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随想 空即空(連載73)内村鑑三の最初の結婚と破局を巡って#ドストエフスキー清水正ブログ#

清水正

 

 鑑三は三人の友人に宛ててタケの事を書き記しているわけだが、友人とは言え、自分が愛して結婚した女の欠点、弱点をあげつらうような文章をよく書けたものだと思う。確かに鑑三は苦しんでいる、悶えている。彼が真剣に悩み、解決を求めて呻吟していることをつゆ疑うものではない。別に女性差別的発言をするつもりはないが、もしこの文面が女性の手になるものであれば、それほど抵抗はない。女性は異性関係の悩みを親しくしている同性の者に事細かに打ち明け、相談に乗ってもらうことは珍しくない。しかし、男性、しかも明治生まれの、武士の息子である鑑三がこのような手紙を書いていることには驚かざるを得ない。一つの理由として、これらの手紙がすべて英文によって書かれていることにあるのかもしれない。鑑三と宮部金吾、太田(新渡戸)稻造は東京外国語学校時代からの同期生で、彼らは会って話しをするときはすべて英語を使うことに決めていた。彼らは三人ともに札幌農学校の第二期給費生となり、そこでキリスト教に入信している。特に宮部金吾とは寄宿舎で同室であったこともあり、彼らの信頼関係は絶対であった。これやそれやを考えれば、鑑三が謂わば人生の第一の危機的状況にあって、内心の悩みを正直に打ち明けているのも納得できないわけではない。

 先にも少し触れたが、鑑三の手紙はドストエフスキーのそれを彷彿とさせる。これだけ自分の悩みを率直にぶちまけ、恥も外聞もなく結婚した相手の欠点をさらけ出す鑑三が、どうして文学や演劇を嫌っていたのかまったく不思議である。鑑三に関する文献でドストエフスキーと関連づけて論じたものがあるのかどうか不明だが、少なくとも鑑三の弟子筋にあたる研究者のものにはない。それよりなにより不思議なのは、鑑三がドストエフスキーの文学にまったく触れる機会のなかったことである。未完とは言え、内田魯庵が『罪と罰』を英訳から日本語にして刊行したのは明治二十五年である。鑑三と親しくしていた北村透谷はこの翻訳本の書評を書いている。鑑三にドストエフスキーの作品を読むよう薦めた弟子や友人はいなかったのであろうか。いないとすれば、そのことも不思議である。先に、日芸日本大学芸術学部)の実質的創設者松原寛を論じた時にも思ったが、松原は苦悶と求道心に溢れた著作を何冊も残しながら、ドストエフスキーの作品内容に関してまったく触れることがなかった。英語力のある鑑三は英訳ドストエフスキーで彼の文学世界に足を踏み込むことができたのに、どういうわけか鑑三はドストエフスキーに接近することはなかった。

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清水正

 

  鑑三の手紙を読んでいると、彼は彼の苦しみに浸っていて、タケの側に寄り添って彼女の心を斟酌することがない。一度は愛し合って、親の反対を押し切って結婚した相手を〈羊の皮を被った狼〉と非難することなど、それこそ〈武士道〉に反することではないのか。宮部金吾や太田(新渡戸)稻造に宛てた手紙は全集に収められ、多くの読者の目に触れることになる。今これを執筆している時点で、わたしはタケの鑑三宛の手紙や手記(日記)の類など何一つ知らない。

 研究者たちの評伝によれば、タケが鑑三の家を出たときには、すでに鑑三の子供を身ごもっており、タケが子供(ノブ)を生んだ後、アメリカにいる鑑三の元に二度にわたって手紙を出している。この手紙を鑑三は破棄してしまったとかで残されていない。従ってその内容を直接に知るものは、書いたタケとそれを受け取った鑑三以外にはない。タケがその内容を家族の者にでも話しているなり、見せてでもいれば、その内容のあらましは伝わっている可能性もあるが、今や確かめようもない。評伝によれば、タケはノブを盾にとって鑑三との復縁を迫ったようであるが、それが真実であるかどうかは分からない。ふつうの感覚でもって考えれば、一度は怒りの感情に駆られて鑑三の家を飛び出したとはいえ、鑑三との間の子供が生まれたとなれば、復縁を願うタケの気持ちは素直に受け取れる。タケにしてみれば、家を出て行ったことは、鑑三との決定的な別れを意味していなかったことになる。一方、鑑三の離縁の意志は固い。タケが兄に連れられて家を去るとき、鑑三は一度家を出たら二度と鑑三家に戻ることは許されないと宣告する。

