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モーパッサン『ベラミ』を読む(連載23)

──『罪と罰』と関連づけながら──

清水 正

 

 かつて騎兵隊の同僚であったフォレスチェが、今ではすっかり貫禄のついた〈成功者〉として、年収千五百フランのジョルジュの眼前にあって、自らの処世術を誇らかに披露している。注意すべきはフォレスチェが、アドバイスだけして立ち去る男ではなかったことである。彼は〈ひとりぼっち〉のジョルジュに就職の世話までして、成功への扉を開いてやる。しかもその就職先とは自分の勤める新聞社なのだ。フォレスチェはジョルジュがやがて自分のライバルとなり敵となり、自分の妻をも奪うことになることを全く予期していない。なにしろ、フォレスチェにとってすべての人間は〈鵞鳥みたいに馬鹿で、鯉みたいに無知な奴ら〉と見なされているから、ジョルジュもまた彼にとっては〈鵞鳥〉か〈鯉〉のうちに数えられていたのである。フォレスチェはジョルジュの〈美貌〉、あらゆる女たちを虜にするその〈美男子〉ぶりを余りにも軽く見ていた。ジョルジュの〈美貌〉の魔力は、彼の〈馬鹿〉と〈無知〉を覆い隠し、大いなる力を発揮することになることをフォレスチェはまったく気づかなかった。

 フォレスチェはおしゃべりの最中、とつぜん激しく咳こむ。彼はしばしば気管支カタルの発作に襲われるという持病を持っている。ふつう持病で苦しんでいる人間は、病気で苦しんでいるほかの人間にたいしても深い同情を寄せたりするものだが、フォレスチェにそういった同情心を見ることはできない。彼は通りを歩く群衆を〈馬鹿〉の一括りにして、満足のにやにや笑いを顔に浮かべているような傲岸不遜な利己主義者であり、同情、憐憫といった感情を持ち合わせてはいない。『罪と罰』のレベジャートニコフがイギリス発祥の功利主義的経済学を紹介するにあたって「同情などというものは、学問上ですら禁じられている」と言っていたのを思い出す。フォレスチェにとっても〈同情〉(сострадание)は彼の実際的精神に基づく処世術に反するものであり、こんな感情に支配されること自体が、組織で成功を収めようとする人間にとっては何よりも先に排除しておかなければならないものということになる。

 『罪と罰』で〈実際的精神〉(делοвитость)を存分に発揮して成功を収めたのは弁護士ルージンである。彼はロジオンの妹ドゥーニャの婚約者であったが、ロジオンの強烈な反対によって婚約は破棄されてしまった。そもそもドゥーニャが愛も尊敬もないルージンとの結婚を承諾したのは、これすべて兄ロジオンのためであった。ルージンが兄ロジオンのために尽力してくれるのではないかと思ったのである。ドゥーニャは賢い女と見られているが、ことルージンとの婚約に関しては愚かな選択であったと言わざるを得ない。ロジオンはルージンのような〈実際的精神〉を体現したような人間に対して激しい嫌悪を抱くような青年である。ドゥーニャは兄の性格を見誤ってしまった。ロジオンの母と妹は、兄のためと言いながら、ルージンの経済的援助をなによりも当てにしてしまった。プライドの高いロジオンはそのことに我慢ができず憤怒にかられてしまうのである。

 こういった点に注目すれば、ロジオンはジョルジュとはまったく違う性格の持ち主ということになる。しかし、先にも指摘したように『罪と罰』を熟読すると、ロジオンは最初の印象とは違ってかなり軽佻浮薄な側面も有している。スヴィドリガイロフとポルフィーリイ予審判事のロジオン評をまとめれば、ロジオンは、二人の女を殺しておきながら自身は悩める蒼白き天使のような顔をしてペテルブルクの街をさまよっている悪党なのである。ロジオンが下宿の娘ナタリアと結婚の口約束をしたのも、そのことでただで性欲を満たし、同時に女将から借金できると踏んだからである。この見方が残酷すぎると思う読者は冷静に、ロジオンの観念世界から解放された地点でロジオンを見つめ直したらいい。そこに浮上してくるのはフォレスチェのアドバイスに従順でなかった者のひとつの紛れもない悲劇的末路を生きた青年の無惨な姿を見るであろう。

 ロジオンの母と妹は神の前に祈りながら、悪魔の誘惑にかかったのであり、始末の悪いことには彼女たちはそのことをしっかりと認識できていないことである。ラスコーリニコフ家の未亡人と二人の子供たちは、謂わば悪魔の巧妙な誘惑にのりながら、そのこと自体を明晰に認識できないままに、その悲劇的な運命に翻弄されているのである。

