近藤承神子 清水正さんとの縁

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ドストエフスキー曼陀羅」特別号から紹介します。

 

清水正さんとの縁
近藤承神子

 

私が清水さんと最初に出会った頃のことは、清水さんが著 作の中で再三記述されている。その後のことも、私と係わり のあったことは、義理堅く記録に残して下さり、有難い。私 の記憶は正確でなく、清水さんの文章によって甦る場面を私 は反芻するばかりで、そこは違うと訂正することは全くな い。
 
ざっと項目を並べてみれば、ドストエフスキーの会の発表 者に近藤が清水さんを推薦したこと、近藤が司会をしたこ と、その印象記を近藤が会報に記述したこと、書店に清水さ んの著作『ドストエフスキー体験』を出版するよう斡旋した こと、つげ義春のサイン入りの一冊を清水さんが近藤から受 け取ったこと、その後、「江古田文学」につげ義春特集を組 んだ時「清水さん自身によるつげ義春批評がない」と近藤が嘆いたこと等であろうか。
 
私が特に清水さんに感謝していることは、清水さんから声 をかけていただき、「江古田文学」の表紙絵を数点掲載して いただいたことである。批判の声も聞こえたが、私としては 会心の作で、パネルに貼って友人に見せ自慢したことがあっ た。
 
清水さんがまだ大学生であった頃だと思うが、当時の拙 宅、都営住宅の三畳間に寄っていただいて明け方まで語り 合ったことがあった。勿論私はもっぱら聞き役、清水さんが 放出するエネルギーを漏らさず受け止めるだけで精一杯で あった。
 
その場のことで一つだけ印象深く覚えていることがある。 それは、ユトリロムンクの絵を見比べながら、私が、ムンクは正常、ユトリロは精神を病んでいる人の絵だと断じたと ころ、清水さんは驚き「怖い」と漏らして画集を繰っていた ことである。その後私の意見に異論を持たれたかどうか、関 心を失ったのかどうか、話題にしたことはないが、清水さん が怖いと漏らしたことにより、知ったかぶりをして断定した 私自身、画集の絵から妖気が浮いてくる気がしてぞくっとし た記憶は忘れ難い。
 
いずれにせよ、清水さんの批評対象はドストエフスキー一 人に限ったことではない。人間の神経にかかわる作品があれ ば関心を寄せ、批評の対象とする可能性がある。洋の東西を 問うことはあるまい。つまり清水さんは、日本と世界に唯一 の清水流批評体系を創造された方である。
 
その清水さんが任期を終えて教授職を引退なさるというこ とであるが、黙って野に下る姿を見ていろというのか、誠に もったいない。
 
常識と規律の約束ごとを守ることは大切であるが、歴史を 見ればわかるように、「超」の付く一流を枠にはめることは 大きな誤りである。考えるまでもなく損失である。
 
今、ハワイの島で生活圏の地面を割って溶岩が噴出してい る。私はその報道画面を見ながら、清水さんを思う。清水さ んの集中力と持続力の格の違いを常に意識して七十八歳の今 日まで生きてきた私に、次の言葉を語る資格はないかと思う が、言わせてほしい。
 
清水さんの噴出するエネルギーは、教室を職場を去ったか らと言って止まるまい。溶岩が冷えるように清水さんの情熱 が冷えるということは想像できない。
 
清水さんが発する言葉に対して、反発であれ、誤解であ れ、共感であれ、畏怖であれ、青少年の若く熱いエネルギー がぶつかってほしい。ぶつかり火花を散らしてこそ、結実す る結晶がある。それを生産できる芸術学部であってほしい。 大学は、いつまでも教授と学生双方が発散するエネルギーの 衝突する場、そんな機会を提供する場であってほしいと願 う。
 
清水さんと縁のあったことは、私の生涯の事件であり、幸 福な財産である。感謝して感謝し過ぎることはない。
 
ありがとうございました。

(こんどう・たかし   アナトミカル・デッサン会会員)

戸田浩司  芸術学部図書館長・清水正先生の思い出(2)

 

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 芸術学部図書館長・清水正先生の思い出(2)

 戸田浩司

 