 鑑三は武士の子供、家督を継いだ長男である。鑑三はことタケとの離縁に関しては「武士に二言はない」を頑なに守っている。しかし何度も言うようだが、武士が、たとえ農学校時代からの親友とはいえ、離縁した女の悪口など書き連ねて送るだろうか。鑑三はタケが去っていく後ろ姿を見ながら、縁側に泣き伏したそうだが、こんな武士など聞いたことも見たこともない。わたしは、天使とも立派な連れ添いとも思っていたタケが、嘘つきで、見栄っ張りで、金銭にだらしなく、姦淫までしていたというなら、鑑三の苦しみがどれほどのものであったか同情するにやぶさかではない。ただ、問題は鑑三の手紙を読んだだけでは、タケの不埒の行為が具体的にどういうものであったのか全く分からないということである。

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清水正

 

 内村鑑三が親友たちにあてて書いた手紙の中から浅田タケに関する記事をまとめて引用した。これらを読み通せば鑑三のタケに対する思いは十分に伝わってくる。引用しながらまず感じたのは、相手が札幌農学校時代からの親友とはいえ、自分が愛した女に関する思いをよくここまであけすけに語ることができるな、ということであった。わたしはこういったプライベートに関わることを他人にこと細かに打ち明けることはないので、読みながら鑑三の性格に興味を持ったし、同時にあきれもした。鑑三は文学や演劇を嫌っていたそうだが、これらの手紙を読んでいると良くも悪くも彼の〈文学性〉を感じた。わたしはドストエフスキーが兄のミハイル宛に出した数々の手紙をすら思い出したほどである。簡単な年譜だけを読んでいたのではわき上がらなかった小説的な想像力に拍車がかかった。わたしはもはや小説を書く気持ちはさらさらないが、頭脳空間においてははっきりと映像が浮かんで独自の展開を見せた。鑑三を主人公にして物語が展開するわけだが、この主人公がわたしの中で〈キリスト者〉としてイメージされることはなかった。〈キリスト者〉以前の問題として、一度は愛し愛されあった伴侶に対して疑惑と告発と裁きを孕んだ言葉を書き付け、他人に送りつけるというその行為自体に何か生理的に受け付けない嫌らしさを感じてしまう。この第三者が感じるであろう嫌悪感に関して鑑三自身はかなり無頓着であることも、嫌悪を増幅させる。いったい鑑三の信じるキリスト教とかイエス・キリストとはいったい何だったのかと改めて思う。聖書を精読した者でなくても、常識としてキリストは〈愛と赦し〉の体現者として受け入れられている。タケを告発し、辱め、厳しく裁いて追放する鑑三のいったいどこに〈愛と赦し〉があるのか。

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有即無 無即有 有無即空 空即空 空空空 正空 (清水空雲)

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清水正

 

 鑑三の書簡から浅田タケに関する記事を次に引用する。引用は『内村鑑三日記書簡全集』第5巻(昭和三十九年七月三十日 教文官)に拠る。

 

第36信(英文 封書)

 太田(新渡戸)稻造あて。一八八三年(明治一六年)十月三十日。

  さて、昨夕、例の問題について両親と話し合った。父は僕の予期とは全く逆に、冷静でよく考えてくれ、静かに筋道を立てて話し合うことができた。しかし母はそうではなかった。しかし母のぐちは実に子供っぽい、根拠のないもので、浅田姉妹に対して失望させるだけの価値があるものとは思えない。「彼女は利口すぎる、学問がありすぎる、頭がよすぎる」などという母のつぶやきは、実に不条理だ。このような点は肯定的な答を僕に与えるための有利な根拠として、利用さるべきものである。母は間もなく分かってくれるだろうと思う。しかし僕は「縁切り」状を横浜へ送る決意をかため、すでに大部分を書き終えたが、父にとめられた。父は僕がもっとよく考えるべきだし、母とももっと冷静に話し合うべきだと言うのである。明朝横浜から来るはずの手紙を待っているが、これは僕の暗い面をすっかりあらわした、かなり激しい、冷い僕の手紙に対する返事である。もし彼女が返事をくれ、その中にたとえ僅かでも彼女の躊躇の様子が見出せたら、僕はそれを「口実」に利用して、今後の面倒の根源を一切断ってしまうつもりでいる。(70)

  兄弟よ、僕は完全な愚か者ではあるまいか。昨日までは他人の結婚問題における盲目ぶりを嘲りながら、自分自身がついにその穴におち込んでしまったのである。実に、実に、メンボクナイ! しかし僕は、僕にとって益となることはことごとく、僕の上にやってることを知っている。この長い年月の間、僕は神の畑でお役に立ちたいと祈り続けてきた。ゆえに神が、現に問題となっているようなこんな小さな事で、僕を失望させたもうことはないと思っている。僕は冷静で平穏である。神の子らは最も幸福な人々である。彼らの上には益だけが臨み、害は臨まない。ただ働かせて頂きたい。そうすれば万事はうまく行くと信じる。(70~71)