 ところがジョルジュの場合は、フォレスチェのアドバイスを悪魔の誘惑などと見る視点は完璧に備わっていない。その意味で、この出会いの時点に限れば、ジョルジュはフォレスチェの忠実な弟子として彼の忠告に素直に耳を傾けている。

 ロジオンは二人の女を殺して、自分がナポレオンのような〈非凡人〉でないことを明確に自覚して苦しんでいる。フォレスチェは略奪目的で三人のアラビア人を殺しても平然としている。殺人に対する後悔、罪意識などというものはまったくなく、それどころか略奪と殺人を笑い話の種にして愉しんでいる。これだけを見れば、ジョルジュは十分に〈ナポレオン〉になれる素質を有していることになる。

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発行日 2021年12月3日

発行人 坂下将人  編集人 田嶋俊慶

発行所 日本大学芸術学部文芸学科 〒176-8525 東京都練馬区旭丘2-42-1

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表紙

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目次

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モーパッサン『ベラミ』を読む(連載22)

──『罪と罰』と関連づけながら──

清水 正

 

【六月二十八日】(西暦年は記されていないが、『ベラミ』が発表されたのは一八八五年なので、この作品を〈現在小説〉と見なせば、フランスの同時代の読者は一八八五年以前の近過去を想定していたかもしれない。西暦年を記さなくても、『ベラミ』は永遠の〈現在〉を舞台にしていることに変わりはない。一八六五年ないしは一八六六年のペテルブルクを舞台とした『罪と罰』が永遠の〈現代小説〉と同じ意味で、十九世紀のパリを舞台にした『ベラミ』もまた〈現代小説〉なのである)。

 

 フォレスチェ……ジョルジュとは元軽騎兵の同僚。四年前にパリに帰国。「ラ・ヴィ・フランセーズ」の新聞記者。政治面担当。時々「ラ・プラネート」に文芸時評も書いている。気管支炎の後、胸を患っている。既婚者。

 ジョルジュとフォレスチェの対話から分かったこと。

  • ジョルジュは軽騎兵第六連隊に所属していた。フォレスチェが同連隊に所属していたかは不明。
  • フォレスチェは連隊時代は「痩せて、ひょろ長く、くにゃくにゃしていて、あわてもので、乱暴で、騒ぎ好きで、いつでも陽気にはしゃいでいた」が、今は〈太った真面目な男〉に変わっている。「まだ二十七以上にはなっていないはずなのに、小鬢にはいくらか白髪さえ見える男にしてしまった」。作者によれば「三年間でパリがこの男を全く別な人間にしてしまった」ということになる。作者はジョルジュの年齢を記していないが、読者は戦友フォレスチェとほぼ同じ年齢と見なせばいいのだろうか。
  • ジョルジュは半年前から北部鉄道会社に事務員として働いている。年収千五百フラン。〈1フラン=2000円〉で換算すれば三百万になる。

 フォレスチェは〈人物を見る経験のある人物〉としてジョルジュに「ここでは万事押しの一手で片づくんだよ。少し図々しい男なら局長になるよりもたやすく大臣になれるよ」とアドバイスする。ジョルジュは年三千フランで調馬場の調教師の口があることを告げると、フォレスチェはたとえ一万フランでもやめとけと言う。事務員勤めなら隠れた存在でいられるが、調教師になって上流階級の連中に顔を知られたら、もはや彼らに対等の人間とは見られなくなるというのだ。さらにフォレスチェはジョルジュに大学入学資格は持っているかと問い、二度しくじっていることを知る。そして「キケロだのティベリウスだのという話が出た時、何のことだか大体判るかい?」と訊く。ジョルジュは「うん、大体はね」と応えている。

 それを受けてフォレスチェは「結構だ。誰だってそれ以上知りはしない。うまく切り抜けるという手をしらない二十人ばかりの馬鹿者を除いてはね。あいつはえらいぞと人に思わせるぐらいのことはむずかしいことじゃないよ。無学なことの現行犯を押えられなければそれでいいのさ。よろしくやって、困難をはぐらかし、障害物を避けて通るのさ。字引という奴を援兵に使って、ほかの奴らを煙に巻けばいいんだ。どいつもこいつも鵞鳥みたいに馬鹿で、鯉みたいに無知な奴らばかりだからね」と言う。

 さて、こういったフォレスチェの発する言葉をどう受け止めるかだ。ここでいきなりキケロとかティベリウスの名前が出てきたのは意外だった。知性の欠片も感じられない男に向かって、フォレスチェはいったいなにを言い出したのだろうと思ったからだ。まさか、ここでローマ時代の哲学者、弁論家として名を馳せたキケロの思想について議論したいわけでもなかろうし、第二代ローマ皇帝ティベリウスの生涯に照明を与えたいわけでもなかろうと思ったからだ。