●清水先生との思い出その二
 芸術学部図書館長時代~
 
二〇一一年三月に私は人事異動で日芸図書館に配属され清 水先生と共に図書館運営に携わった。当初から先生は私にド ストエフスキー作品を、中でも特に『罪と罰』を読むよう薦 めた。私は日芸図書館に所蔵されていた『罪と罰』(江川卓 訳、岩波文庫二〇〇九年発行)を初めて読んでみた。登場人物の名前が長くて覚えにくいうえに上、中、下巻のそれぞ れが長くて(厚くて)、読み終えるまでにどのくらい時間が かかるのか見当もつかなかった。実際に読了までどれくらい 時間がかかったのかを調べるため過去の貸出記録をみたとこ ろ、上巻を借りていたのは二〇一一年の十二月九日から翌年 の一月十六日までであった。上巻の読了に一か月以上もか かっていたことになる。中巻も一月十六日から二月二十日ま で借りていたので一か月以上かかっている。しかし下巻の借 用期間は二月二十日から三月二日までだったので約十日間で 読み終えたことになる。下巻は三巻の中で決してページ数が 少ないわけではない(むしろ最多)ので、下巻に入った頃に は登場人物の名前にも慣れ、作品に対する抵抗感がほとんど なくなっていたのかもしれない。結局は読了までに三か月を 要したわけだが、強烈な読後感として残ったことが一つあっ た。それはラスコーリニコフがアリョーナとリザヴェータの 姉妹を殺めたくだりを読んでいたときのことだった。普段は 決してそんなことを思うことはないのだが、なぜか自分も人 を殺してしまうのではないかという忌まわしく恐ろしい錯覚 に陥った。特別なきっかけがあったわけではなく、また作品 を通して決定的な擬似体験があったわけでもない。なぜそん な感覚に捕らわれたのか自分でもさっぱりわからず全く不思 議としか言いようがない。清水先生はよく「文学は恐ろし い」と言われるが、これもその一面なのであろうか。とにかく理解しがたい不思議な体験であった。

●図書館長としての歩み

ここで清水先生の芸術学部図書館長としての歩みを振り 返ってみようと思う。
①図書館長の任期
 
清水先生は二〇一〇年十二月一日から二〇一六年九月二十 四日まで五年十か月にわたり第十二代芸術学部図書館長(二 〇一六年四月一日からは「日本大学図書館規程」改正に伴い 「図書館分館長」に改称)の任に当たられた。歴代の芸術学 部図書館長としては二番目に長い在任期間であった。

②「顔の見える図書館」運営
この言葉は私が日芸図書館に異動して間も無く清水館長か ら発せられた言葉である。「これからは『顔の見える図書館』 として運営していこう」と私が着任して早々のミーティング で言われたものと記憶している。着任前の日芸図書館の様子 や状況は前任者から引継ぎを受けていない(突然の依願退職 だったことによる)ため正確に把握することはできなかった が、館長曰く「カメラを図書館スタッフに向けてもすぐ顔を隠したり背けたり」することが日常(館長は当時ほぼ毎 日「清水正ブログ」を更新していたのでそのための撮影)で あった。また教職員 ID カードを着用していない人が多かった のでそのような現状を憂えて「顔が見えるように」との考え からのモットーかと思っていたが、後に館長が綴ったブログ 記事でその言葉に込められた意味を読み取ることができた。 それは「だれがどのような仕事をしているのか。どのような ビジョンを持って与えられた仕事を遂行するのか。自らの仕 事に情熱を持って臨むこと、そうすれば日芸の図書館の独自 的な姿もおのずから立ち上がってくるであろう。」(「顔の見 える図書館運営」二〇一一年三月十七日   清水正ブログ)と いうことであったのだ。やがて「顔の見える図書館」の意図 が徐々に館内に浸透し、今ではカメラを向けられても顔を隠 したり背けたりするスタッフはほとんどいない。
 