  *彼女に対して冷たすぎると思わないでほしい。ぼくは今でも彼女を愛し、彼女をたたえており、彼女を愛するがゆえに、彼女の今後の面倒をも断ってしまいたいのだ。そうなったとしても、神のみ心であろう。ああ! この世は何たる邪悪の世ぞや。(71)

 

第37信(英文 封書)

  宮部金吾あて。一八八三年(明治一六年)十月三十一日。

 愛しまた愛されることが人生を構成するのではない。「精神的姉妹」によって「可愛がられること」はたしかに甘美なことである。しかしそれに溺れることはクリスチャン男子ではない。(73)

  僕には今、一つ小さな面倒が起きている。いづれ君に話そう(いな、話さねばならない)。しかし事件はここ数日中に決定するので、その上で君に報告しようと思っている。太田ひとりだけが、それについて知っている。もっとたくさん書きたい。しかし次の機会まで待つ。(74)

 

第38信(英文 封書)

  宮部金吾あて。一八八三年(明治一六年)十一月二十七日。

 最近自分の生活の中で一つの事に気付いた。それは僕の生活は、今までのところ、内にも外にも、絶えざる混乱の連続だったということである。僕の意志が終わりまでとおった場合は一度もない。いたる所に障壁がある。しかし、僕は、神がたびたび僕をうちたもうことを感謝する。僕は、神が僕を、神のみ業のために用意したまいつつあることを確く信じる。そして神の鞭をば、喜びと平安とをもってしのぶことができる。(75)

  兄弟よ、僕のために祈ってくれたまえ。神が僕に善い幸福な家族と、社会的にすぐれた位地とを与えたもうようにと、祈らないでくれたまえ。むしろ、神が僕を神のみ業に使いたまい、神が僕に与えんとしたもうすべての艱難に耐え得るようにと、祈ってくれたまえ。

   イエスよ、われはわが十字架を負い

   すべてをすててなんじの後に従わん

 が現在の僕の特愛の賛美歌である。(75)

 

第39信(英文 封書)

  太田(新渡戸)稻造あて。一八八三年(明治一六年)十二月十六日。

  金曜日に、ふたたび農商務の「ドロボー」になった。先週はおそろしい週間だった。両親とまたはげしく争った。今日は頭が疲れて病人である。(76)

 

第40信(英文 封書)

  宮部金吾あて。一八八三年(明治一六年)クリスマス。

 昨夜、僕はただ一人母の病を看護し、二児の世話をしていた。君があれほど深く僕に同情してくれた事件は、依然として極めて不確定な状態にあり、また僕の職業の選択に関して数週間にわたって荒れ狂った混乱は、今もなお僕の心を占領している。その上少々気管支炎を起こし、非常に憂鬱で不快である。しかし、神のなしたもうことには絶対に疑いをはさむな、と教えられているので全く幸福であり、また必ずしもメリーなクリスマスの夜ではなかったが、浅田嬢に僕の将来と目的について手紙を書いて一夜を過ごした。(77)

  「複雑な家庭事情」と君はいみじくも僕の現状を書きあらわしてくれた。まことに複雑で、それがどんなであるかは、君がよく知っている。僕は、真のクリスチャンの敬虔と勇気と女らしさとで、僕と共にすべての重荷を負うことを約束してくれた一つのハートにめぐまれたことを思う時、限りなき感謝の念にあふれる。しかし、彼女が僕と共にドンナ風に苦しまねばならぬかを考えると、彼女に対する僕の愛は、僕をして、彼女に対し、僕といっしょにならぬように、とすすめさせる。僕は自分ひとりでこれらの重荷をにないたい。(中略)僕がただ一人で苦しむだけで充分である。他人は好んで僕の試練を味う必要はない。その上僕の健康は、神もし許したまわば、生涯独身たるべきことを要する。僕はキリストにある最愛の姉妹を、哀れな寡婦にはさせたくない。(77~78)

 浅田嬢の件についてはまだ決定していない。最大の難関は母で、学問のある嬢に大反対している。彼女は立派な婦人で、静かながら鋭く、数々の困難な経験をなめており、その上キリストのために働きたいとの精神にあふれている。年は二十一才で、内気なたちで、英語はうまくないが、日本文には巧みである。身長は一般よりはるかに低いが、その精神と信仰は稀れに見るほどである。兄弟太田は僕と同じくらいよく彼女を知っている。とにかく、非常に有用な婦人だと信ずる。君が反対するだろう一つの点がある。すなわち彼女もまた《上州者》である。