 作者はフォレスチェを〈人物を見る経験のある人間〉として紹介しているが、わたしは彼がジョルジュに向かってキケロだのティベリウスの名前を出した時点で、彼の人間洞察力に疑いを持った。しかし、もちろん作者はべつの狙いを持っている。もし知性なきジョルジュに、そのレベル並みの人物しか関わらせなければ、『ベラミ』は文字通り、浅薄な女たらしの数々の色事を物語る通俗小説に終わっただろう。

 モーパッサンはいくらなんでも、売り上げだけを求め、大衆のレベルに迎合した通俗小説を書こうとしたわけではなかろう。作者には作者の狙いがあるだろうから、とにかくここでジョルジュはフォレスチェとふつうの友達以上の関係を結ぶ必要がある。フォレスチェは生き馬の目を抜くパリで、ジョルジュを上流社会に食い込む一つのきっかけを与える現実的、実際的なアドバイザーとして登場している。フォレスチェがここで説く実際的な処世術は、なにも十九世紀中葉のパリばかりでなく、現代においても十分に通用するであろう。

 ジョルジュと同様に自らの野望を遂げたいと思う者は、とりあえず自分の顔と相談したうえで、フォレスチェの処世術に従うがよかろう。わたしはなんの責任も持たないが。

  フォレスチェのような人生観を持った者たちが多数を占めて人間社会を形成しているのであろうか。作者はフォレスチェを〈人生を知っている男〉として〈あわてないでもすむ満足している人間〉としてしゃべっていると書いている。確かに、組織の中にはフォレスチェの言うような人間たちがいる。が、すべてではない。世の中にはこういった処世術に長けた者を心底軽蔑する者もいる。フォレスチェの眼差しは自分と同類の者たちだけをとらえ、そうでない者たちをとり逃している。彼はそのことで〈満足〉を覚えているに過ぎない。彼は愚者の群にしか過ぎない、パリの夜の街を歩く人々を眺めながらにやにや笑っている。〈愚者の群〉は鏡に映った自己像でもあるが、フォレスチェはそのことに気づいていない。彼もまた愚者の一人として、愚者の群の中で生息している組織人であるが、パリで貧しい生活を強いられているジョルジュの前で精一杯の見栄を切らずにはおれない。少しばかりの優越を何倍にも誇大化して相手に示さずにはおれない虚栄の者がフォレスチェである。しかし、同じく虚栄の者であるジョルジュは、フォレスチェの虚栄を看破することができない。彼は、一足早くパリで成功したフォレスチェを憧憬の眼差しで見つめていたかもしれない。

 

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モーパッサン『ベラミ』を読む(連載21)

──『罪と罰』と関連づけながら──

清水 正

 

 もう少し、叙述場面を見ることにしよう。

 

  だが、パリでは、そうはいかない。サーベルをさげ、ピストルをにぎって、警察の手のとどかないところで、勝手気儘に、安穏に略奪をすることはできない。彼は征服土地でのさばる下士官のあらゆる本能が心にうずくのを感じた。あの砂漠の二年間が、無性に恋しかった。あそこに残っていなかったのは、かえすがえすも残念だ。だが、仕方がない、国へ帰りゃもっといいことが待っていると思ったのだから。ところが、いまでは……ああ! まったく、眼もあてられない始末さ、いまは!(294)

 

 この文章をそのまま読めば、ジョルジュはとんでもない悪党に思える。彼はアフリカの砂漠からパリに戻ってきて、勝手気儘に、安穏に略奪をすることができないことを嘆いているのだ。彼は征服した土地で〈下士官のあらゆる本能〉を満たしていた二年間を無性に恋しがっている。こんな文章をアラビア人が読んだら激しい怒りにかられるだろう。否、もし良識のあるフランス人なら、この非人道的な、気儘な本能を容認して微塵の反省や悔いを覚えることのないジョルジュをそのまま受け入れることはできないだろう。

 わたしは『ベラミ』をフランス人がどのように読んできたのか、その読みの歴史を知らないが、いずれにせよジョルジュが国家の無謀な武力侵略や、殺人や、略奪に関して何の疑いも持たずに生きてきた、余りにも非知性的な愚かな青年像を読者に提示していることに間違いはない。何度も言うが、こんなにも単純で愚かな青年に〈美貌〉という武器だけで野望を遂げるドラマをどのように展開していくのか。今のわたしは主人公ジョルジュになんの魅力も感じない。関心があるのは作者モーパッサンの力量である。

