アニメ『TOM THUMB』(NIKOLAY LICHTENFELD and IVAN KOSTIURIN)を観る アニメ版・二十一世紀の黙示録(連載10)

清水正の著作、D文学研究会発行の著作に関する問い合わせは下記のメール shimizumasashi20@gmail.com にお送りください

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

アニメ『TOM THUMB』(NIKOLAY LICHTENFELD and IVAN KOSTIURIN)を観る

アニメ版・二十一世紀の黙示録

清水正

連載10


 このアニメは様々な暗喩に富んだ、豊穣な世界を造りあげている。批評家の解読欲、わたしの場合はテキストの解体と再構築ということになるが、この〈二十一世紀の黙示録〉とも呼ぶべきアニメに関しては限りなく想像・創造力が刺激される。

 今、世界はロシア・ウクライ戦争、イスラエルハマス戦争の真っ最中である。人類が発明したヒューマニズムはその無力を晒し続けている。一神教の神(ユダヤ教キリスト教イスラム教)は各々、異教徒の殲滅を命じている。今、〈愛と赦し〉を説くキリストの言葉にどれほどの力があるのか。今、上着を剥がれて、下着を差し出すキリスト者がどこにいるのか。今、右の頬を打たれて、左の頬を向けるキリスト者がどこにいるのか。善と正義の神が、同時に邪悪な悪魔のような貌を見せて、お互いに殺し合っている。

 〈斧〉で二人の女を殺したロジオン・ラスコーリニコフは凡人と非凡人との永遠に続くかに見える戦いも「新しきエルサムの来現まで」(до Нового Иерусалима, )と断言した。ロジオンという分裂した精神の〈思弁家〉(диалектик〉、神の掟を破って二人の女を殺した背教者が、〈新しきエルサレムの来現〉を信じているところに『罪と罰』の一筋縄ではいかない信仰上の問題が潜んでいる。ユダヤ教キリスト教イスラム教といった一神教を信じていない者にとっては〈新しきエルサレム〉という言葉に衝撃を受けることはないが、しかし神の命令に従って敵の殲滅をはかって戦い続けている者たちにとっては、これはきわめてリアルな言葉として受け止められるのだろう。

 わたしは、アニメ『TOM THUMB』を観て、原初的なアニミズム多神教的な自然崇拝)と一神教的な信仰の融合した世界を感じ続けたが、わたしがこの作品に牽かれたのは、多義的な意味のせめぎ合いにあったのかも知れない。TOMと〈蟷螂〉に体現された神的な絶対性は不断に相対化の作用に晒されており、そこに視聴者は目眩くダイナミズムを感じる。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』のドミートリの言葉で言えば「神と悪魔の永遠の戦場」である広大な心の内なる世界を見せられたということである。

 このアニメは聖書、ドストエフスキー宮沢賢治の文学などに通底する深遠広大な世界を内包しており、時代を超えた永遠性を獲得した作品と言えるだろう。

 わたしは今回、批評衝動に駆られるままに、かなり自在に思うがままに書き進めてきたが、繰り返し観ているとそのつど新しい謎が浮上してくる。批評本編は今回で幕を下ろすが、書き足りなかった点に関しては「アニメ『TOM THUMB』の画像解読」として何回か連載したいと考えている。