  しかし問題はきわめて不安定で、どういうことになるか、僕にも分からない。もしも神の御導きにより決定したら、彼女についてもっとたくさん書こう。少なくも彼女は僕にとり、非常に有益な友人である。彼女の再々の手紙は、真のキリスト教的書簡で、僕を力づけ、気高くしてくれる。彼女の詩的の情操は、大いに僕を慰めてくれる。こんな気高い心をもった人を、僕のような、こんな「ブイキ」(「無意気」。宮部金吾が著者に与えたあだ名)な人間が持つことは、余りにも「モッタイナイ」事だろう。

(78~79)

 

第41信(英文 封書)

 太田(新渡戸)稻造あて。一八八三年(明治一六年)十二月二十八日。

    近頃、君が僕に示してくれる測り知れないほどの愛をどう感謝すべきだろう。今日、浅田姉妹に会い、長いこと話し合った。彼女としては一切の苦難を僕と共に担って行こうという考えらしい。しかし僕の方は問題がますますむずかしくなり、関係を断ち切るべく余儀なくなった。彼女ははげしく泣き、僕も泣いた。しかし現状ではどうしたらよいのか。両親のいやいやながらの「イエース」は、はっきりした「ノー」よりも、はるかにやりきれない。妻の問題でわが家をひっくり返してしまうよりは、僕はむしろ生涯独身ですごしたい。これが人生だ。この地上で持ちたいと願うものを持つことができるとしたらどうだろう。そうすれば、われわれは未来を必要としなくなってしまう。来世の在存に関する最高の証拠は、この地上に悲哀の存在することである。ありがたいことに、僕は彼女に対して純粋な愛をいだいている。ありがたいことに、僕は現在の苦難をことごとく、進んで担うことができる。下を見れば、僕の目は涙にくもる。しかし「上を仰ぎ見れば、涙は頬を川と流れて、星と太陽がはっきりとうつる」。今度会う時、詳しく話す。(80)

 

第43信(英文 封書)

 藤田九三郎あて。一八八四年(明治一七年)一月二十七日。

 僕の苦難の全部を君に話す必要はない。外から見れば、何と言っても、些細な事だからである。しかし僕にとっては、重大な関係のある事で、そのため僕は相当に頭を使わねばならなかった。しかし、ありがたいことに、涙と心配は無駄ではなかった。なぜなら、両親と友人たちとは、ようやく、僕が純な心で行動したこと、また問題には不純なものは少しもないことを認めてくれたらしい。事がどう進展するか僕は知らない。神はみ心のままに処置したもうであろう。そして僕にできる唯一のことは、しっかと神に信頼することである。このしらせは君と宮部とだけへするもので、他の誰にも内密である。(83)

                                             二十九日

  いままで僕を悩まして来た問題は、無事に進展しそうもない。僕は彼女のハートを微細な点までためしてみて、その性格の輝かしい面と共に、暗い面をも知った。いずれにせよ、彼女は僕には良い組み合せらしい。(85)

 

第45信(英文 封書)

 太田(新渡戸)稻造あて。一八八四年(明治一七年)二月十二日。

 僕とA嬢との関係は恐らく十五日にきまるだろう。それは僕の生涯の分岐点なので、君との友情の会合を持つにはちょうど良い機会である。(87)

 

第46信(英文 封書)

  宮部金吾あて。一八八四年(明治一七年)二月十八日。

  さて、愛する同室の友よ、僕の愛する姉妹との関係がどうなったかを君に告げなくてはならない。長い間暴風雨がわれわれの心の中に荒れ狂っていたが、とうとう平和な結論に到達した。僕は彼女の中に、気高いキリスト教精神が、鋭い分別力と、かなり広い社会的経験と共に存在することを発見した。しかし彼女はその性格の中に、一つの大きな欠点を持っている。――それは彼女の極端な無邪気か、あるいは彼女の軽率か、いづれかである。盲目な愛の眼には、前者のようにうつる。しかし僕はそのいづれとも断言しかねる。いづれであるにせよ、僕は世間から、彼女に関する多くの無用な疑惑を蒙った。そのため、熟考の結果、彼女との一切の関係を打ち切ることに決心した。僕は二度までそうした。われわれには言い難い悲しみだった。彼女のほほに涙が流れるのを見、初めてエバの娘の中に美しく残る、天使のやさしい愛をみとめた。