 わたしは今までテキストを逐一引用し、そのつどコメントをつける批評方法を採ってきたが、この方法をやめることにする。今後はわたしが特に興味を持った事柄に関して言及する。わたしはジョルジュの服装や帽子など、彼が身につけていたものにも関心を抱いたが、原典に付けられた挿し絵を見ると、そこには杖も描かれていた。

 当時の紳士にとって三つ揃い、シルクハット、それに杖は当然の身だしなみであったのかも知れない。しかし、作品の中でジョルジュが杖を持っていたとは書かれていない。テキストに書かれていないから、ジョルジュが杖を持っていなかったとは言い切れない。こういう点も作品を解読していく上では厄介な問題である。なにしろ、ジョルジュの被っているシルクハットは色褪せた代物だし、三つ揃いも〈六十フラン〉の安物ときている。従ってジョルジュが杖を持っていなかった可能性も高い。しかし挿し絵に杖が描かれているのを見ると、そんなことは書いていなくても、貧乏人の気取りやで虚栄心の強いジョルジュが杖を持っていないはずはないようにも思えてくる。

 もう一つ、わたしが疑問に思ったのは懐中時計である。ジョルジュは時計を所持していたのかどうか。先に引用した場面の後で、ジョルジュは往来に立っている大時計を見て〈九時十五分〉であることを確認している。さて、ここを読んでどう判断するかである。ジョルジュは時計を所持していなかったので、今まで時間を確認しなかったのか。それとも所持していたが、たまたま大時計を見ただけなのか。モーパッサンの書き方では真実は分からない。読者は勝手に想像するしかない。わたしの想像では、杖はシルクハットと同様に、この外見を気にする女たらしの似非紳士には必需品だっただろうし、チョッキのポケットには壊れた懐中時計が入っていてもふしぎではない。要するに『ベラミ』のテキストは突っ込みどころ満載なのである。

 わたしは想像力を存分に発揮してテキストを読み込んでいくが、これからは今までのようにテキスト(田辺貞之助訳・新潮世界文学22)を逐一引用して、そのつどコメントしていく批評方法はとらないことにする。わたしは今までは、一ページ先の場面も読まずに批評してきた。が、ここまで書いたところで、二日ほどかけて最後まで読み切ってしまった。さすが〈通俗小説〉のことだけあって、どの場面もおもしろく一気に読めた。ちなみに、一気に読了したテキストは杉捷夫訳・岩波文庫であり、今後、引用は特に断らない限り、このテキストに拠る。

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──『罪と罰』と関連づけながら──

清水 正

 

 ジョルジュに特徴なのは、カフェの客一人一人の個性ではなく、所持金(二ルイ)に換算されていることである。百人各々の内的世界は見事に無視され、露骨に〈二ルイ×百は四千フラン〉という具合に一括りにされる。そしてついでに彼らは〈豚ども〉扱いされる。ここにジョルジュの対人間関係や金を何よりも優先する世界観を知ることができる。ジョルジュは自分の感情を率直に表明している。二ルイをポケットに所持している〈豚ども〉は、彼にとってはそれだけで〈そっ首をねじあげ〉るに値するのである。条件が揃ってさえいれば、間違いなく彼はそれを実行しただろう。自分の〈飢え〉を満たすためには、つまりすべては許されているというわけだ。ロジオンだったら、雑誌に掲載されるに値する論文に仕上げることだろう。ジョルジュにはそうするだけの基本的な知性が準備されていない。モーパッサはこの知性と教養に欠けた、美貌だけが頼りの〈女たらし〉の野望をこれからどのように実現させようというのか。その点に踏み込んでいく前にもう一カ所だけ引用しておこう。

 

  そこで、彼はアフリカの二年間の生活を思いだした。南部の小歩哨で、よくアラビア人を略奪したものだった。残酷な、さも愉快そうな微笑が、彼の唇をゆがめた。ウレッド=アラーヌ族(訳注 アルジェ地方にちらばるアラブ族の土民)の男を三人殺し、二十羽の雌鶏と二頭の羊と相当の金とを、彼や仲間にもたらした、あのすばらしい手柄の思い出が、胸に浮んだのだ。あれはその後六カ月も笑い話の種だったなあ。

  犯人はとうとう見つからなかったが、ろくにさがしもしなかったのだ。自体、アラビア人は兵士らの自然の餌食のように思われていたからだ。(293)

 

