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左の『ドストエフスキー体験』はわたしが二十歳の時に刊行した処女本である。表紙絵はわたしが描いた。あれからあっという間に57年が経った。今もドストエフスキー論を書いている。ドストエフスキー文学の偉大さぐらいは理解しなければならない。世界各国の指導者たちのいったい何人がドストエフスキー文学に触れているのだろうか。
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ドストエフスキーをめぐる対談 4
日大芸術学部大学院の紀要「藝文攷」に連載したものを再録連載する。
(連載44)
ロープシンの『蒼ざめた馬』を読む
──ドストエフスキー文学との関連において──
清水正
ワーニャとロジオン
――《神の体現者》である国民を巡って――
ワーニャは言う「ぼくは信じている。わが国の民衆は神の民であり、彼らのうちには愛があり、キリストは彼らとともにあると。ぼくらの言葉ーーそれは、主よ来たれ! という復活の言葉だ」。この熱狂的な信仰の言葉が発せられた直後に「……ぼくらは信仰うすく、子供のように弱い、だから剣をとるのだ。力があるからではなく、恐怖と弱さのためだ」と続く。ワーニャの信仰は不断に揺らいで、今をキリストと共に歩むことができない。〈信仰〉は〈恐怖〉と〈弱さ〉を克服できず、〈愛〉の代わりに〈剣〉を握ってしまう。これは自己弁解、自己正当化であって、神と共に歩む者の言葉ではない。神に逆らい、神から逃亡しているにもかかわらず、神と共にある事を願う天の邪鬼の言葉である。自分の信仰のうすさを、恐怖と弱さで弁解し、しかもその地点にとどまる卑怯を自らの苦悩で精算しようする二重の卑怯にまみれている。
ワーニャは自分たちとは違った〈清純な人びと〉がやってくる〈あす〉に期待をつなげている。「彼らは剣を必要としない。なぜなら、彼らは強いのだから。彼らがやってくるよりもまえに、ぼくらは死ぬだろう。子供たちのそのまた孫たちは、神を愛し、神のうちに生き、キリストを讃えるだろう。新しい世界が彼らにひらけ、ぼくらが見ることのできないものを、彼らはそこに見いだすだろう」――いったいワーニャは本気で〈新しい世界〉の到来を信じていたのだろうか。〈剣〉を持たずにはおれなかった弱い人間の後に、〈剣を必要としない〉で神を愛する事のできる人間が現れるのであろうか。これはひ弱い人間の頭脳が描いた現実離れした空想ではないのか。ワーニャがもしその新しい世界の到来を本気で望むのなら、今すぐに剣を捨てて彼自らが神を愛し、神のうちに生きるほかはない。 未来の強い人間に期待すること自体が間違っている。剣を捨てることができないのであるなら、ジョージの言う通り「そんなことはみな言葉にすぎぬ」のである。
ワーニャは依然として〈言葉〉の世界に生きている。が、ジョージは言葉ではなく、行動に生きている。ドストエフスキーの地下男は毒念を込めて「バカばかりが行動できるのだ」と言った。まさにジョージは地下男の言う〈バカ〉であり、正真正銘の〈バカ〉である。このテロリストのバカはドストエフスキーの作品を読んだうえで〈行動家〉になっているだけに最強のバカと言える。ジョージは、地下男の饒舌など一発の銃弾で沈黙させてしまうことができるのである。
ワーニャは言う「こう思うんだ、鎖は断ちきれない。ぼくには出口がない、逃げ道がないと。殺人にくわわっているのに福音を信じ、キリストに祈っている。ぼくは苦しい、苦しいのだ……」(51)
ーーДа вот,слушай:цепь неразрывная.Нет мне выхода,нет исхода.Иду убивать,а сам в Слово верю,поклоняюсь Христу.Больно мне,больно…(30)
ロジオンは苦しんでいる。まるで万人の罪を背負って十字架にかけられたイエスのように苦しんでいる。ロジオンはソーニャにひれ伏して言う「ぼくはきみにひざまずいたんじゃない。人類のすべての苦悩の前にひざまずいたんだ」(中・275)「Я не тебе покленился,я всему страданию человеческому поклонился,」(ア・246)
このロジオンの言葉をどう解したらいいのだろうか。ロジオンは人類の〈すべての苦悩〉の前にひざまずいているのだと言う。ロジオンはこのとき、自分が斧でたたき殺してしまった二人の女性のことをどう思っていたのであろう。
かつてわたしはロジオンのこの言葉に深く共鳴したものだ。が、今のわたしは共鳴することはできない。ロジオンよ、人類のすべての苦悩の前にひざまずく前に、自分が殺した二人の女の〈苦悩〉の前にひれふすのが先だろう、と思う。なぜロジオンにはそれができないのだろうか。
ロジオンは、今、自分の前にいる、一家の犠牲となって黄色い鑑札で暮らしをたてている、ひとりの貧しく虚弱な娘の苦悩の前にひざまずくことができないのか。否、ロジオンは確かにソーニャの前にひれ伏した。ならば、その事実を素直に認めるべきで、「ぼくはきみにひざまずいたんじゃない」などと小癪なセリフを吐くべきではないのだ。