   露にぬるるバラぞうるわし

   涙にぬるる愛ぞうるわし

     かく

   我は愛する彼女のためにあつき涙をそそぎぬ

     されど

   わが主の他にわが心を動かし得るものなかりき

  そして堅い決心をもって、しいて彼女を僕から去らせ、他の「異議なき」相手をさがさせることにした。僕の意志にさからい、彼女の意志にさからい、ただそれが神の意志たるべきことを信じつつ、われらは気高く別れ、結婚の希望をほとんど棄ててしまった時、僕の両親は、われわれの心と願いとが純真なのを認めたらしく、問題を取り上げ、感謝すべきことに、普通の日本流儀に従い、事は本月十五日に決着した。静けさは、あらしの後に来る。今や

   喜びは来り悲しみは去る、われら知らず

    今、すべて皆、幸いなり

     すべて皆、天かけらんとつとむ

   去りし雲の行くえ知るは誰ぞ

     かげなき空に跡もとどめず

   眼はそそぎし涙を忘れ

     心は悲しみ痛みを忘れぬ

 兄弟よ、僕と共に喜び、悲しんでくれたまえ。この問題について相当くわしく君に語った。君は何から何まで打ちあけているが、この事件については特にそうである。一人者であろうと夫婦者であろうと、われわれは互に友となり、兄弟となり、同労者とならねばならぬ。そしてもし僕が一人の姉妹を得るならば、君も一人の姉妹を得るのである。まことに君のホームは僕のホームであり、僕のホームは君のホームである。

  少くも一年ぐらいは彼女と別に住みたいと思ったが、いろいろな事情から、間もなく彼女を迎え入れるべく余儀なくされた。彼女の両親は非常に貧しく、彼女を学校に入れておく力がない。僕の母も目下非常に弱いので、妻を家に迎えることは母にも僕にも大きな助けである。

  さて同室の友よ、重大な問題がある。われわれは生涯の新時期に入ろうとしている。妻というものは、善くすれば今後の生涯に於て決定的な助けとなる。しかし悪くすれば、一大障碍となる。ある日、一人の労働者が小石を積んだ車を引いて坂を登ろうとして、その妻が後ろら助けるのを見た。その光景は夫婦関係の絶好の見本であった。(中略)僕がめぐまれたのが「後押し」なのか、それとも単なる「スネかじり」に過ぎないのかは、実際に当たって見なければ分らない。しかしただこれだけはたしかである。すなわち僕と彼女との関係は「ふしぎ」な事情で成り立ったこと――ふしぎな場所でふしぎに出会い、ふしぎなことから友だちとなり、共にふしぎな試みをふしぎに通り抜け、最後にふしぎな結果にふしぎにつれ来られたことだけはたしかである。――神は僕の長い間の祈りに答えて、僕にとり有益な妻を授けたもうたのであると信じる。兄弟よ、僕のために祈ってくれたまえ。(88~90)

 

第47信(英文 封書) 

 宮部金吾あて。一八八四年(明治一七年)三月二十八日。

  最愛の兄弟、金吾

  もし君が、今夕七時、池之端《長蛇亭》におけるわれわれの結婚式に参列してくだされば、われわれにとり大きな喜びであります。

         君の忠実なる

                J・K・U(ヨナタン内村鑑三

                T・A(浅田タケ)

  親愛なる金吾、これは、君に、われわれが神と人との前に誓おうとする誓に立ち会って貰いたいための招待状である。われわれ二人が、約八カ月前に初めて安中で会って以来の一切の経過に関する話は、いづれ君と語り会う時の話題となるだろう。われわれは事をその進むにまかせ、ついに現在の関係にまで連れてこられた。われわれはこの長い苦闘の間、互に誠実をつくし、その結果疑惑や非難などが次第に立ち消えてしまったことを神に感謝する。世間的の名誉や位地、特に物質上の富なぞは、われわれの心を結びつけた共通の目的ではなく、(神もし許したまわば)神と人とに善をなしたいとの大望が、われわれを互に引きつけた唯一の動機であった。われわれは二人とも、知識では一寸法師、肉体では不具者である。しかし愛する金吾よ、他に何がなくとも、ただ二人のハートのゆえに、われわれを受け入れてくれたまえ。すでに僕は多くの困難や試練が二人を待ちもうけていることに気付いている。しかもそんなものは、一つとしてわれわれを動かし得ず、またわれらの生涯を喜びをもってはせ終わるためには、二人の生命をさえも、われらにとり貴重なものと考えない。

 (中略)結婚式の鐘を聞くまでに三時間しかない。僕は自分の部屋でひとり深い瞑想にふけっている。藤田(藤田九三郎)のお母さんの死がはげしく心を打つ。一人は結婚しようとしているのに、一人は悲しんでいる。しかし僕の結婚は「楽しいこと」ではない。僕にとっては厳かに考えるための貴い瞬間である。願わくはわれら二人が、世の中には家も衣もなくて困っている多くの人がいることを忘れることなく、僕が彼女の手をとって家に帰る時、二人が徒らな喜びに酔うことなく、かく(すなわち、手に手を取って)助けられつつ助けつつ、力づけられつつ力づけつつ、われらのために死にたまえるキリストのために、働かねばならぬ将来に思いをはせ得んことを。(91~92)