 ジョルジュが二年間ものアフリカ生活で思い出すのは、略奪と殺人である。注意すべきは、彼がこの残酷な行為にたいして良心の呵責など微塵も感じていないことである。それどころか、彼はこれらを残酷な微笑をもって思い出している。戦争とはその現場においては人間を殺したり殺されたりすることである。人間を殺すことが当たり前の世界で、倫理や道徳を振りかざすことほど愚かなことはないだろう。略奪のために現地の部族民を殺すことなど、兵士にとってはごく当然のことであったのだろう。従ってこの残酷な略奪行為に参加したフランスの兵士たちにとって、〈二十羽の雌鶏と二頭の羊と相当の金〉とを奪うために現地人三人の命を奪うことは〈すばらしい手柄〉であり〈笑い話の種〉でしかなかったということ、つまりこの行為は〈犯罪〉でもなければ〈罪〉でもなかったということである。

 ジョルジュは殺された部族民の怒りや悲しみや絶望を思うことがない。彼の回想だけでは、殺された三人が家族全員であったのかどうか分からないが、もし残された者があったら、彼らの悲憤は計り知れない。ジョルジュは自分が殺した部族民と自分の家族を重ね合わせることができない。おしなべてジョルジュには人間に対する憐憫の情や想像力が欠けている。彼は母国フランスがアルジェリアに武力侵攻したこと、自分が一兵士として戦争に参加すること、そのこと自体を自分の頭で考えることをしない。いったいジョルジュという青年は、自分のことしか考えない利己主義者でしかなかったのだろうか。自分の母親や父親が他国の侵略者によって命を奪われ、財産を略奪されたらどんな思いにかられるか、そういったことさえ考え及ばない残酷で愚鈍な青年であったのだろうか。

 ここに引用した場面で見るかぎり、ジョルジュは殺人や略奪を平気でやりとげる単純な行動家であり、地下男の言葉で言えば単なる〈ばか〉である。ひとの苦しみや悲しみを感じ取ることのできない、ばかで陽気なお調子者、こういった青年に美貌と野心を与えて、〈通俗小説〉の中で存分に〈色魔〉ぶりを発揮させたらどうなるか、モーパッサンはそういった実験に取りかかったというわけだ。

 〈アラビア人は兵士らの自然の餌食〉などという言葉がさりげなく書かれているが、この言葉に侵略国フランス人の植民地人に対する傲慢な思いが端的に現れていると言えよう。軽騎兵ジョルジュにとってアラブ族三人の命など略奪した鶏や羊並みのものでしかなかったということである。この略奪者がロジオンのような思弁を展開できるだけの知性を備えていれば、〈目的のためには手段を選ばず、どんな残酷なことであれ許されている〉などと宣うかも知れない。ロジオンにとっての〈アリョーナ婆さん〉が社会のシラミと見なされたように、三人の殺されたアラブ人はジョルジュにとっては社会から抹殺されてもかまわない〈敵〉と見なされていたのであろう。

 ロジオンは二人の女を殺した後で、自分にはそれをするに値する〈能力〉がないことを思い知って苦しむ。が、ジョルジュには殺人後の苦しみなど微塵も窺えない。殺人と略奪を〈すばらしい手柄〉と見なし、半年後には〈笑い話の種〉とできるジョルジュは、ロジオンの〈非凡人〉の思想に照らせば、まさに彼は凡人の範疇に収まる人間ではないこと、すなわち〈非凡人〉の範疇に属する人間ということになる。ジョルジュには自分の野心を雄弁に語る能力が未だ開発されていないので、彼の口から直接それを言い表すことができない。

 

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モーパッサン『ベラミ』を読む(連載19)

──『罪と罰』と関連づけながら──

清水 正

 

 カフェと言えばパリ、パリと言えばカフェである。カフェは画家、文学者、哲学者たちのサロンでもあり、そこはただ単に飲み食いする場所ではない。政治、経済、社会、芸術を語り合う場であり、サークルの場でもあった。しかし、ジョルジュはこういったサロンのはたしていた文化的機能に関しても何ら関心を示さない。ジョルジュと同時代を生きていた〈モーパッサン〉や小説家たちをテラスの片隅に登場させていても一向に不自然ではないのだが、なにしろ彼は色事相手の女たちを一網打尽にする〈投網のまなざし〉は天性的に備えていても、こと文化や芸術に関しては素通りしてしまうのである。

 となれば、読者はこれから徹底して〈女たらし〉の美男子ジョルジュのその方面での活躍だけを読ませられることになるのであろうか。たしか作者は〈通俗小説の女たらし〉と断っていたはずだ。純文学の小説なら、主人公を思想や芸術に対して無縁の存在に設定することは読者の期待に背くことになるかも知れないが、通俗小説なら、逆に主人公は思想や芸術に関して無知蒙昧なほうがかえって都合がいいかもしれない。

