森哲子さんからの手紙

近況報告

先日、森哲子さんにわたしの著作をお送りしたところ、下記の文章が届きましたので紹介します。林芙美子の文学の偉大さを多くの人たちに知ってもらいたいと思います。

 

清水正先生。

林芙美子ドストエフスキーの著作をお送り頂きましてありがとうございました。

私は、高校2年生の頃から、大江健三郎ドストエフスキーが大好きになり、勉強もせず、寝食も忘れ、若い頃は、本ばかり読んでいました。その後、宇野千代に夢中、宇野千代は、小林秀雄を神様の様に尊敬していました。文学の道を歩いていると宗教の道に、続いていなければならない、ということを何処に、書いていました。若い頃は、失恋をする度に、宇野千代を読み返し、元気をもらっていました。そして、林芙美子、私が身体が震えるほど好きな作家です。艱難辛苦の人生を乗り越えて、逞しく生きる女たち、その哀しみと苦しみ、深くて暗い虚無。《浮雲》の《ゆき子》は酷い女だ。お金を盗んだり、妻のいる男を追いかけ回したり、野垂れ死にして当然。哀れだ。しかし、清水先生は《ゆき子》のことを理解しようとしてくれる。《ゆき子》のことを考えてくれる。清水先生は《ゆき子》のお父さんですか?(笑)

清水正によって《ゆき子》のことが《『浮雲』放浪記》に書かかれたことにより《ゆき子》は救われた。そのことにより、読者も救われる。宇野千代林芙美子の作品は、今話題のAKB48やNGT48の若い女の子たちにも、是非、読んでほしい。もちろん、清水正の《『浮雲』放浪記》と一緒に。

  
   風も吹くなり 
   雲も光るなり
   生きている幸福は
   波間の鷗のごとく
   標渺とただよひ
   生きている幸福は
   あなたも知っている
   私もよく知っている
   花のいのちは短くて
   苦しきことのみ多かれど
   風も吹くなり 
   雲も光るなり

山下聖美  

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清水正ドストエフスキー論執筆50周年 清水正先生大勤労感謝祭 第一部・今振り返る、清水正先生の仕事」(日大芸術学部江古田校舎芸術資料館 2018年11月23日)で司会進行を務める山下聖美教授


 

ドストエフスキー曼陀羅」特別号から紹介します。 

 

〈ある何ものか〉をめぐって(2)
 山下聖美

 

霊的なるもの
 
私は決してスピリチュアル大好き人間ではないが、自分の 人生を振り返ると、常に何かに動かされて守られて生きてき たように思う。自分の意志や力だけでは動いていないという ことを強く感じる。もちろん、意志や欲望は強く持っている 方だと思う。しかし、それらも、何かに持たされているよう な、そんな不思議な気持ちを抱えずにはいられない。明らか に誰かに用意されたかのような出会いがあり、出来事があ り、何か大きなものに動かされていると考えずには、腑に落 ちないことばかりである。
 
であるから、私は自分の計算や知識、技術だけで世の中を 渡っていけると思っている人を浅はかだと思う。研究者で あったら三流だ。本来、研究者は、文系、理系に関係なく、 人知を超えたものの何かを感じるからこそ、一生をかけてそ の謎を追求していく存在ではないのか。
 
突然であるが、私の自慢の祖父は、学生時代、物理学を専 攻していた。孫に算数や数学を教えてくれ、当時、夏になる と盛んにテレビ放送していた心霊ものの番組を怖がる私たち に「科学の視点を持つべきだ。こういう迷信を信じてはいけ ない」とよく一喝していた。そんな祖父ではあるが、一方 で、仏教に深い関心を示し、能の謡にのめり込んでいた。今 から思えば、科学を追求したものだからこそ感じることがで
きた大きな神秘を、仏教や能の世界にも見出し、求めていた のではないだろうか。
 
清水正先生について書いている文章であるのに、ここで突 然、私の祖父の話となったのには理由がある。私が二十四歳 の時に、祖父が亡くなった。祖父を直接看取ったのは私で あった。意識がもうろうとする中、苦しそうに呼吸をしてい た祖父は、最後に目を見開き、恍惚としたような表情で、大 きく息を吸ってそのまま息絶えた。何か大きなものに吸い込 まれていったかのような最期であった。
 
