YouTube革命の時代(中田敦彦・立花孝志)

YouTube革命の時代(中田敦彦・立花孝志) 

2019/09/29 16:03現在、中田敦彦YouTube大学はチャンネル登録者数123万、内容は日本文学では夏目漱石の「こころ」、三島由紀夫の「仮面の告白」、芥川龍之介の「羅生門・鼻・地獄変西方の人」、世界文学ではシェイクスピアの「マクベス」、ギリシャ神話、日本の神話「古事記」、経済界では世界を変えた天才スティーブ・ジョブズジョブズを超える天才イーロン・マスクamazon創業者ジェフ・ベソス、SoftBank孫正義などをとりあげている。その他、世界史、日本史、漫画・アニメなど教材は驚異的に豊富である。
 立花孝志は「NHKから国民を守る党」党首で今や時の人、YouTubeチャンネル「立花孝志」の登録者は49,8万人と参議院選挙当選後、急速な伸びを見せている。立花氏は各界の有能な人たちにコラボを呼びかけているが、特にホリエモン堀江貴文・チャンネル登録者数56,2万)、DJ社長(【レペゼン地球】公式・チャンネル登録者数204万)、メンタリストDaiGo(チャンネル登録者数163万)、ヒカル(チャンネル登録者数346万)などが注目である。有能な大金持ちと、若くて賢い人気YouTuberたちとコラボする効果は絶大である。政治に無関心、または政治家をバカにして投票しない知識人や若者たちに刺激を与えることは間違いない。
 立花氏は日本第一党党首の桜井誠とも対談している。政治的主義主張を超えて対談の場に顔を出す立花氏の姿勢を右翼保守陣営の人たちも見習ってはいかがかと思う。小さな各保守陣営が互いにののしり合っている現状では現体制に揺さぶりをかけることはできない。立花氏の精力的な日々の活動を見ていると、「NHKから国民を守る党」がやがて日本(NIHON)を代表する「N国党」に育っていくのではないかとさえ思えてくる。わたしは個人的にはヒカルが好きなので、彼には政治・経済の分野に関しても大局的な視野に立った活躍を期待している。立花氏がヒカルやDJ社長にいち早く注目する、その政治的センスと積極的なアプローチもすばらしいと思っている。
 わたしは長年、日芸で教鞭をとってきたこともあり、中田敦彦氏のYouTube大学には多大の関心をもっている。中田氏のYouTube活動は、単にYouTube界のみならず、日本の教育現場にも革命を起こすに違いない。中田氏の身振り手振りを効果的に交えた、情熱的な授業・講義は面白く飽きさせない。彼は一日に一本のペースで動画を発信しているが、これは尋常な情熱ではない。しかも彼の動画は毎日コンスタントに1万ずつチャンネル登録者数を増やし続けている。まさに教育界におけるYouTube革命をまざまざと見せつけている。
 大学の大講堂で授業をしても千人程度の受講者しか集められないが、YouTube大学の視聴者は何十万、ものによっては百万を超える。もはや数では、大学の講義はYouTubeにまったく太刀打ちできない。今後、多くの研究者や教育者がYouTubeで発信することになるだろう。わたしは五年前、本格的にYouTubeで講義内容を発信するつもりでいたが、予期せぬ難病におそわれ、その計画をはんば断念せざるを得なくなった。因みにわたしの「清水正チャンネル」の登録者数は89人(笑)である。主にドストエフスキーに関して発信しているが、この人数が意味する現実をしっかりと受け止めてはいるつもりである。
 ヒカルは島田紳助を尊敬し、彼の成功するためには「才能+努力」が必要だという言葉に、更に「時流」を加え、今YouTuberはその時流に乗っているのだと説く。これだけでもヒカルがいかに自分の成功を客観的に冷静に分析しているかがわかる。成功をおさめるためには、才能+努力だけでなく時流に乗ることが必要だということ、これは成功を目指す者にとって金言であろう。
 ところでわたしであるが、わたしは毎日のように原稿を書いて、著書も百冊以上刊行しているが、売れることを考えたことはない。つまりヒカルの言う〈時流〉に乗ることなど考えたこともない。むしろそういったことを軽蔑する傾向にあるので、売れないのが当然なのである。原稿を書くのはいいが、校正は嫌いだし、出した後の営業などはまったくする気がおこらない。従って、本は見事に売れないし、YouTubeの登録者も現在89人にとどまっている。先日、長年わたしの授業を取っている大学院生に確かめたら、出席者の半数にあたる二人が登録していなかった。冗談でそれを責めたら、さっそく2名の登録者が増えた。
 YouTube革命のまっただ中にあって、わたしはチャンネル登録者数が100名を越えることを願って、今度授業で受講者たちにお願いしてみようかと思う。多少は営業もしないとね(笑)。