このモットーが数字となって表れた出来事があった。日本 大学では「学生生活実態調査」という調査を三年ごとに実施 しているがその中に「施設についての満足度の比率」という 調査項目がある。二〇一五年度におこなった調査において、 日芸図書館に対する芸術学部学生の満足度が非常に高いとの 報告があった。図書館に対する設問は、⑴設備・雰囲気、⑵ 蔵書内容、⑶開館時間、⑷閲覧・貸出システム、の四項目で この四つ全ての設問に対して芸術学部学生の「とても満足」、 「どちらかといえば満足」と回答した人の割合が八〇%台にのぼったとのことであった。ここまで満足度の高いことを示 した学部は日本大学十四学部(当時)の中で生物資源科学部 と芸術学部のみだったことが報告されている。参考までに過 去四回の調査の結果、図書館に関する四つの調査項目におけ る十四学部中の芸術学部順位は次のとおりであった(上から 二〇〇六年度、二〇〇九年度、二〇一二年度、二〇一五年度 の順)。
⑴図書館の設備・雰囲気
 六位→四位→四位→一位
⑵図書館の蔵書内容
 十四位→九位→四位→二位
⑶図書館の開館時間
 七位→五位→二位→一位
⑷図書館の閲覧・貸出システム
 七位→六位→二位→一位
「顔の見える図書館」運営の意識のもと、日頃の業務に対 する図書館スタッフの努力と誠実な対応とが反映された結果 だった。図書館事務の管理者としてこの結果を大変誇りに思
うと同時に、館長を始めとする日芸図書館関係者全員にとっ て喜ぶべき出来事であった。

③清水館長語録
 共に仕事をさせていただいた中で館長から度々聞いたフ レーズを思い返してみようと思う。
 
⑴「仕事は緻密に、スピーディーに、情熱をもって!」
 
この言葉も館長と共に図書館業務に就いて間もない頃に言 われたものと記憶している。緻密さとスピードとを両立させ ることは仕事を進める上で常に悩みの種となる。どちらかを 優先させるとどちらかがおろそかになる。それを両立させる には「情熱」が欠かせないことを館長は伝えたかったのだろ うと思う。
 
⑵「労働ではなく仕事をしよう」
 
館長は「時間が来ればそこで終わりにする」のが労働であ り、一方、仕事とは情熱を傾けて一所懸命に取り組むものだ と常日頃から私たち図書館スタッフを励ました。言葉の持つ 正確な意味を問い直すというよりも、何事も情熱を持って緻 密かつスピーディーに行うべし、と言いたかったのではない かと。その三要素を持って仕事に取り組んでいるか、今も清 水館長の言葉が常に私に問い続けている。
 
⑶「来年の事を今考えていたら間に合わない、今は再来年 のことを計画する」

清水館長が図書館長に就任されてから図書館主催の展示会 を多数開催するようになった。さらに展示会だけではなく図 書館発行のカタログ誌や活動誌も多く刊行するようになっ た。それらの企画はすべて館長の発案によるもので、展示会 と刊行物が効率よくリンクされている。すなわち展示会を開 けばその記録としてカタログ誌を刊行する。これらの企画は 次々に具体化され実現されていった。その企画を打ち出すと きによく聞いた言葉が冒頭の言葉である。館長の頭の中は常 に一歩先を行っていた。明確な目標を定め、ゴールを示して くれたおかげで私としては先々の計画と予測が立てやすくな り、結果として楽しみながら仕事に取り組むことができた。 ちなみに清水館長在任期間中に開催した企画展ならびに図書 館が発行した刊行物の詳細は次のとおりである。

1 企画展
 ~芸術資料館~
 
①「実存ホラー漫画家・日野日出志の現在」展
 二〇一二年六月二十六日(火)~七月二十日(金)
②生誕一一〇年記念「世界文学の中の林芙美子」展
 二〇一三年六月二十五日(火)~七月二十六日(金)
③「〇型ロボット漫画の源流」展
 二〇一四年六月十七日(火)~七月二十五日(金)
④エロスとカオスとファンタジー曼陀羅宇宙
畑中純 の世界」展   二〇一五年七月七日(火)~七月三十一日(金)
⑤ホラー漫画家「犬木加奈子の世界」展

 二〇一六年六月二十一日(火)~七月二十九日(金)

2 企画展
 ~アートギャラリー~
 
①「林芙美子の芸術」展
 二〇一一年十月一日(土)~十月二十一日(金)
 
②「日本のマンガ家
日野日出志」展

  二〇一二年十月二十 三日(火)~十月三十一日(水)
 
③「日本のマンガ家
つげ義春」展
 二〇一三年十月九日(水)~十月二十八日(月)
 
④「写真家 熊谷元一」展  
二〇一五年六月二日(火)~六月十六日(火)

3 刊行物
 
林芙美子関連カタログ二誌
  
⑴『林芙美子の芸術』(二〇一一年十一月十日発行)

⑵『世界の中の林芙美子』(二〇一三年十二月十日発行)

 ②日本のマンガ家シリーズカタログ五誌

 ⑴『日本のマンガ家   日野日出志』(二〇一二年十月十五 日発行)
  