この〈死〉の体験をもとに書いたのが、つげ義春の「西部 田村事件」論である。これが、はじめて清水先生にほめられ たレポートであった。清水先生によると、このレポートで私 は「化けた」らしい。学生は「化ける」から、とはよく清水 先生がおっしゃることであるが、まさに私自身が、そうで あったのだ。
 
祖父が私に伝えた〈死〉の姿は、私の人生や文学にとっ て、とても大きなものとなった。こうして人は、定められた タイミングで、定められた何かをもらい、生きているのであ ろう。自分の意志をも包み込まれていくような、何か大きな 力の連鎖の中にいる自分を、強く感じる。

(やましたきよみ 日大芸術学部文芸学科教授・日本文学研究家)

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ドストエフスキー曼陀羅」特別号から紹介します。

 

山下聖美 〈ある何ものか〉をめぐって

ドストエフスキー曼陀羅」特別号から紹介します。 

 

〈ある何ものか〉をめぐって(1)
 山下聖美

 

清水正先生との出会い


人は誰しも、自分の居場所を求めて迷ったり、さすらった りするものだ。とくに大学時代は、自らの専攻テーマはある ものの、それをどのように発展させれば良いのか、現実にど のように着地させていけば良いのか悩み、また、この専攻は 自分の正しい選択であったのかどうか、ゆらぐものであると 思う。少なくとも私はそうであった。
 
こんな焦燥を抱えながら、私はとにかく本を読んでいた。 とくに印象に残っているのは、ドストエフスキーやトルスト イである。分厚い本であったから読み終えた達成感はなみな みならぬものであった。とくにトルストイの「アンナ・カ レーニナ」からは雷に打たれたような大きな衝撃を受けた。

一方でドストエフスキーからは、得体の知れないカオスを体 験し、人間とはこんなに複雑で、暗黒で、激しいものなん だ、とあてられたような疲労感を得た。
 
いずれにせよ、大学を卒業する頃には、文学に関わる仕事 を一生続けたいと決心するようになり、大学院進学を志すよ うになっていく。そして、 一九九六年、あこがれの日芸の大学院に入学し、清水正先生 の指導を受けることとなった。今から思えば、二十四歳のこ の時、私の人生の居場所は決まったのだった。
 
当時、清水先生がとりつかれたかのように書いていたのは 宮沢賢治であった。であるから、私も当然のように宮沢賢治 の研究をはじめ、今に至る。

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ドストエフスキー曼陀羅」特別号から紹介します。

 

中村文昭  清水正『ドストエフスキー論全集』の謎と神秘

ドストエフスキー曼陀羅」特別号から紹介します。

 

清水正ドストエフスキー論全集』の謎と神秘
中村文昭

 

一九九七年六月、ロシア・サンクトペテルブルク、ネヴァ川で夕焼けを眺めていた。
 
背後にはホテル・モスクワがあり、収容所のようだった。監獄のような一角で、カウンターの格子越しに疲れきった女性が 無表情で円をルーブルに交換してくれた。
 
ぼくが初めてロシア・ペテルブルクに来たのは言わずもがな、ドストエフスキーの墓を訪ねるためだった。ホテル・モスク ワの前にはネフスキー大通りが、果て見えなくなるまでつづいていた。その幅は、ジャンボジェット機が離着陸できるほどの スケールをもっていた。その朝、ネフスキー大通りをぼくは走り続けていた。なぜならプーシキン・エカテリーナ宮殿へ向か う観光バスの出発時間が迫っていたからだ。走って走って走って、高架橋の下をくぐりぬけると、そこには不良少年たちがた むろして、歌ったりゲームを楽しんだりしていた。そんなことは何ら気にならなかった。
 