 それにしても、思想や芸術に関心のない、ただ上辺だけのダンディを気取っている〈女たらし〉がどのような会話術を駆使して相手を口説き落とすのか興味のあるところである。ただ美男子だけの男にくどき落とされる女のおつむ具合と感性もまたジョルジュ並みと見ればよいのだろうか。しかし、男と女のドラマは一筋縄ではいかない。男の持つ権力、社会的な地位や財産を何よりも優先する女がいれば、男の持つ美貌や肉体的魅力、人並みはずれた精力をこそ優先する女がいる。今のところジョルジュの色魔としての戦歴は何一つ披露されていないが、未来の数々の戦歴はこれから次々に描き出されることになるのだろう。

 小説は一幅の絵画のように瞬時にすべてを了解するわけにはいかない。まさに小説は時間作品で、読み進まなくては新しい情報は得られない。読者はジョルジュのほんの一部を知らされただけで彼と共にパリの夜の街を歩いてきた。ジョルジュが今どこに勤め、どのような仕事をし、給料はいくらなのか。心を割って話せるような友はいるのか。ジョルジュに対する山のような質問事項をとりあえず押さえて、読者は描かれた限りの情報で彼の肖像を塗り絵の要領で徐々に完成させなければならない。

 ジョルジュの歩き方一つとってもロジオンとは対極的である。ジョルジュは人混みの中で遠慮する気持ちなど毛頭ない。ぶつかる人間など平然と突き飛ばして歩調を崩すなどということはない。自分が進む道をひとの都合で変更する気などさらさらない。あくまでも自分が主役であって、この美男子は何の努力もせずにほかの者たちを脇役に押しやる。こういった男が、ポケットに残った小銭を計算しながら、カフェの客たちを見れば、自然と怒りの感情さえわいてくるということだ。

 「彼は、元気よく快活そうに、軒をならべたカフェのまえを歩いていって、客の顔つきや身なりで、ひとりひとりがどのくらい金をポケットへいれているか、すばやい眼で推量してみた」――この箇所でジョルジュの関心は明白である。彼はカフェに集まってくる人間たちの内部世界などにはまったく興味がない。彼は元気と快活を精一杯装ってカファで酒を飲み交わす連中の〈顔つきや身なり〉で彼らのふところ具合を詮索し、妬み感情を露わにする。彼にとって人間の評価はまずなによりも〈顔つきや身なり〉に拠る。だからこそ彼は、蒸し風呂の夜の街をシルクハットもとらず、上着も脱がず、ひたすらやせ我慢しながら歩き通したのである。彼の見立てによれば、カフェの客たちは一人当たり〈2ルイ〉(1ルイ=20フラン=4万円×2=8万円※1フラン=2000円と見た場合)は持っている。月末までジョルジュは三フラン四十サンチーム(6千8百円)で過ごさなければならない。彼の十倍以上の金を持って飲み食いできる連中を、ジョルジュは腹をすかして街中をさまよい歩いた野良犬のような僻みきった眼差しを客たちにむけるが、もちろんその心情を見透かされないよう精一杯の虚勢を張り続ける。

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モーパッサン『ベラミ』を読む(連載18)

──『罪と罰』と関連づけながら──

清水 正

 

  次の場面を見てみよう。

 

 彼はこうひとりごちた。――「十時まで我慢しよう。そして、カフェ・アメリカンで一杯やろう。だが、ちくしょう! やけに喉がかわきゃがるなあ、やっぱり!」――そして、テーブルにすわって飲んでいる連中を見まわした。あいつらは好きなだけ飲んで、喉をしめらせることができるのだ。彼は、元気よく快活そうに、軒をならべたカフェのまえを歩いていって、客の顔つきや身なりで、ひとりひとりがどのくらい金をポケットへいれているか、すばやい眼で推量してみた。そして、ゆっくりテーブルにすわっている連中にたいして、無性に腹がたってきた。やつらのポケットをさぐったら、金貨や銀貨や小銭がざくざくでてくるのだろう。平均して、少なくとも二ルイずつはもっているにちがいない。ところが、一軒のカフェにたしか百人ははいっているだろうから、二ルイ掛ける百は四千フランだ! 彼は気どった格好で歩きながら、「豚どもめら!」とつぶやいた。もしあのなかの一人を、どこか往来のすみの真っ暗なところでとっつかまえたら、ちくしょう、どうしたって、大演習のときに百姓の鶏をやっつけたように、そっ首をねじあげずにはいないんだが!(293)

 

 ここで初めて〈十時〉という時間が示される(どういうわけか木村庄三郎訳は〈九時〉となっている)。今まで、ジョルジュの容貌や服装は描かれていたが、彼がレストランを出たときの時間、どれほどの時間を費やしてカフェにまでたどり着いたのかは記されていなかった。ジョルジュは懐中時計、または腕時計を所持していたのだろうか。ロジオンの場合は、彼は常に時計時間を意識していた。父親の形見の腕時計は質入れしてしまっていたので、ロジオンは犯行現場につくまで、店の柱時計をのぞき見までして〈今、何時〉かを知ろうとした。そもそもロジオンは〈長針〉(長身)として時計回りの道順で〈短針〉(短身)のアリョーナ婆さんの所に〈七時〉までにたどりつこうとしていた。要するに〈第三日目〉(犯行当日)のロジオンはかなり神経質に時間を気にしながらは目的の場所を目指した。