⑵『日本のマンガ家つげ義春』(二〇一三年十月一日発行)
  
⑶『〇型ロボット漫画』(二〇一四年十二月二十日発行)
  
⑷『わたしが魅せられた漫画』(二〇一五年九月二十日発 行)
  
⑸『日本のマンガ家 畑中純』(二〇一六年八月十五日発行)
 
芸術学部図書館活動誌『日藝ライブラリー』三誌
  
⑴第一号「特集:大学図書館」(二〇一四年十二月二十 日発行)
  
⑵第二号「特集:展示」(二〇一五年九月二十四日発行)
  
⑶第三号「特集:日本大学芸術学部創設者  松原寛」(二〇一六年七月七日発行)
 
④『日藝・図書館案内』四誌
  
⑴〈二〇一一夏号〉「特集:林芙美子」(二〇一一年七月 十五日発行。二刷は二〇一一年八月二十日発行)
  
⑵〈二〇一二冬号〉「特集:日野日出志」(二〇一二年十 一月二十日発行)
  
⑶〈二〇一三秋号〉「特集:林芙美子」(二〇一三年十月 二十日発行)
  
⑷〈二〇一四冬号〉「特集:つげ義春」(二〇一四年二月 二十日発行)
 
⑤「林芙美子をたずねて
ウォーキングマップ   日本大学芸術学部  林芙美子記念館」(二〇一一年八月二十三日発行)
 
こうして眺めてみると清水館長在任期間のおよそ五年十か 月でよくこれだけのものを生み出したとあらためて思わされ る。もちろん館長はこれとは別にご自身の研究テーマである ドストエフスキー宮沢賢治に関する著作を数多く発刊して いた訳であるから、その執筆にかける情熱の深さは計り知れ ない。
 
さて前述の図書館企画展の開催や刊行物発行にあたり私も 何かと関わったので、思い出を少し述べたい。
   
二〇一一年九月二十一日の水曜日、私は翌月から学内施設 「アートギャラリー」で開催する「林芙美子の芸術」展の準 備をしていた。展示会では手塚緑敏(後に林芙美子と結婚し た林緑敏)氏の絵画を展示の目玉の一つに予定していた。画 家であった手塚緑敏はまだ作家として芽が出ていなかった芙 美子と結婚後しばらくは看板画を描いて生計を立てていた が、やがて芙美子の作家活動が本格的になるにつれて彼は画 業より芙美子の仕事を優先させ、彼女の執筆活動を陰から支 える役に回った。そんな緑敏は一九八九年に没したが、その 後遺品整理をしていた林福江氏(芙美子の姪。のちに緑敏と 結婚)が自宅近所の方に緑敏の独身時代の絵画を二枚譲った ようだ、との情報を清水館長は事前の取材で得ていた。その 「近所の方」を訪問し林芙美子に関する展示会の趣旨を説明したところ絵画貸出の快諾をいただいていたので、その借受 けのため二十一日の午後二時半に私が訪問する約束をしてい た。しかし当日は折しも台風十五号が接近しており間もなく 関東地方に上陸しようとしていたためその日の借受けは断念 しようと思っていた矢先だった。清水館長から「今日は絵を 借りに行く日でしたよね」と電話が入った。その確認に対し て私が、天候悪化のため借りに行く日を延期してもらうつも りです、と答えたところ電話の向こうの様子が一変した。曰 く「戸田さん、この機会を逃したらもう再び来ないかもしれ ないのですよ。相手が心変わりしたらどうするのですか。約 束どおり今日借りて来てください」と静かに語りつつも厳格 な言葉が返ってきた。清水館長の林芙美子に対する強い思い がそうさせたのか、あるいは人との約束を天気の良し悪しご ときで簡単に変えていいわけがないとの信念からなのか、そ の真意を理解せぬまま私は雨風強まる中タクシーを学部に呼 んで、新宿区中井のとある場所まで向かい、タクシーをその まま待たせて急いで借受けする緑敏の作品二点を緩衝材とビ ニールにくるみ、待たせてあったタクシーに再び乗り込ん だ。幸い作品の積み降ろし時には雨が小止みになっていたの で作品を全く濡らさずに運搬することができた。無事に運び 終えたところで思ったことは、今やるべきことに何かと言い 訳をつけて先延ばしにしがちな私自身の性格であった。そん な私の行動傾向を清水館長は見抜いていて確認の電話を入れてこられたのではなかったか。それ以降、〝一期一会〟の教 訓を意識するようになり今に至っている。
 