 

第48信(英文 封書)

 藤田九三郎あて。一八八四年(明治一七年)三月二十八日。

  (略)終りに、言わせてくれたまえ。最愛の兄弟藤田よ、金曜日夕七時に、長蛇亭における結婚式にご出席下さらば、われらにとり大なる喜びである。

               J・K・U(ヨナタン内村鑑三

               T・A(浅田タケ)

  二伸 後ですぐにもっと長い手紙を書く。(94~95)

 

第49信(英文 封書) 

 宮部金吾あて。一八八四年(明治一七年)三月三十一日。

  僕が一人前の男になってからちょうど三日たった。同室の友よ、新しい結婚生活は確かに喜びと慰めと高い志望に充ちたものである。未来は明るくなり、現在は安らかになった。彼女は今、意気あがり、彼女の「性来の情熱」を抑えるのに相当努力せねばならない。(95)

  僕の持っていた金はほとんど、最後の一銭まで、結婚の費用に使ってしまい、われわれはしばらくすれば餓えに泣くようになるのではないかと案じている。弟に金を送りたいのは山々ながら、愛する兄弟よ、少しの間僕の弟を助けることをお願いできるだろうか。(96)

 

第50信(英文 封書)

 太田(新渡戸)稻造あて。一八八四年(明治一七年)五月十二日。

  たくさん書くことがある。しかし船の中では気分がよくない。ひまの折には僕の家を訪れて、妻に実際的キリスト教について話してやってくれたまえ。どうか彼女に、説教したりバイブル・クラスを教えたりしてキリストのために「働こう」と努める者はたくさんいるが、しかし実例をもって働こうとする者は、重要なだけそれだけ稀れであると話してやってくれたまえ。僕は彼女をすっかり、神の強いみ手にゆだねている。(98)

 

第52信(英文 封書) 

 宮部金吾あて。一八八四年(明治一七年)九月十五日。

  結婚祝いとして素晴らしいお祝品を贈ってもらい、感謝に堪えない。書籍はわれわれ二人にとりきわめて有益で「食後の時」を過す際、たえず伴侶になってくれるだろう。(99)

    弟(内村達三郎)が農学校に入るまでに示された君の愛と親切のすべてに対し、深く感謝する。妻も僕と共に君に心からなる敬意を表する。(100)

 

第54信(英文 封書) 

 宮部金吾あて。一八八四年(明治一七年)十月二十七日。

  さて、友よ、僕自身に関するある非常な事を告白せねばならぬ。さきに、人間性についてたくさん学んだと手紙に書いたが、実は過ぐる八カ月間、わが神以外誰も知らない特殊な苦労をして来た。僕は長い間、その苦労の原因を探し求めたが、何一つ見当たらないので、皆自分自身の落ち度と考えていた。ところが最近に至り、僕の一家の長い間の紛糾の秘密が明らかになった。そして、ああ! 悲しい事に、僕が僕の助け手、慰め手、共働者として信頼していた彼女が悪者――羊の皮をかぶった狼であったことがわかった。兄弟よ、こんなニュースを聞いて驚かないでくれたまえ。僕は全精力を傾けて問題を精しくしらべた。そして四つか五つの証拠によって、上述の事情がはっきりしたのである。こんなひどい打撃の下に立つ僕の立場を、君はたやすく想像できるだろう。善き妻を賜えと祈った祈りは、全部逆の答を得てしまったのである。父なる神よ、そもわれ何をなしたるがゆえに、かくも厳しき罰を受くるにや。われは神に仕えまつらんと望み、わが祈りは汝の栄光をあげまつらんことにこそありしならずや。わが神は耳しいたまえるか。こんな疑問が一時に僕の心をおそい、事実僕は暗黒と失望に押しつぶされてしまった。「主はわれを見すてたもうたに相違ない。この上はもう、わが神に仕えようと努めるには及ばない」――と僕は思った。

  僕は君に事件の詳細は書かない。それは余りにも長くなる。ただこの事だけはハッキリとしておきたい。すなわち僕は、慎重に熟考した結果、問題の真の解決を自分の良心と聖書とに求め、彼女を離縁する決心を固めた。彼女は目下安中に居る。