 一方、ジョルジュはここまで確かな目的地もなく、時間を意識することもなく蒸し風呂の夜を歩き続けていた。もしかしたらジョルジュは時計を持っていなかったのかも知れない。彼は一度も自分の時計を見ることはなかった。しかし問題は、ジョルジュが時間の外にあったということである。もし彼が時間を気にするような男だったら、店の柱時計をのぞき見る場面があってもよかっただろう。作者はこの日が〈六月二十八日〉であることは明記しているが西暦と曜日は記していない。読者に伝わるのは、ジョルジュがこの日の夜、時間から解放されたパリの夜を自由気ままに歩き回っていることである。勤務から解放されたジョルジュはレストランで食事をすませ、時計時間に縛られずに夜の時間の〈自由〉を存分に味わっているということだ。

 ジョルジュはカフェの客たちの姿をとらえ、グラスに注がれる〈赤〉〈黄〉〈緑〉〈茶〉色とりどりの酒を見つめる。喉の渇きに苦しめられているジョルジュは色とりどりに輝く〈酒〉を凝視して、客たちの振る舞いや談話に注意しない。モーパッサンの描く描写からは音や声が聞こえてこない。バリの夜の繁華街に音楽を奏でる楽師や歌うたいは一人もいなかったのであろうか。テラスの椅子に座っている連中はいったい何を話題にして酒盛りしているのか。ジョルジュはっさいそんなことには関心がなく、ただひたすら酒を注がれた光まばゆいグラスに視線を集中している。ジョルジュの関心事は冷たい飲み物で喉をうるおすことと、そのために必要な金額のことだけである。

 ロジオンの〈第一日目〉を想起したらいい。ロジオンは二日も何一つ口にしていないのに、何かを食べようという欲望にかられることはない。わたしも二十歳前後の頃、食欲を感じたことがない。ドストエフスキーを読み続け、観念の世界を彷徨していたわたしは、煙草とコーヒーを食事代わりにして、四十三キロの体重を保持していた。ロジオンはアリョーナ婆さんを訪ねた帰り、喉の渇きを覚えて地下の安酒場へと階段を降りて行き、そこで一杯のビールにありつくが、いつも金欠状態にあるロジオンが酒代を心配している様子はまったくない。

 『罪と罰』全編を通して、ロジオンは実に気前よく、いろいろなひとに金を与えている。マルメラードフが馬車にひかれて死んでしまった時には、寡婦となったカチェリーナに二十ルーブリもの金を恵んでいる。要するに、ロジオンは金に関しても後先考えずに散財する傾向を持っていた。その点においてロジオンは十九世紀ロシア中葉を支配していた功利主義的経済観念の支配から脱していたとは言えよう。あるいは単に、やけっぱちになっていたともとれる。金を小馬鹿にする者は、そういった形で金に支配されているとも言える。ま、いずれにしてもロジオンとジョルジュとでは〈金〉に対する考えが正反対で、ジョルジュにはしみったれた貧乏人根性が拭いがたくそなわっているようだ。

 

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 ロジオンの形而下に照明を当てれば、先に引用したジョルジュの女に対する欲望との親和性すら感じられる。ロジオンは女を目当てにカフェや酒場や売春宿に出かけたなどとはどこにも書いていないが、ジョルジュのような内的独白を密かにつぶやいたとしてもおかしくはない。女たらしのジョルジュに思想や哲学を賦与すればロジオンになり得るし、屋根裏部屋の思弁家ロジオンから思想や哲学を取り去ればジョルジュになり得るのである。ロジオンがペテルブルクに上京したての頃、母親の呪縛から解放された気分で、ずいぶんと軽佻浮薄なことをしていたことは確かなことで、この虚栄心の強い美男子ロジオンは女たらしのジョルジュと瓜二つと言っても過言ではない。一見、ジョルジュとロジオンは対極的な存在に見えるが、冷静な眼差しを注げば、ジョルジュは十九世紀後半のパリに現れたロジオンと言ってもいいのである。

 