刊行物を発行するにあたってはそれまでに積み重ねた取材 内容の厚みや執筆者の選定、さらには刊行の趣旨などがとて も大事な骨組みとなっていくように感じた。たとえば林芙美 子関連カタログ誌の制作過程では芙美子ゆかりの地、信州・ 上林温泉にある老舗旅館「塵表閣」や同じく信州の手塚緑敏 氏のご親族の住むご家庭に芸術学部の所有するワンボックス バンを走らせたり、新宿区立新宿歴史博物館や同区中井の林 芙美子記念館、果てはインドネシアまで足を伸ばしてインド ネシア大学や同国立図書館などを訪問したりした。もともと は林芙美子研究プロジェクトなるものが清水館長を中心に進 行していたので、館長はここには書ききれないくらい日本と 海外の芙美子ゆかりの地を訪れていて、私が同行した取材の 前に既に大量の記事の蓄積と検証が済んでいたと思われる。 それでも私はこのようなフィールドワークに同行したのは初 めてだったので、不遜ながら「大人の遠足」気分で楽しませ ていただいた面もある。最後に図書館として初めて学部長指 定研究に二回採択された内容を記しておこうと思う。当然の ことながらこれも清水館長のリードによって採択されたもの である。

①二〇一一年度学部長指定研究課題「林芙美子の芸術を文 学・絵画・写真・演劇などの側面から多角的に検証する」 メンバー:【研究代表者】清水正、【研究分担者】高橋則英、 中村文昭、中島忠家、山下聖美、戸田浩司 研究の目的「芸術学部所蔵の貴重図書を中心とした総合的カ タログ『林芙美子の芸術』を作成し学内外に広く日芸図書館 の仕事を発信するとともに、同年に開催される『芸術学部創 設九〇年記念式典』に少なからず寄与する」
②二〇一三年度学部長指定研究課題「林芙美子の芸術を多角 的に検証・発信し、世界文学の中に林芙美子を位置づける」 メンバー:【研究代表者】清水正、【研究分担者】田島良一、 高橋則英、中村文昭、穴澤万里子、山下聖美、戸田浩司 研究の目的「林芙美子の芸術を各分野の研究者が多角的に検 証を進めること、林芙美子関連貴重資料を基にカタログ誌を 作成し研究成果を広く世界に発信することにより世界文学の 中に林芙美子を位置づける」
(とだ・こうじ  日本大学芸術学部図書館事務課長)
 

戸田浩司 芸術学部図書館長・清水正先生の思い出(1)

 

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ドストエフスキー曼陀羅」特別号から紹介します  

芸術学部図書館長・清水正先生の思い出(1)
戸田浩司

 

●清水先生との思い出その一 
~文芸学科主任時代~
 
あれは二〇〇二年二月頃のことだったろうか。庶務課にい た私は当時文芸学科主任の清水先生の研究室にうかがったこ とがあった。その頃の私は業務における清水先生との接点は ほとんどなかったが、確か用件は書類への押印依頼だったよ うに思う。先生は特にその風貌の点で圧倒的な存在感を放っ ていたので、こちらとしては少し緊張して相対したように記 憶している。用件を手短に済ませ早々に「失礼します」と 言って先生の研究室を退出しようとしたその時、突然呼び止 められ「この本を差しあげますからぜひ読んでみてくださ い」と手渡されたのが『宮崎駿を読む:母性とカオスのファ ンタジー』(清水正著、鳥影社二〇〇一年発行)だった。表紙には宮崎駿の作品「千と千尋の神隠し」に登場するカオナ シが、黒装束を身にまとっている。その上半身を緋色の背景 が支え、黒色と緋色の色鮮やかなコントラストに加えてカオ ナシの顔の部分が白抜き(顔がないから)になっている非常 に印象的なデザインだった。
 