観光を終えホテル・モスクワへ戻る道すがら、咽喉の渇きをおぼえてスーパー・マーケットに立ち寄った。ぼくはただ、 ファンタオレンジを飲みたかっただけだった。でも行列は長く時間がかかった。ぼくの目の前に四十代の痩せこけた婦人と娘 が立っていて、見るからに生活苦を感じさせる姿にぼくは胸を痛めた。ぼくが外へ出ると、午後の陽がぼくの目を刺した。ど のくらい歩いたことだろう、外国人であるぼくを見て、一人の品のいい老婆がぼくの前に進み出てきた。そしてぼくに両手を 組んで懇願するように、あるいは憂いを秘めて、ぼくに右手を出した。ぼくは両替したばかりのルーブル一枚を差し出した。すると彼女は天を仰ぎ、両手を捧げ、神よ!と言ったのか分からないが、感謝の気持ちをしめしてくれた。
 
想えば、その前の日、ぼくはホテル・モスクワの食事を取りたくなかったので外へ出た。あてもなくネフスキー大通りをさ 迷って横道に入った。小さなレストランがあった。なにはともあれ、ぼくはボルシチが好きだったので、その地下へつづく階 段を降りていった。外国人はぼくただ一人だった。ボーイが近づき、ほんとうに丁寧に挨拶し、「ボルシチ」という言葉を理 解してくれたのか分からないが「борщ」と言ってくれたのを覚えている。何の飾り気もない素朴な小さいレストランだっ た。でもぼくは腐っても鯛というロシアの文化の深さ豊かさをその時感じた。ボルシチとパンとウォッカをぼくは堪能した。 そして本当に優しい中年のボーイに1ルーブルのチップを渡した。彼は凛凛しくにこっと笑ってそれを受けとった。すると、 店内でピアノが鳴りバイオリンが響いた。こんな小さなレストランでも音楽家が演奏することにぼくは心打たれた。小さなロ シア体験にぼくは心震えた。そして、テーブルから立ちあがった時、卑屈な顔をした中年のバイオリン弾きがぼくに近づいて きて深々と頭を下げ膝を曲げ、そして顔を上げた。ぼくには分からないが、ロシア語で何かを言い、そして手を差しのべた。 握手かと想ったが瞬間、ぼくは想った。〝私の芸術にいくらかの〟ということだと。ぼくは即座に1ルーブルを彼の手に載せ 握手した。すると言葉は分からないが彼は慇懃無礼にこう言ったようだった。〝だんな、あなたは芸術の価値が分かる人だ〟。
 
ぼくはネヴァ川の土手に腰を下ろしていた。後ろにはホテル・モスクワがあり、右手奥にペテルブルクの芸術家文学者たち を讃える有名な墓地があった。ぼくはその墓地を訪ねたあと、このネヴァ川の岸辺でファンタオレンジ一本をもてあそんで ぼーっと空を雲を川を眺めていた。墓地を訪ね、入口近くのドストエフスキーの墓の前に立った。ぼくは花ももたず、その墓 に近づき礼を尽くそうとした。途端はっきり分かったことがあった。「ここにはドストエフスキーはいない」と。その他の墓 をぼくは漠然と歩きまわった。チャイコフスキーの墓だけは、はっきりと分かった。でも、その時もまたここにはチャイコフ スキーはいないなぁと直感した。では、どこにドストエフスキーはいるんだ?
 
そしてぼくは何か満たされない心でネヴァ川を見つめつづけていたのだ。すると、左手の土手のほうから、小さな二人の人 影が見えた。少年二人だ。十歳と六歳くらいだろうか。あきらかに一人は兄で、一人は弟だ。なぜか、弟は兄に泣きながらダ ダをこねているみたいで、兄は弟をなだめ慈しんでいるように見えた。二人はぼくの近くまでやってきた。弟は初めて東洋人 を見たかのようにして、兄の背中に隠れた。すると、感動したね、弟を傷つけるものは一切許さないぞと言わんばかりに、少年の体は凜とぼくの前に立った。ぼくはただ、虚しいだけだったんだ。そしてぼくは立ち上がった。ファンタオレンジ一本差 し出し、弟らしい子供に手渡そうとした。弟はファンタオレンジだけは見た。そしてそれが欲しかったんだろう、と想った。 すると兄は、ぼくの目を見てにこっと笑う。ぼくは少年にこう言いたかったんだ、〝弟に渡していいか?〟と。すると彼は弟 をぼくの前に引き出して胸を張れとでも言いたげに弟を励ましている。弟はぼくなんかには興味はなくてファンタオレンジに 夢中だった。何の躊躇もなく彼はボトルを受けとる。再び、ぼくと幼い兄は目を合わせた。彼は誇り高く胸を張った。そして ロシア少年の明るさに満ちた笑いをぼくになげかけてくれた。それは、ぼくにこう言っているようだった。〝ありがとう。ス パシーバСПАСИБО   きっとそうなるよ   異国の人よ〟    
  「きっとそうなりますとも、カラマーゾフさん、あなたの言葉はよくわかります、カラマーゾフさん!」目をきらりとさ せて、コーリャが叫んだ。少年たちは感動して、やはり何か言いたそうにしたが、感激の目でじっと弁士(注・アリョー シャ)を見つめたまま、我慢していた。
 