  彼はマドレーヌ教会のほうへまがり、暑さにゆだりながら流れていく、人並みにまぎれこんだ。大きなカフェは、客がいっぱいで、舗道にまであふれ、こうこうと明りを輝かした店先の、眼もくらむどぎつい光のしたに、酒を飲んでいる連中を照らしていた。彼らのまえの円や四角の小さなテーブルには、赤や黄や栗色やあらゆる色合いの酒がグラスにつがれ、水差しのなかには、きれいに澄んだ水をひやすために、透明な筒形の氷のかがやいているのが見える。

  デュロワは足をゆるめた。酒を飲みたくて、喉がひりひりかわくようだった。

  焼けつくばかりの、夏の夜の渇きが彼を責めつけた。そして、冷たい飲み物が口のなかを流れる、あの快感をしきりに思った。だが、今夜たった二杯でも飲んでしまえば、明日のささやかな夜食はおさらばになってしまう。ところが、彼は月末の空腹にさいなまれる幾時間を、知りすぎるくらい知っていた。(293)

 

 パリの街に詳しい者であれば、ジョルジュと一緒に蒸し風呂の夜を共に歩くことができるだろう。作者が事細かに書かなくとも、町並みの光景をリアルに眼にすることができる。さて、小説には読者の興味をひく事件が必要だが、今のところ作者は人混みのパリの街路を歩くジョルジュの姿を追うだけである。わたしはジョルジュをロジオンに重ねて読んでいるからまったく退屈を感じないし、『ベラミ』にもやがて何かしらの〈事件〉が用意されているのではないかと感じている。

 ロジオンは〈アレ〉という事件を起こし、『罪と罰』はこの〈事件〉(渦)を中心にして、その周囲にすべての人物たちがそれぞれの役割を背負って集まってくる。ロジオンの母親と妹、ドゥーニャの婚約者ルージン、ドゥーニャの誘惑者スヴィドリガイロフなどは急遽、ペテルブルクへと召集され、ロジオンが寝起きする屋根裏部屋を訪れることになる。或る特定の場所に複数の人物が集まり、そこで様々なレベルの言葉が交わされることになる。ロジオンの 屋根裏部屋、高利貸しアリョーナの部屋、ソーニャの部屋、マルメラードフ一家の住まい、警察署、水晶宮、地下の居酒屋、ポルフィーリイ予審判事の部屋などが、『罪と罰』の固定された舞台として重要な役割を果たすことになる。

 さて、『ベラミ』においてそういった固定された舞台はどのようなものであり、どのような〈事件〉(とうぜんそれは女に多大の関心を抱いている女たらし特有の事件であろうが)がどのように用意されているのだろうか。

 とりあえずこの時点でジョルジュの眼差しを釘差しにするのは〈大きなカフェ〉である。ジョルジュの眼差しは〈大きなカフェ〉で酒を飲む客たちの姿をとらえる。夏の夜を歩き続けてきたジョルジュの喉は乾ききっている。余裕さえあれば、彼もまたカフェに腰掛け、冷たい酒を飲み干したいのだ。ところで、わたしがここに引用した場面で注意したのは、〈酒〉もさることながら、グラスに注がれる酒の色が「赤や黄や栗色やあらゆる色合い」と表現されていたことである(他の訳者はすべて〈緑〉も加えている)。『罪と罰』には〈赤〉〈黄〉〈緑〉が頻出する。すべて重要な象徴的意味を付与されているが、癲癇病理の側面からは特に〈緑〉が重要である。第四作目の『おかみさん』の主人公オルドィノフは発作に落ちる寸前、眼前の世界が一面〈緑色〉に覆われる。また日本の作家で癲癇者の上田秋成はその作品中に〈緑〉を散りばめている。モーパッサンの精神病理に詳しくないので断定的なことは言えないが、彼の創造したジョルジュが〈赤〉〈黄〉〈緑〉のどぎつい光に敏感であったことは注意しておいていいだろう。

 ジョルジュの〈夏の夜の渇き〉は、氷に冷やされた酒を求めるが、ここでもロジオンの〈渇き〉を想起したい。ロジオンの〈渇き〉は水や酒を飲めば癒されるものではない。ロジオンは神の水によってしか渇きを癒されない、神を求める青年であるが、作中、どうしても〈思弁〉(диалектика)を捨て去ることができず、精神の地獄を生きなければならなかった。ジョルジュには〈神を求める心〉などどこにも潜んでいないように思える。彼の頭を支配しているのは女との〈色事〉であり、ここでは酒を飲んで〈喉の渇き〉を癒すことであり、欲求を充足させるための〈金〉のことだけである。ロジオンの場合、〈喉の渇き〉は神を求める〈精神の渇き〉と裏腹であるが、ジョルジュの場合は純粋に〈喉の渇き〉にとどまっている。ロジオンは垂直的青年でそれなりに深みがあるが、ジョルジュは水平的青年で深みを感じることはない。

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