清水先生は宮崎駿作品も研究対象だったかな、という程度 の印象を抱えながら、てっきり映画「千と千尋の神隠し」に 関する解説本だと思い込みつつ、庶務課に戻って頂戴した本 を開いてみた。目次を見て解説本だと思っていた当てが外れ た事を知った。「千と千尋の神隠し」以外にも「『天空の城ラ ピュタ』を読む」や「アニメ版『風の谷のナウシカ』を読む」、 「マンガ版『風の谷のナウシカ』を読む」に続いて「となり のトトロ」に関して扱っていたからであった。宮崎駿の数々の作品についてさまざまな角度から批評している本だという ことがうかがえたが、続いて本文を開いてみるとそこには画 像が一切ない文字だけの世界が展開されていた。しかし画像 がなくても映画「千と千尋の神隠し」と「となりのトトロ」 は私も既に観ていたので、本書の中で指摘されている場面や 情景、ストーリーなどがすぐに理解できた(「風の谷のナウ シカ」は観ていないので想像不可)。清水先生は「千と千尋神隠し」の映画を何回観てこの批評を書かれたのだろう か、と当時の私は率直に思った。ここまで細やかな観察・洞 察をするには幾度となく映画を繰り返し観なければ書けない であろうと思っていたからである。しかし今なら清水先生が おそらくこの映画を一度観ただけで書かれたであろうと推察 できる。先生は感動を覚えたものに対する熱情を一気に文字 で表現なさる方だと理解しているからである。

加藤澪 我孫子の魔法使い

 

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清水正ドストエフスキー論執筆50周年」の挨拶(2018-11-23 日芸芸術資料館)

 

ドストエフスキー曼陀羅」特別号から紹介します

 

我孫子の魔法使い
加藤澪

 

私は毎年梅を漬ける。シロップや梅酒にしたら美味しいで すよ、と先生に話してじゃあ梅酒を漬けたら持ってきてくれ と言われたのは一体いつだったろうか。その年の初夏に梅酒 を漬けてガラス瓶をえっちらおっちら江古田の研究室に運ん だら、「本当に持ってきてくれたのか」と驚きながら破顔さ れたのがなつかしい。
 
梅と氷砂糖と酒が化学反応を起こし、琥珀色の液体になる のはまるで魔法のようだ。しかし、私は他でもない江古田の 教室で本当に魔法を体験したことがある。
「君は、ナスターシヤだね」
 
それは『白痴』を論じる授業で清水先生が私に投げかけた 言葉である。自分を客観的に省みるのは難しい。ましてドストエフスキーだ。その登場人物と自分を重ねる事は中々難題 であった。先生は続けた、「ではナスターシヤの台詞を読ん でみなさい」。
 
先生の授業スタイルの一つに、物語の音読がある。ただの 声出しではない、台詞ひとつひとつに感情を込め演技をしろ と言うのだ。もちろん演劇学科だけではない。文芸学科をは じめ全ての学生が演者になるのだ。
 
演技に自信のない者はまず嫌そうな顔をする。生まれて一 度も演技などした事はないと顔を蒼くしてうつむいたりす る。また、演技に自信のある者はまさか文芸の授業で見せ場 が来るとは予想もしておらず紅潮した顔で前に出てくる。そ して不思議と誰もが台詞を口に出すことによって物語の本質 に触れるのだ。

 私も先生の授業で多くの登場人物になった。赤いダァリ ヤ、白木葉子、ソーニャ、アグラーヤ、そしてナスターシヤ。 ナスターシヤは言う。「助けてちょうだい!   つれて逃げ て!   どこでもいい、今すぐ!」これは彼女の最後の台詞で ある。読んだ時に私はナスターシヤがわからなかった。いっ たいどこへ逃げたいのか、彼女は誰に救われたかったのか。 しかし、先生は何度でも、もっと激しく、荒れ狂う気持ちで と言う。うながされもう一度彼女の心になりきって感情をの せた時、ナスターシヤの無限の虚無を知ったのだ。ムイシュ キンの手を取る事も、ラゴージンに心を託す事も出来なかっ たナスターシヤの救済への叫び。私はそんな彼女の生涯が空 しく悲しく愛しく感じた。だから先生は私をナスターシヤだ と言ったのだろうか 。

 

  先生の授業は魔法である。紐解けない物語はないのだと教 えてくれる。大魔法使いである先生は物語の行間にまで目を こらし指先ひとつでそこに隠された世界を引っ張り出す。文 学の授業だと思ってやってきた学生はまさか魔法学だったと は思わずいつの間にか物語の神髄を知るのだ。
 
この大学に座す清水先生というお人は、教授であり、研究 者であり、名演出家であり、大魔法使いであり、そして読 者であり書き手である。私は先生に「本当は何者なんです か?」と問いたい。きっと返ってくる答えはまだ誰も知らな い先生の顔なのだろう。
 
(かとう・みお    食と紀行と柴犬をみつめるフリーライター