  「僕がこんなことを言うのは、僕らがわるい人間になることを恐れるからです」アリョーシャはつづけた。「でも、なぜわ るい人間になる必要があるでしょう、そうじゃありませんか、みなさん?   僕たちは何よりもまず第一に、善良に、それか ら正直になって、さらにお互いにみんなのことを決して忘れないようにしましょう。このことを僕はあらためてくりかえし ておきます。(中略)僕はたとえ三十年後にでも思いだすでしょう。さっきコーリャがカルタショフに、『彼がこの世にいる かどうか』を知りたいとも思わないみたいなことを言いましたね。でも、この世にカルタショフの存在していることや、彼 が今、かつてトロイの創設者を見つけたときのように顔を赤らめたりせず、すばらしい善良な、快活な目で僕を見つめてい ることを、はたして僕が忘れたりできるでしょうか?   みなさん、かわいい諸君、僕たちはみんな、イリューシャのように 寛大で大胆な人間に(中略)(もっとも、コーリャは大人になれば、もっと賢くなるでしょうけど)、そしてカルタショフの ように羞恥心に富んだ、それでいて聡明な愛すべき人間に、なろうではありませんか。それにしても、どうして僕はこの二 人のことばかり言っているのだろう!   みなさん、君たちはみんな今から僕にとって大切な人です。僕は君たちみんなを心 の中にしまっておきます。君たちも僕のことを心の中にしまっておいてください!   ところで、これから一生の間いつも思 いだし、また思いだすつもりでいる、この善良なすばらしい感情で僕たちを結びつけてくれたのは、いったいだれでしょうか、それはあの善良な少年、愛すべき少年、僕らにとって永久に大切な少年、イリューシェチカにほかならないのです!
  決して彼を忘れないようにしましょう、今から永久に僕らの心に、あの子のすばらしい永遠の思い出が生きつづけるので す!」
 「そうです、そうです、永遠の思い出が」少年たちが感動の面持で、甲高い声を張りあげていっせいに叫んだ。  
  「あの子の顔も、服も、貧しい長靴も、柩も、不幸な罪深い父親も、そしてあの子が父親のためにクラス全体を敵にまわ して、たった一人で立ちあがったことも、おぼえていようではありませんか!」
  「そうです、おぼえていますとも!」少年たちがまた叫んだ。「あの子は勇敢でしたね、気立てのいい子でしたね!」    「ああ、僕はあの子が大好きだった!」コーリャが叫んだ。  
  「ああ、子供たち、ああ、愛すべき親友たち、人生を恐れてはいけません!   何かしら正しい良いことをすれば、人生は 実にすばらしいのです!」
  「そうです、そうです」感激して少年たちがくりかえした。「カラマーゾフさん、僕たちはあなたが大好きです!」どうや らカルタショフらしい、一人の声がこらえきれずに叫んだ。
   「僕たちはあなたが大好きです、あなたが好きです」みんなも相槌を打った。多くの少年の目に涙が光っていた。「カラマーゾフ万歳!」コーリャが感激して高らかに叫んだ。 「そして、亡くなった少年に永遠の思い出を!」感情をこめて、アリョーシャがまた言い添えた。「永遠の思い出を!」ふたたび少年たちが和した。  
  「カラマーゾフさん!」コーリャが叫んだ。「僕たちはみんな死者の世界から立ちあがり、よみがえって、またお互いにみ んなと、イリューシェチカとも会えるって、宗教は言ってますけど、あれは本当ですか?」
  「必ずよみがえりますとも。必ず再会して、それまでのことをみんなお互いに楽しく、嬉しく語り合うんです」半ば笑い ながら、半ば感激に包まれて、アリョーシャが答えた。
 「ああ、そうなったら、どんなにすてきだろう!」コーリャの口からこんな叫びがほとばしった。  
  「さ、それじゃ話はこれで終りにして、追善供養に行きましょう。ホットケーキを食べるからといって、気にすることは ないんですよ。だって昔からの古い習慣だし、良い面もあるんだから」アリョーシャは笑いだした。「さ、行きましょう!
今度は手をつないで行きましょうね」
  「いつまでもこうやって、一生、手をつないで行きましょう!  カラマーゾフ万歳!」もう一度コーリャが感激して絶叫し、少年たち全員が、もう一度その叫びに和した。(ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟原卓也訳より)
 