動画「清水正チャンネル」

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc

 

 

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc

 

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清水正の著作はアマゾンまたはヤフオクhttps://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208で購読してください。 https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208 日芸生は江古田校舎購買部・丸善で入手出来ます。

 

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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

『罪と罰』のソーニャの部屋について話す。七十歳にして志賀先生、初めて『罪と罰』を読むことになるかも。

近況報告

 夏休み明け最初の日藝文士會(9月24日)に漫画家の志賀公江先生久しぶりの参加。

罪と罰』のソーニャの部屋について話す。七十歳にして志賀先生、初めて『罪と罰』を読むことになるかも。

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清水正 志賀公江先生 此経啓助先生

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志賀先生 此経先生 山崎行太郎先生

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

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ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

「動物で読み解く『罪と罰』の深層」の第五回連載を発表。

近況報告

江古田文学」101号が刊行される。

わたしは「動物で読み解く『罪と罰』の深層」の第五回連載を発表。

前半部分を紹介しておく。全編は「江古田文学」でお読みください。

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■〈旋毛虫〉(трихина)

 〈理性と意志を賦与された旋毛虫〉に感染した者は各々が誰よりも自分を正しいと思い、お互いに争いをはじめる。やがてこの〈旋毛虫〉(трихина)の威力は地上世界全般に及び、結局人類は破滅してしまう。この恐ろしい夢をロジオンは監獄の中で見る。
 〈旋毛虫〉は豚の筋肉に潜んでいて肉眼では見えない。顕微鏡が発明されて初めて人間の目にとらえられた。ドストエフスキーはこの肉眼では見えない〈旋毛虫〉に〈理性〉(ум=知能)と〈意志〉(воля=自由)を与えることで、自らの作品に取り込んだ。
 人類を凡人と非凡人の二つの範疇に分け、後者を〈良心に照らして血を流すことが許された存在〉と見なした思弁の人ロジオンはすでに十分〈旋毛虫〉に感染した青年であった。ロジオンはあたかも絶対的な善悪の基準(物差し)を持っていたかのように、アリョーナ婆さんを社会に有害な一匹の〈虱〉(вошь)と見なして〈斧〉(топор)で叩き殺すことを自らに許可した。ロジオンは自らの基準を相対化することはできなかったし、アリョーナ婆さんに対して慈悲のある想像力を発揮することもできなかった。ロジオンが望んだのは自由であり、知力であり、権力への意志であった。
 ロジオンは十九世紀ロシア中葉にペテルブルク大学の法学部へと進学したエリートであり知識人である。ロジオンの知性は論理的に不整合なもの、たとえばソーニャが信じている「なにもしてくれない」〈神〉(бог)を受け入れることはとうていできなかった。極端に言えば、ロジオンの求めたものは神を否定した自由であり、権力の意志である。自由と権力の意志に基づいて生きる最高のモデルとしてナポレオンがあった。ロジオンは非凡人の典型としてのナポレオンの生き方を認め、それを継承する〈英雄〉(иродион)として生きる途を選んだ。しかし、この選択に現実的な自己検証はいっさいされなかった。
 ロジオンは現実の世界において権力を握る〈実際的精神〉(деловитость)のかけらも身につけていなかった。ロジオンは政治や経済に関して初な素人の域を一歩も出てはいなかった。ロジオンは屋根裏部屋の空想家の延長線上において学者や評論家の途が開かれていなかったとは言えないが、実際的精神においてはピョートル・ルージンの足下にも及ばなかった。