ロジオンは自分を〈卑劣漢〉(подлец)と見なしているが、その卑劣の実相を具体的にイメージすることきわめて少なかった犯罪者である。『おれは二人の女を殺しておきながら、人類のすべての苦悩の前にひざまずいているなどというセリフを口にしている。なんてこった、こんなくだらない、卑怯者がいるだろうか』ーーロジオンがきれいごとを口にする場合は、自分の卑劣を意識の奥底に隠し込んで、意識の表層に浮上させることはない。ロジオンはソーニャに冤罪事件を仕掛けたその卑劣を告発し弾劾する資格はない。しかし、ロジオンはレベジャートニコフの証言によって、ルージンの仕掛けが誰の目にも明らかになった時点で、ルージンを厳しく追いつめるのだ。ロジオンが、ルージンを激しく責めるそのとき、彼の意識に自らの〈犯罪〉が浮上することはない。
ロジオンは他人の卑劣は堂々と非難できても、自らの〈犯罪〉を告発し断罪することはできない。ここにロジオンの二重の卑劣がある。ロジオンは自分の〈犯罪〉は正当化するが、ルージンの犯罪に対しては容赦なく断罪する青年なのである。
ワーニャはその意味ではロジオンのもつ卑劣はない。ワーニャは「殺人にくわわっているのに福音を信じ、キリストに祈っている」その矛盾を自分にも他者の前にも容赦なく晒し、いたく苦しんでいる。ワーニャの言う「ぼくは苦しい、苦しいのだ…」(Больно мне,больно…)の〈苦しい〉は観念上の苦しみではなく生理的次元での痛みを伴った苦しみなのである。
もう一度引こう。ワーニャは言う。
「ぼくは信じている。わが国の民衆は神の民であり、彼らのうちには愛があり、キリストは彼らとともにあると」(50)「Верю:наш народ,народ Божий,в нем любовь,с ним Христос.」(29)
シャートフはニコライ・スタヴローギン相手に次のように言う。
「ご存じですか、いまこの地上で、新しい神の名において世界を一新し、救うべき使命をもつ唯一の国民、生命と新しい言葉の鍵を与えられている唯一《神の体得者》である国民は誰であるのか……その国民がだれで、その名は何であるか、ご存じですか?」(上・387~388)「знаете ли вы,кто теперь на всей земле единственный народ-《богоносец》,грядущий обновить и спасти мир именем нового бога и кому единому даны ключи жизни и нового слова…Знаете ли выы,кто этот народ и как эму имя?」(ア196)
「《神の体得者》である唯一の国民ーーそれはロシア国民です」(上・396)「Единый народ-《богоносец》ーーэто русский народ,」(ア200)
ワーニャがシャートフの思想(かつてニコライ・スタヴローギンが抱いていた思想)を受け継いだ人物であることは明白である。さらにワーニャはシャートフの揺らぎも受け継いでいる。シャートフの揺らぎが最も端的に出ている場面を見ておこう。次に引用するのはニコライ・スタヴローギンがシャートフに向かって「ぼくはただ、きみ自身が神を信じているのかどうか知りたいだけなんです」と迫った直後の二人のやりとりである。
「ぼくはロシアを信じてます、その正教を信じてます……ぼくはキリストの肉体を信じてます……ぼくは新しい降臨がロシアで行われると信じてます……ぼくは信じてます……」シャートフは興奮に舌をもつらせた。
「で、神は? 神は?」
「ぼくは……ぼくは神を信ずることになるでしょう」
スタヴローギンの顔では筋肉一本びくりともしなかった。シャートフは、自分の眼差しで相手を焼きつくそうとでもするように、燃えるような、挑むような目で相手を見つめた。(上・397)
ーЯ верую в Россию,я верую в ее православие…Я верую в тело Христово…Я верую,что новое пришествие совершится в России…Я верую…ーзалепетал в исступлении Шатов.
ーА в бога? В бога?
ーЯ…я буду веровать в бога.
Ни один мускул не двинулся в лице Ставрогина.Шатов пламенно,с вызовом смотрел на него,точно сжечь хотел его своим взглядом.(ア・200~201)
以上「藝文攷」22号連載6(2017年2月15日発行 日本大学大学院芸術学研究科文芸学専攻)所収
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