ドストエフスキーは泣くだろう…。極東の異国の一青年が、五十年にわたってじぶんの文学について探求し、疑い、抗議 し、そしてまた讃えてきた全てにむかって。ドストエフスキーは言うだろう、批評家清水正さん、ありがとう。きっとそうな りますよ?   清水正ドストエフスキー探求はまだ途上にいる。その未来の果てにあるもの(死と復活の秘儀とは何か?   そ れを彼はドストエフスキーとともに追求しつくすだろう。彼はドストエフスキー文学にまたがり日本の近代文学者そして西洋 の文学者たちを縦横無尽に駆け回ってきた    もちろん鋭い毒舌と愛と厳しい批評の眼をもって。多情にして無一物のドス トエフスキーと、これまた無一物にして多情なる清水正の間にある溝は何か。それは神の問題だろう、いや、懐疑と不信の子 として神の問題が二人の前に立ちはだかっている。
 
清水正ドストエフスキー論全集』、ここで書かれているものの中心たる謎と神秘は、誰が未来において解くことができる んだろうか。ただ一つだけ確かなことがある。この中心の闇をしめる虚無と愛の葛藤空間は、批評家清水正と小説家ドストエ フスキーの永遠の対話を隠している。きっとそうなるのか?   そうならないのか?

(なかむら・ふみあき    詩人、日本大学芸術学部文芸学科講師)

谷村順一 清水先生のこだわり

 「ドストエフスキー曼陀羅」特別号から紹介します。

清水先生のこだわり
谷村順一

一般的に書籍のデザインのことを「そうてい」というが、 この「そうてい」には「装丁」「装訂」「装釘」「装幀」と 「てい」の字に四つの漢字が当てられる。それぞれの漢字に は意味が込められていて、辞書的には「装訂」が正字という ことになるようだけれど、「装釘」という字を用いることに 強いこだわりを持った編集者がいた。『暮しの手帖』の創刊 者であり、編集やデザインまでを自らの手で行った花森安治 である。花森が「装釘」という字にこだわった理由について は『花森安治の編集室』(唐澤平吉、晶文社)に紹介されて いるので以下に引用してみる。
 
幀という字の本来の意味は掛け物だ。掛け物を仕立てる ことを装幀という。本は掛け物ではない。訂という字はあやまりを正すという意味だ。ページが抜け落ちていたり乱 れているのを落丁乱丁というが、それを正しくするだけな ら装訂でいい。しかし、本の内容にふさわしい表紙を描 き、扉をつけて、きちんと体裁をととのえるのは装訂では ない。作った人間が釘でしっかりとめなくてはいけない。 書物はことばで作られた建築なんだ。だから装釘でなくて は魂がこもらないんだ。装丁など論外だ。ことばや文章に いのちをかける人間がつかう字ではない。本を大切に考え るなら、釘の字ひとつもおろそかにしてはいけない
 
なるほど、花森にとって「書物」は「ことばで作られた建 築」であり、だからこそ「釘」という字を用いなくてはなら ないのか、と、本のデザインに興味を持ちはじめたばかりのころ妙に感心し、それ以来じぶんの名前をクレジットする機 会が与えられたときには「装釘」という字を使うようにして いるのだけれど、本のデザインに対する強いこだわりは、お そらく清水先生も同じなのではないか。
 
