から準備に至るまでの道筋を、ここ では記していきたい。

はじまり


  定年を迎えられる清水先生の区切りとして何かを行うこと は、数年前からの教え子たちや弟子筋の課題であった。ホテ ルで豪華なパーティー?   または文芸ラウンジで学生たちに 囲まれて和やかなパーティー?   まだ授業ももたれるし、あ まりに大げさに行うこともはばかられるし……   いろいろな 案を検討したが、「中身の充実、区切りとさらなる発展」と いうことに焦点を合わせることにした。
  具体的に動き出したのは二〇一七年の春くらいであっただ ろうか。
  まずは、芸術資料館にて清水先生とドストエフスキーの展 示を行うことを企画した。清水先生が授業「雑誌研究」において長年作り続けている雑誌の名前からとり、「ドストエフ スキー曼陀羅」展と命名した。展示開催中に特別企画として 「清水正ドストエフスキー論執筆 50 周年   清水正先生大勤 労感謝祭」を開催することも予定した。重要なのは、清水先 生の功績を国内のみではなく、本場ロシア・サンクトペテル ブルクへと飛翔させることである。そのためにはロシア・サ ンクトペテルクのドストエフスキー文学記念博物館の協力を 得ることが必要であった。
  たまたま私の夫であるアンドレイ・ソコロフ氏がこの博物 館の学芸員マリナ・ウワロワ氏と、大学の同級生であったこ とが幸いし、話はスムースに進んでいった。二〇一八年九月 に館長ナタリア・アシンバエヴァ氏に直接依頼をし、全面的 な協力を快諾していただいた。さらに、五十年間もドストエ フスキーについて執筆し続け、『ドストエフスキー論全集』 全十巻を世に出した清水先生に対して、驚きと賛辞の意を表 して頂き、二〇一八年十一月に行われる   第 43 回国際ドスト エフスキー研究集会に是非、参加して欲しいと依頼されたの であった。
  しかし、清水先生はここ数年神経痛に苦しんでおられ、長 時間のフライトに耐えられないという。そこで、私が代理に 参加し、清水先生の仕事について発表するのと同時に、『ド ストエフスキー論全集』全十巻の展示を、ドストエフスキー 文学記念博物館にて行う運びとなったのである。
  日本とロシアをまたに掛けた、清水先生とドストエフスキーのイベントはこうして企画され、約一年にわたる綿密な 準備の後、開催されたのであった。
  後に館長は、展示の挨拶文で次のように述べ、日露文化交 流の一端としてこれらの企画を位置付けた。


  このたびは、日本大学芸術学部芸術資料館にて、「ドス トエフスキー曼陀羅」展が開催されますことを、 ロシア・ サンクトペテルブルクの地より、お祝い申し上げます。
  また、日本大学芸術学部文芸学科において、長い間、 ドストエフスキーについて個性的で創造的な教育を行って きた清水正教授が、本年、ドストエフスキーについて批評 をされ続けて五十周年にあたることに対し、お祝いと、心 よりの敬意を表します。
  サンクトペテルブルクにあるドストエフスキー文学記念 博物館は、一八七八年から一八八一年までドストエフス キーが居住し、「カラマーゾフの兄弟」を執筆した記念す べき家に設立されています。世界各地から研究者やファン が訪れ、ドストエフスキー文学の聖地として知られていま す。
   今回の展示では、当館が所蔵する資料が紹介されます。 ドストエフスキー、そして彼が生活し、文学を創り上げ た、十九世紀サンクトペテルブルクの様子が、二十一世紀 の日本においてあざやかに再現されるはずです。
  一方で、十一月九日から十三日まで、当館で開催される第 43 回国際ドストエフスキー研究集会において「想像を超 える現象としてのドストエフスキー」と名付け、清水正教 授の「ドストエフスキー論」全十冊を展示致します。
  日本大学芸術学部ドストエフスキー文学記念博物館と のこうした交流が、日本とロシアの文化交流 の一端とな ることを心より願っております。(「ドストエフスキー曼陀羅」 展パネル「挨拶」より)

 