 〈旋毛虫〉は様々な性格の持ち主に寄生してその力を存分に発揮するだろうが、真の非凡人ナポレンに感染した場合と、屋根裏部屋の空想家ロジオンに感染した場合を同一視することはできない。が、いずれにしてもロジオンが監獄で見た夢の中に出現する〈旋毛虫〉の効力に変わりはない。夢の中でこの〈旋毛虫〉はあらゆる人間に感染する力を持ったものとして登場している。
 さて、この〈旋毛虫〉は〈神〉(бог)を無条件に信じているソーニャに対してすら感染する力を持っていたのだろうか。ソーニャの淫売稼業は〈理性と意志〉(ум и воля)に基づくものではない。ソーニャが淫売稼業に堕ちなければ、アル中の父マルメラードフ、肺結核の継母カチェリーナ、そして彼女の連れ子三人が路頭に迷うほかはなかった。ソーニャが河に身投げせず、発狂すらできなかったのは、彼女が一家の暮らしを全面的に支えなければならなかったからである。おそらく、未だソーニャは淫蕩の味を覚えてはいなかっただろう。
 私見によれば、ソーニャが真に男と肉体的に結ばれたのはロジオンとの〈嵐〉(буря)の時においてである。淫売婦ソーニャは殺人者ロジオンとの最初のセックスにおいて霊肉一致のエクスタシーを得たということである。このセックスは〈理性と意志〉を超えている。まさにロジオンはソーニャとの霊肉一致のセックスによって〈理性と意志〉を賦与された〈旋毛虫〉の感染力を防いでいる。
 作者ドストエフスキーは〈旋毛虫〉によって人類が破滅したと書いたが、何人かの者は生き延びたとも書いている。その言わば選ばれた者たちは、新しい人の族と協力して血で汚された地上の世界を一新する使命を帯びていたと書かれている。選ばれたる者の中に「愛によって復活した」ソーニャとロジオン、さらに二人をシベリアにまで追っていくラズミーヒンとドゥーニャが含まれていることは容易に想像できる。
 問題は新しい人の族である。彼らは神の国に存在するものであるが、具体的にイメージすることはできない。いずれにせよ、『罪と罰』を書いたドストエフスキーのビジョンのうちに、地上世界における人類破滅後の新しい人間世界の誕生と建設があったらしいことはうかがえる。
 さて、ロジオンの夢の中では〈理性と意志を賦与された旋毛虫〉はその威力を存分に発揮して全人類を破滅させたことになっているが、それから百五十年以上過ぎた今日においても人類は依然として地上世界に生存している。ただし、この生存は核兵器を手にした人類のもとでかろうじて保たれているに過ぎない。大国間において核兵器が使用されれば、間違いなく全人類は破滅の淵に追いやられることになる。〈理性と意志〉は人類を破滅に導く核兵器を製造するまでに至ったが、同時にこの〈理性と意志〉が核兵器の使用を抑制していることも事実である。人類はかろうじて〈理性と意志を賦与された旋毛虫〉の働きをコントロール下に置いているが、いつ、どこでこの〈旋毛虫〉が暴発的威力を発揮するかは予断を許さない。
 人類は火を手に入れて以来、火の多大なる恩恵に授かってきたが、同時に火の破壊的な力に脅かされてきた。今、火は核兵器にまで成長し、一歩間違えれば確実に人類を滅ぼす怪物的存在となっている。核兵器廃絶が叫ばれて久しいが、その願いが国家権力の中枢部に届いているとは思えない。人類は集合的無意識の次元で、存続願望を装いながら実は決定的な破滅をこそ願っているのではなかろうか。
 すべてのドラマには初めと終わりがある。人間は幕の降りない芝居を見続けることはできない。劇場に集まった観客の誰もがドラマの終焉を願っている。人類がこの地上の世界において永遠に生存し続けることが善とは言い切れない。自然は人類を誕生させ、そして終焉をぬかりなく用意している。人類が〈理性と意志を賦与された旋毛虫〉に感染するのが必然であれば、破滅もまた必然ということになる。ドストエフスキーはこの〈旋毛虫〉の感染を逃れた数人が生き延びたとしているが、この数人は果たしてどのような新世界を造り上げていくのだろうか。
ところで、〈理性と意志〉のない人間を、はたして人間と呼べるのだろうか。人間が人間として生きるとは、地上世界での喜怒哀楽を享受することであって、人間社会から悲しみ苦しみを排除してしまえば、もはやそこに人間のドラマはない。『罪と罰』に限っても、この世界にはソーニャのような信仰者が、理性と意志に支配された思弁家ロジオンが、すっかりおしまいになってしまったポルフィーリイ予審判事が、故妻マルファの〈幽霊〉(привидение)を視ることのできる〈現実に奇跡を起こす人・神〉(чудотворец・провидение)スヴィドリガイロフが、愛と赦しの神を信じる酔いどれマルメラードフが、熱くも冷たくもない金勘定優先のルージンが……各々の生を生きている。良いとか悪いとかの問題ではなく、各々の人間が自分の与えられた役割を存分に発揮して生きているということである。