当時副手だったじぶんのデスクは、まだブラウン管だった 一七インチのモニタと、サブモニタとして設置した一五イン チのそれでいっぱいで、あたらしくつくる本の表紙のデザイ ンをじぶんが担当するときには、清水先生がとなりに座り、 ふたつ並んだモニタを指差しながら、ここはもっと大きく、 ここはもうすこし色を派手に、と細かな指示が飛んできて、 それに応えるのに四苦八苦した覚えがある。もちろん清水先 生の指示のすべてを受け入れられるほどの度量を持ちあわせ てはいなかったので、ときには反発してこっそりとじぶんの 好みにつくりかえてしまったこともある。けれどいまからお もいかえしてみれば、実績のないじぶんに本をデザインする 機会を与えてくれた清水先生は、そうしたささやかな抵抗す らも受け入れてくれていたのだろうと思う。
 
ここ数年、清水先生の本のデザインをする機会にはめぐま れなかったが、当時とかわることのない清水先生の旺盛な執 筆活動にはただただ頭が下がるばかりだし、これからも発行 され続けるであろうすみずみまで清水先生のこだわりの詰 まった書籍がいったいどういった装いを持つものなのか、い まからとてもたのしみである。
 
最後に、『ドストエフスキー宮沢賢治』『宮崎駿を読む』 はじぶんが手がけたものの中でとくに気にいっているものな のだけれど、先生はいかがでしょうか。
(たにむら・じゅんいち 日本大学芸術学部文芸学科准教授)

水島千歌 アイスクリーム

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アイスクリーム
水島千歌

 

最近、また仕事終わりに酒を飲みながら帰ることが増え た。酒は簡単にハイになれるから好きだ。さざ波のように やってくる孤独を、ひとときでも追いやってくれる。六、七 年前は、単に飲みの場の雰囲気に逃げたり、大人たちの話を 聞いているのが楽しいだけだったはずなのに。
 
ひとりで酔っていると、たまにマルメラードフの話をして いるまーくんを思い出す。当時から私はマルメラードフがど うしても嫌いになれなくて、それは自分の父親と重ねている からだろうなと思っていたんだけど、急に自分自身と重ねて いるんじゃないかと気づいて冷や汗をかいた。私は、自分の 愛しているものは素直に愛したい。
 
三、四年が清水ゼミに決まった時(まーくんから直接指名されたので、結局ゼミの希望を取る書類は出さず仕舞いだっ た)、まーくんに「千歌のゼミは俺のとこ以外にないだろう」 と言われた日、嬉しくって少し泣いた。認められたようで、 少なくとも近くにいていいんだと確認できて、私の向こう二 年間の存在意義ができたと本気で思っていた。
 
さらに幸運なことに、まーくんを筆頭とした飲み会に同席 させていただくことが多かった。ゼミは金曜五限、まーくん は飲みのためにこの時間にしているんだと得意げに話してい た。場所はもっぱら大学近くの中華屋で、私はそこで紹興酒 の味を覚えた。会ではもっぱら仕事の話、文学のこと、生活 について……いろんな話を大人たちがしていて、私みたいな ガキにはよくわからない話なんかも繰り広げられていたけ ど、いつだってまーくんは私を隣に座らせて、あれが食べたいとか一緒に飲めとか言って構ってくれた。そしてまーくん は私の目をいつもまっすぐに見る。悲しいのとか寂しいのを 我慢しているような、子供のような目で。ひとりでいるひと の目、私は、大人の男のひとでもこんな目をするんだってこ ともこの頃覚えた。
 
だから私は、マルメラードフを父親と重ねていたんだ。マ ルメラードフも同じ目をしているに違いなかった。父親も きっと。そう思っていたけど、自分の中にもそれを感じるっ てことは、血なんだろうか?   それとも私がどこかに抱えて いる何かがそうさせているのだろうか、わからない。だけど まーくんはお見通しだったんだろうなと思うとちょっと悔し い。
 