  兄弟よ、こんな打撃を受けつつある僕に同情してくれたまえ。僕の両親はひどく悲しんでおり、僕も慰める言葉がない。妻の選択に考え無しだった自分をいたく恥じている。しかし僕はそれを神のみ心と考えてしたのだから、この点はドーか同情してくれたまえ。友よ、よし他の人が僕を笑おうとも、僕を信じてくれたまえ。僕が参ってしまわないように祈ってくれたまえ。

  あらしはまだ全部過ぎ去っておらず、一家はその余波に絶え間なく苦しめられ、おびやかされている。この衝撃をさける方法を相談したが、両親と友人たちの一致した意見は、しばらく祖国をはなれて、アメリカかイギリスに安全を求める、ということである。僕はこれに従い、神もし許したまわば、十一月六日横浜を出帆したいと願っている。(中略)僕は所持金を全部売り払った。そして僅か数ドルをふところにして、異国人のまっ只直へ飛び込まねばならないのである。(中略)貧困の中に育ち、幼い少年の頃から家庭的な面倒に打ちひしがれ、健康にめぐまれず、行く手は暗く、ただ外つ国における成功のかすかな希望をいだいて、僕は老いた父と病身の母とを後にのこして行かなければならない。今日までに僕の犯した罪が、かくも多くの悲しみの原因なのだろうか。(101~102)

 人生は――その外の衣は愛くるしくて人の心をひくが――幻影にすぎない。被いをとれば、あらゆる種類の悲しげな動物にみたされた、見るも怖ろしい野獣の動物園である。愛くるしい部分だけを限って見、醜いところを知る要のない者は幸いである。(103)

 

第55信(英文 封書)

  藤田九三郎あて。一八八四年(明治一七年)十一月三日。

  さて、友よ、僕は大洋を渡って、英語国民の国々で生涯を一新する決心をかためるような事になった。こんな冒険的な行動をとるに至った理由はかずかずある。それについては、どうか札幌にいる弟に聞いてくれたまえ。僕はくらべるものもないほどの、クリスチャンにとってのひどい試みにあった。僕が大切に育ててきた希望はすべて砕かれてしまい、家庭事情は実に悲惨な状態に陥ってしまった。こんなひどい打撃の下にある僕の状態は、君には想像もできないだろう。あらゆる圧迫に対する反作用として、数年間故国を離れて、襲いかかってくる衝撃をかわそうと決意するに至った。兄弟よ、君に告げる――僕の妻は悪者でヒツジの皮をかぶった老獪なかオオカミだったのだ。そして、それゆえ僕は彼女と離縁する決心をしたのだ。君も妻を探す時は注意したまえ。(103~104)

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 男と女の間の問題は当事者であってすら明快でない。年譜を見て、わたしは鑑三の最初の結婚と離婚に関して興味を抱いた。どこでどのようにして浅田タケと知り合い、結婚に至ったのか。そしてなぜ半年あまりで破局したのか。鑑三は書簡においてタケとの関係について書いているが、それを読むと、もちろん彼がタケに対して恋情を抱いたことはとうぜんだが、結婚に関しては母親の反対があったことが知れる。母親はタケの賢いこと、学問のあることに懸念を抱いたようだが、もちろんそれだけではないだろう。息子の最初の結婚に無条件で賛成する母親はむしろ稀であり、タケとの結婚に反対した母やその複雑に屈折した心情はよく理解できる。鑑三は母親の反対を押し切ってまでタケと結婚する気はなかったようだから、鑑三なりの説得があったと思われる。が、半年後の離婚は、母親の懸念が的中したと言える。腹を痛めて生み育てた息子の性格など母親はお見通しであったろうから、やそは鑑三とタケとの結婚生活を維持する上での相性に本能的に疑問を感じていたのだろう。