 人類が滅びた後、再び人類が誕生したしても、人類が人類である以上は、同じような世界を構築するに違いない。わたしは、愛によって復活したというロジオンの新生活にいかなる〈幻想〉も抱くことはできない。ロジオンもまた〈現実〉を生きるべきであって、〈幻想〉に生きるべきではない。ロジオンとソーニャの〈愛による復活〉を用意したのは〈奇跡を現実的に起こした人〉(чудотворец)スヴィドリガイロフであったことを忘れてはならない。作者ドストエフスキーはロジオンを〈現実〉から〈信仰〉(вера)という〈幻想〉(фантазия)へと飛躍させたが、この飛躍そのものが〈幻想〉に見える。
 生きるということは地道なものだし、〈理性と意志〉に基づく堅実な生き方がある。この日常的な堅実な生の現場から、〈旋毛虫〉について考えてみる必要もあろう。
〈旋毛虫〉に感染すると〈理性と意志〉が本来の力を発揮することができず、宿主を発狂状態に追い込み、その結果、宿主が自分を誰よりも正しく優れた者と思いこみ、他の者を徹底して排除する。――ロジオンが監獄で見た夢の中の〈旋毛虫〉はこういった類のものではない。
 ロジオンの〈旋毛虫〉(трихина)は飽くまでも〈理性と意志を賦与された旋毛虫〉であり〈精霊〉(дух=魔)なのである。果たしてこの〈旋毛虫〉〈精霊〉は今までどこにも存在しなかった、あるいは発見されなかったものなのであろうか。豚の筋肉の中に潜む〈生物〉(существо)としての〈旋毛虫〉は十九世紀になって発見された。その意味ではこの〈旋毛虫〉は一微生物の域の中におさまるが、〈精霊〉(дух=魔)となれば異なった意味を持つ。
 自分を唯一正しい存在と見なすのは一神教の神にほかならない。この神は異教徒の殲滅を命じる絶対者であり、自らの唯一絶対性を微塵も疑わない。その意味ではロジオンの〈旋毛虫〉は一神教の神と同じ力を宿主に促していると言えよう。異なる点は、一神教の神は異教徒に対して容赦なく殲滅を命じるが、〈旋毛虫〉の場合は自分以外のすべてのものの殲滅を促すことにある。しかし、同じ神を敬い信じるキリスト教徒とイスラム教徒の壮絶な闘いの歴史を省みれば、一神教の神と〈旋毛虫〉は限りなくその同質性を晒すことになる。
 ユダヤキリスト教界に限らず、仏教においても法華経の唯一絶対性を主張して他のあらゆる宗派の殲滅を願う日蓮宗は〈旋毛虫〉と同様の力を内在している。日蓮宗各派の自己主張は凄まじく、その闘いの様相を目の当たりにすると、ロジオンの夢の中の〈旋毛虫〉の威力を感じざるを得ない。宗教における神や教典の唯一絶対性を信じて他を排斥する者は、〈旋毛虫〉に感染した者と同様の恐るべき狂気的な行動に駆られ、全人類の壊滅を招くことになる。彼らは各自の唯一絶対性を俯瞰的に眺めて、絶対を相対化することを知らない。
 自らの唯一絶対性を相対化すれば、たちまち絶対は絶対の座から追放されることになる。一神教の信徒や日蓮宗の信徒たちが自らの唯一絶対性をどこまでも貫こうとすれば、彼らは他を殲滅するまで闘い続けなければならないことになる。論理的には最終的に勝利したただ一人が生き延びることになる。が、生き延びたただ一人が、信奉する唯一絶対性に帰依することにいったいどんな意味があるだろうか。今日の政治、宗教状況を一瞥するに〈旋毛虫〉に感染した者もまた、その威力を十全に果たしているようには思えない。
さらにロジオンの夢で注目したいのは、理性と意志を賦与された〈精霊〉(дух=魔)が〈旋毛虫〉(трихина)という〈生物〉(существо)として人間の肉体に感染するという点である。〈精霊〉という本来、〈生物〉の範疇に属さないものが〈旋毛虫〉という肉体を獲得して出現することが面白い。これは本来、姿のない〈神〉(бог)がイエスという人間の姿を装って地上世界に現出することを思わせる。
 生前のイエスの場合は、特定の能力を備えた者にしか見えないということはなかった。イエスを神のひとり子と信じる者は極めて稀であったが、彼は誰の目にも〈人間〉に見えた。
 『罪と罰』の中では、狂信者ソーニャはイエスを神の子と見ていたであろうが、作者はこの点について明確に記していない。おしなべて『罪と罰』で問題になっている神は新約のイエス・キリストであって、試み、呪い、裁き、罰する旧約の神ではない。マルメラードフが地下の居酒屋でロジオン相手に饒舌に説いた愛と赦しの神はどこから見ても〈新約の神〉イエスである。ソーニャやリザヴェータが観る〈幻=видение〉も新約の神イエスであって、厳しく試み罰する旧約の神ではない。
 子なる神イエスは父なる神を絶対的に許容する者として振る舞いながら、時にヨブ的な懐疑と不信の言葉を父なる神に発している。イエスは未だ試み裁く父なる神を完全に超克できずにいる。その意味でイエスは旧約の神の幻影を引きずらざるを得ず、未だ完全な〈新約の神〉として自立できていない。
 ドストエフスキーはイエスをこの世界に現出した完全に美しく、合理的で、理性的で、完璧な唯一の存在と認めたが(一八五四年二月のフォンヴィージナ宛の手紙参照)、これはイエスの内部に秘められた父なる神に向けての懐疑と惑い(「ゲッセマネの祈り」やマルコ福音書15章が伝える十字架上での最後の言葉「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨て給うのか」)を無視しているとしか思えない。