酔いが覚めるころには、叫びだしたくなるような衝動と孤 独がゆっくり戻ってくる。人は多かれ少なかれ、自分のなか にこんな気持ちを抱いて生きているんだろう。父親も私もまー くんも。だけどそれを押し殺すのか、静かに向き合うのか で、生き様みたいなものが現れるんだろうなと今になって思 う。だから私はまーくんの言葉が好き。ひとりひとりでひと り。
(みずしま・ちか     日芸卒、新妻)

野本博 文学に係わる者の使命(3)

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ドストエフスキー曼陀羅」特別号から紹介します。

文学に係わる者の使命(3)
野本博

 

清水先生の文学観
  
号泣と我慢
 
私は毎年秋になると、日芸祭を見に友だちを誘って江古田 まで足を運ぶ。校内には運動部や文化部を問わず、各部が出 店したいくつもの屋台が並んでいる。それらをひと通り見て 回った後、最後に自動車部の屋台で名物の「アゲリカン」を 食べながら、清水先生の研究室にうかがうことが多い。そし て先生の研究室でお互いに近況などを話し合うのだが、お元 気な姿に安心して「それでは、また」と帰ろうとすると、先 生は必ず私に「惠存   野本   博   様」と大きな墨文字でサイ ンをした新刊をくださるのが常であった。
 
清水正先生の文芸批評と言えば、その対象は何と言っても 海外文学ではドストエフスキーであるが、チェーホフもまた 先生の論考の対象である。
 
その他、日本文学では三島由紀夫林芙美子、先に上げた 宮沢賢治、また漫画では手塚治虫つげ義春日野日出志な ど、とにかくその批評の対象となるフィールドは実に多彩で 幅広い。また、暗黒舞踏で知られる土方巽や映画監督の今村 昌平など、文学とはジャンルを異にした人物たちの鋭い批評 でも異彩を放っている。
 
数ある清水先生の著書の中で、私が特に印象に残っている 一節がある。それは平成十七(二〇〇五)年に出版された 『三島由紀夫・文学と事件』の中の「あとがき」に書かれた 文章である。三島由紀夫はご存知のように昭和四十五(一九 七〇)年十一月二十五日に、楯の会の隊員四名とともに東京 の自衛隊市ヶ谷駐屯地(現・防衛省本省)を訪れ、東部方面 総監を監禁、バルコニーでクーデターを促す演説をした後、 割腹自殺によって生命を絶ったが、その自決に関して、清水 先生はこの著書の中で〈自らの生〉について次のように語っ ている。少し長いが、大変感動的な文章なので、引用させて いただきたい。 「わたしはわたしなりに静かに自分の生を省みた。わたし は三島由紀夫のように体を鍛えようと思ったこともないし、 自らの命を自ら断つことに男らしさや美を感じたこともな い。わたしは残された者として、自らの生を全うしなければ ならない。残された者の悲しみ、怒りをすくい取れない文学 は文学ではないというのが、わたしの文学観である。
(略)
 
昨日、この本の校正を終えて、一息ついて、あらためて 蘇ってきた三島の言葉がある。母倭文重が三島の日記帳に発 見した『僕はいつも号泣したいのに我慢している』という言 葉である。生きて有る〈現在〉を必死に精一杯生きた三島の 内心の声である。こういう声を聞いてしまうと、三島の〈事 件〉を善悪の次元で片づけることはできなくなる。文学に係 わる者は、だれもが号泣を我慢して生きている。否、この世 に生を受けたすべての者がそのように生きている。
 
今日七月二十九日は、昨年ソウルに旅立った前日であり、 故父の妹の葬式であった。結婚してすぐに夫は戦争で帰らぬ 人となり、一人息子を女手一つで育て上げ、八十七歳の生を 終えた女の一生に、どれほどの号泣と我慢があったことだろ うか。一文字も残さなかった者たちの内心の思いを、表現し なければならない使命を与えられた者がある。わたしは、そ の使命を全うしなければならない。」と。
 
文学に係わる者の〝覚悟〟がよく伝わってくるすぐれた文 章である。最後になったが、私も日芸の卒業生の一人とし て、清水正先生の長年の教員生活と友情に対し、心からの感 謝を申し上げたい。これからも健康にご留意され、いつまで も健筆を揮っていただくことを期待してやまない。
(のもと・ひろし    株式会社愛和出版研究所代表取締役