 鑑三とタケの結婚に至るまでの経緯に関しては、鑑三の日記や書簡、それにその事情を知る者の証言などによって知るほかはない。わたしは鑑三に関する研究文献や伝記の類のすべてを読んでいるわけではないが、基本的な情報を踏まえた上で想像力を働かすほかはない。鑑三の母親や父親の証言がそのまま残っているわけではないし、タケ側の証言は全くない(これを執筆している時点で)。タケが鑑三のことをどう思っていたのか、彼女が記した思い出や鑑三宛の手紙など残っているのだろうか。タケは鑑三と出会い、相思相愛の仲になる以前、どのような男を好きであったのか。鑑三と結婚してから、タケが他の男と不義を犯したというなら、それはどういう事だったのか。鑑三が語らず、タケが語らないのであれば、その真実を具体的に知ることはできない。タケが異性関係において奔放だったとしても、それはタケがどのような恋愛観を抱いていたかによって印象はことなる。新しい、西欧風の自由恋愛の信奉者であれば、古い結婚制度などに束縛されることもなく、つまり結婚していても恋愛の自由は自らに認めていたかも知れない。タケが学問もあり、人一倍賢い女だったとすれば、彼女がなによりも自分の自由を尊重していたかも知れない。思いこみの激しい、自我意識の強い鑑三が、結婚したことでタケを自分のものだと思っていたとしたら、日々の生活の中で二人の間に齟齬が生じたとしても不思議ではない。小さな些細なことで齟齬は生じ、それが取り返しのつかない大きなひび割れとなって生活の破綻をもたらすことは別に珍しいことではない。それに男と女の関係において重要なのは性的次元の事である。このことは余りにもプライベートな事なので、当事者はもとより、研究者も無闇に口出しできないことになっている。従って、限りなく想像力を働かして小説にでも仕立てるのでなければ、鑑三とタケの関係を浮き彫りにすることはできない。鑑三が岩野泡鳴並に自分とタケとの性的関係を〈私小説〉風に赤裸々に書いてくれれば、その〈フィクション〉を透かして〈事実〉に肉薄することも可能だろうが、無い物ねだりをしても仕方がないので、わたしは残された鑑三の書簡や日記、伝記を元に想像を逞しくする他はない。

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 正宗白鳥は結婚と再婚に関して次のように書いている。

 

  内村鑑三先生の晩年の門弟であった某氏は、その夫人に死なれるとその遺骨を机上に安置して、生けるが如き思いを寄せて、日常彼女に親しんでいたそうである。傍観者には気味の悪い思いがされるかも知れないが、永遠の生命を信じ死後の復活を予想している人間には、さもあるべき事と思われないでもない。来世に於ける肉体の復活を確信している者が、愛妻に死別した後、再婚を実行することは、不純の行為であるように、私などには想像される。神の国に先着して、夫の来るのを待ち焦れている愛妻を無視して、二度目の妻を娶るのは背信行為ではあるまいか。一旦夫婦となった上は、仏教に謂うところの夫婦は二世どころでなく、永遠生に渡り、幾千億年も契りを結ぶことになるのだから、どちらが一足さきに死んで行っても、残された者は節を守って、他日の再会の期を待つべきであろう。(376~377)

 

 内村鑑三の結婚、離婚、愛妻の死、娘の誕生と死に関して「日本の名著38」所収の年譜で確認しておこう。

 一八八四年(24歳)三月、浅田タケと結婚。十月、事実上の離婚。一八八九年(29歳)七月、横浜加寿子と結婚。一八九一年(31歳)一月九日、第一高等中学校不敬事件。四月、加寿子死す。一八九二年(32歳)十二月、岡田静子と結婚。一八九三年二月、『キリスト信徒のなぐさめ』出版。一八九四年三月、長女ルツ子誕生。一八九七年十一月、長男祐之誕生。一九一二年(52歳)一月十二日ルツ子病死。

 白鳥は「来世に於ける肉体の復活を確信している者が、愛妻に死別した後、再婚を実行することは、不純の行為であるように、私などには想像される」と書いている。わたしも初めて鑑三の年譜を読んだとき、鑑三の三回目の静子との結婚(実は第四回目との説もある。鑑三は一八九一年に築山もと子と三回目の結婚をしていたという説であるが、未だに詳細は明らかにされていない。政池仁『内村鑑三伝 再増補改訂新版』543~544頁参照)には納得のいかないものを感じた。男と女の関係などは私小説風に描かれてさえその実態は容易に分からないのであるから、簡潔に記述された年譜をいくら眺めても具体的な夫婦関係の微妙な綾など浮かびあがってくるものではない。

 それにしても、二番目の妻加寿子を結婚して二年も経たぬうちに亡くし、深い悲しみにあって「愛する者の失せし時」を執筆した鑑三が、翌年には静子と三度目の結婚をしているのはどういうことだろう。静子は『キリスト信徒のなぐさめ』を読んでどんな気持であったろう。静子は愛する妻加寿子を亡くした鑑三の悲しみをよく理解した上で結婚に同意したとしても、亡き妻に対する愛を表明した文章を読む静子の心は決して穏やかではなかったろう。亡き妻の来世での肉体を伴った復活などを信じている鑑三は、加寿子に対してどのような説明をしていたのだろうか。人間の悲しみ、苦しみに敏感なはずの鑑三の、この無神経、無頓着をどのように理解すればいいのだろうか。わたしは率直に言って、加寿子が死んで二年も経たない内に再婚した鑑三を受け入れがたいが、それ以上に静子との結婚二ヶ月後に『キリスト信徒のなぐさめ』を出版しているその無神経が許せない。これはキリスト教信徒とかそうでないとかの問題ではなかろう。

 

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