 ドストエフスキーは真実美しい人間の具現化を目指して『白痴』のムイシュキン公爵を創造したが、彼が理性的で男性的な美しい人間とは思えない。ムイシュキンは他者の苦しみや悲しみに敏感に反応する青年だが、他者と共に苦しみ悲しむことはできても、他者をそこから救いだすことはできない。ムイシュキンは福音書に描かれたイエスよりもはるかに無力な青年で、いかなる奇跡を起こすこともできない。ドストエフスキーはムイシュキンをあくまでもひとりの人間として描いている。
 ムイシュキンはナスターシャが胸深くに秘めた悲憤を、彼女の傲岸不遜な振る舞いによって看過することはない。ムイシュキンが他者に向けるまなざしは〈悲しみ〉や〈怒り〉を見逃すことはない。が、そのことが救いの力になるとは限らない。ムイシュキンの果てしない〈同情・憐憫〉(сострадание)は他者をさらなる悲しみと苦しみに追いやることになる。

「同時代音頭」創刊号の紹介

 

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近況報告

「同時代音頭」創刊号の紹介

今年四月から日芸の専任教授職を離れ、非常勤講師として週二回ほど江古田校舎に通っている。一年ほどかけて研究室の本を片付けたが、未だに終わっていない。本を整理しているとすっかり忘れていたような本や雑誌が書棚の奥から出てくる。今回はそのうちの一冊を紹介したい。昭和56年6月に刊行された「同時代音頭」創刊号である。この年はドストエフスキーの没後100年にあたる。この号に小柳安夫氏が「同時代文学としての『分身』」を載せている。この論文はわたしの「意識空間内分裂者による『分身』解釈」についての先鋭的な論文でもある。未だこれを超えるものはないと言ってもいいだろう。わたしが助手の頃、小柳氏はまだ学生であったが、彼は江古田文学の学生編集者としても活躍していた。研究室の本を整理していて、この雑誌がひょっこり顔を出したので段ボール箱には詰めず、カバンに入れて持ち帰った。再来年の2021年はドストエフスキーの生誕200年である。今執筆しているものなどをまとめ、「清水正ドストエフスキー論全集」第11巻を刊行しようと考えている。

 