下記の写真は「清水正ドストエフスキー論執筆50周年」について報告する山下聖美教授。画面右はナタリア・アシンバエヴァ館長。左は通訳を担当したエカテリーナ・エフセエワ氏。2018年11月9日・ペテルブルクのドストエフスキー文学記念博物館に於いて。

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ドストエフスキー曼陀羅」展


  二〇一八年十一月十三日から三十日まで、日本大学芸術学 部芸術資料館で開催された「ドストエフスキー曼陀羅」展の 展示は大きく二つのテーマに分かれている。一つは、ドスト エフスキー「罪と罰」の舞台となる十九世紀サンクトペテル ブルクの紹介、二つは、清水先生の五十年にわたる仕事内容 の紹介だ。
  一つ目に関しては、まずは現在のサンクトペテルブルクの 写真をところ狭しと並べた。十七世紀にピョートル大帝によ りつくられたヨーロッパを代表する古都の一つであるサンク トペテルブルク。ある人はここを「美しく、切ない街」と呼 んだ。この麗しい街並みを多くの人に見てもらいたかったの で、滞在時に写真を撮りまくったものだ。大判印刷、パネル の作成には研究事務課の五十嵐智一さんやゼミの学生に多くの協力を得た。
  また、サンクトペテルブルクに滞在するたびに骨董市に 赴き、十九世紀の日用品を収集してまわった成果は「ソー ニャの部屋」をイメージした庶民の住居の再現として華開い た。この展示には相当の労力と金銭を費やしたと自負してい る。展示のために、現地の歴史博物館に何度も足を運び当時 の雰囲気の再現につとめた。また、時代考証や細かな検証は ロシア科学アカデミーピョートル大帝記念民族学人類学博物 館研究員であるアンドレイ・ソコロフ氏にお世話になった。 ソコロフ氏には、あの大きなサモワールをペテルブルクから 背負ってきていただいたものだ。部屋の椅子に配置されるロ シア風のかわいいクッションは卒業生の中原美穏子さんの手 作りだ。彼女には、卒業生をとりまとめる役割を果たしても らった。
  ドストエフスキー文学記念博物館から借りた「罪と罰」の 挿し絵の展示も大変貴重なものであった。作品内容が理解で きるように、数々の挿絵をストーリー展開にそって展示する 一方で、舞台となった場所の現在の写真もちりばめた。ま た、目玉として、展示室の奥の壁一面に、センナヤ広場が一 望できる挿し絵を張り出した。まるで十九世紀のドストエフ スキーの世界に入ったかのような錯覚に陥るような迫力であ る。ちなみに、この巨大印刷が納品されたときに、いったい どうやって貼るんだ、という大問題に直面した。その際に、 大学院生の石嶺くんがその地頭の良さと力技で壁にはりつけ、私たちをうならせたものであった。
  うならせたと言えば、部屋全体の半分を占める清水先生の 仕事についての展示を担当した当時の助手・高橋由衣さんの 仕事ぶりだ。大学院生の伊藤景さんのサポートのもと、長い 時間をかけ、御本人さえもが全貌をつかみかねる膨大な量に わたる清水先生の著作リストと年譜を作成して頂いた。この 仕事は、現在、校正者として活躍する高橋さんの偉業であ る。また彼女の偉業は、展示のカタログ雑誌「ドストエフス キー曼陀羅」の編集においても成し遂げられている。多くの 著者たちとのコンタクトと校正作業は誰もが舌をまくもので あった。
  それにしても清水先生の著作の展示は、圧巻であった。誰 もがここで、ドストエフスキーに出会い、〈書く〉という仕 事に全うした一人の人間の人生を目の当たりにしたことであ ろう。〈文芸〉とはこういうことだ、とやかく言わずにとに かく書け!   と突きつけられているような感じでもあった。 一方で、清水先生が所有する日本における初期のドストエフ スキー翻訳本や関連本の展示も行った。ドストエフスキー研 究史において大変貴重なものである。こうした翻訳史、研究 史の最先端に、清水正という批評家がいるのである。私は 「清水正と日本におけるドストエフスキー受容」と題して、 次のような内容のパネルを作成している。