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「同時代音頭」創刊号奥付

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この本はわたしが25歳の時に私家版で刊行したもの。カバー表紙絵はわたしが描いたもの。限定一部。石油ショックで紙代が高騰。当時100万円もかけて刊行したものだけに、この本に対する思いはいろいろある。大学3年4年時にかけて書いたものを収録。『分身』解釈は半年ほど何も書けない状態を挟んで書き上げた。電車の中でノートをひろげ、書き続けることでスランプを脱した。ゴリャートンの狂気を最も身近に感じていた二年間であった。この当時、江古田にこんなに多くのカラスが生息しているのかと思うほど、いつもカラスの鳴き声が聞こえていた。サブタイトルの「狂気と正気の狭間で」はハッタリではない。若いころにドストエフスキーを読むということは精神の危険な領域に呑み込まれかねないのである。「地下生活者の手記」を読んでから53年の歳月が過ぎ去った。今『罪と罰』について書き進めているが、こんなに面白い作品はない。日々発見がある。恐るべき作品である。19世紀ロシア文学は人類の宝である。わたしはかねてより「ドストエフスキーを読まずして文学をかたることなかれ」と言ってきたが、ちかごろの政治・経済分野での評論家には「ドストエフスキーを読まずして政治・経済を語るなかれ」と言いたい。文学、哲学を置き去りにした国家はやがて滅びる。人間の抱え込んでいる闇の深さを凝視することなく、浅薄な正義論を振りまいても詮方ない。人間探求──特に若い人たちには、妥協なき人間研究をすすめてもらいたい。自分の頭と心を使って考え抜くこと。その先に明るい未来が待っている、などという浅薄なことを〈文学〉や〈芸術〉は言わない。

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清水正の「意識空間内分裂者による『分身』解釈」は丸二年間をかけて執筆。1973年12月に書き終えた。『清水正ドストエフスキー論全集』第9巻に収録してある。

 

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

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ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

動物で読み解く『罪と罰』 の深層の執筆を続けている。

近況報告

動物で読み解く『罪と罰』 の深層の執筆を続けている。

今年中に書き終えるかどうか。

 

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わたしはヒカルの実業家としての才能と男気に惚れている。

24日に「中田敦彦You Tube大学」について書いたが、今回はヒカルについて。昨日ヒカルの動画『「はい、ミニトマト100万円ね!」とノリで言う八百屋のおっちゃんにガチで100万円渡したら面白すぎたww』を観た。内容も面白かったが、八百屋の若い二人が「yao TUBE」を開設していて、ヒカルにコラボをお願い、その条件が3万の登録者越えということであった。それまで「yao TUBE」の登録者は180人であった。はたしてどこまでのびるのか、楽しみにしていたが、あっという間に3万を越え、本日午後五時の時点で5万8千人を越えている。人気ユーチューバー・ヒカルの影響力の大きさを改めて感じた。ヒカルのチャンネル登録者は340万人、「ミニトマト100万円ね」の動画視聴回数は205万を突破している。立花孝志参議院議員の動画もそうだが、まさに現代はユーチューブ革命の時代に突入していると言える。

https://www.youtube.com/watch?v=1IGKGY5TN7s&t=183s

 「yao TUBE」も観たが、ヒカルと同世代の若い二人の野菜動画もさわやかな印象を持った。日本の農業に従事する人々を訪ね、その現場を取材することは、若い人たちに農業の面白さとやりがいを発見させることになるだろう。こういった動画は真に日本に革命をもたらす力となる。言葉だけで、大きな声で、改革を叫ぶよりは、こういった一見地味な、地に足の着いた活動が説得力を持つ。わたしは「yao TUBE」のふたりを心から応援したく思う。またヒカルはまれにみる頭の切れる男で、きっぷもいいし、男気のある青年で、金の有効な使い方を知っている。金を貯めるだけ貯めて、有効に回すことのできない愚かな金持ちは単なる愚か者である。わたしはヒカルの実業家としての才能と男気に惚れている。「yao TUBE」とのコラボは現代の日本に一筋の光明を差し込む一つの大いなるきっかけとなるに違いない。

https://www.youtube.com/watch?v=fOUBY3uAdtg

「中田敦彦のYou Tube大学」を発見。「銀河鉄道の夜」の名解説。

中田敦彦You Tube大学」を発見。「銀河鉄道の夜」の名解説。

https://www.youtube.com/watch?v=vi784xrdH5w

本日、「中田敦彦You Tube大学」を発見した。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の解説前編後編を観たが、なかなか面白かった。前期「雑誌研究」では賢治の「オツベルと象」「どんぐりと山猫」などを講義したが、夏休み明けではすぐに「銀河鉄道の夜」を取り上げる予定である。受講生はぜひこの中田氏の解説を観ておいてほしい。