アニメ『TOM THUMB』(NIKOLAY LICHTENFELD and IVAN KOSTIURIN)を観る アニメ版・二十一世紀の黙示録(連載9)

清水正の著作、D文学研究会発行の著作に関する問い合わせは下記のメール shimizumasashi20@gmail.com にお送りください

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

アニメ『TOM THUMB』(NIKOLAY LICHTENFELD and IVAN KOSTIURIN)を観る

アニメ版・二十一世紀の黙示録

清水正

連載9

 


カメラはこの感電した蟷螂の顔に近づき、我が家を目指してトロッコの鉄路を必死に逃げるTOMの後ろ姿を映し出す。TOMは村の橋を渡りきる、とつぜん油田が爆発し黒煙が立ち上がる(世界壊滅の暗示)。画面は真っ暗になり、次いでアザミの花にとまっている蟷螂が映し出される。この蟷螂は背後からとつぜん鶏によって捕食される。蟷螂を呑み込んだ鶏の右目がアップで映し出され、その一つ目は観る者(視聴者)を凝っと見つめる。一回瞬きすると、鶏の目はひとの目に変わり、その目が瞬きすると、TOMの左目に当てた赤い透明石を取り外す場面へと変わる。

 

 


 帽子をかぶり、左目ひとつのTOMの顔がアップの直後、画面は一転して空から落下する黒い外套が映し出され、地上へゆるやかに落下する。この外套は蟷螂が身につけていたもので、感電死した蟷螂の亡骸である。その落下する亡骸の上空を一機の飛行機が画面右下から画面左上へと飛去っていく。目眩くような画面変換のうちに、蟷螂の死は何度も繰り返され、それを見つめ確認する〈一つ目〉(鶏の右目、人間の一つ目、赤い透明石、TOMの左目)が強調され、飛行機はそれらすべてを俯瞰的に眺める視点を獲得している。


 このアニメにおいては世界を見る視点は複合的であるが、その複合的視点を〈一つ目〉が絶対視点として支配している。TOMは一人物としてアニメ世界を冒険する子供であるが、絶対視点としての〈一つ目〉(緑と赤に色を変える透明石)を獲得している創造主なのである。


 画面には、残雪の地に落下した外套が見える。背後からTOMが顔を出し、左手を延ばして外套のボタンを一つもぎ取る。やがて外套に一本の水仙が芽を出し、白い花をつける。外套はたちまち水仙の花々に囲まれる。水仙は復活を象徴する花である。はたして感電死し、鶏に捕食された蟷螂(昆虫=巡礼者=祈祷師=晩餐の主宰者=魔術師=世界の破壊者)の再生はあるのか。


 暗転の後、小屋に戻ってくる木こりたちの姿が映し出される。TOMは最後に小屋に入る。小屋全体の背後に幕が下り、ドラマは〈とりあえずの終わり〉を告げる。次に、灯りのついた小屋の窓(四つに区切られている)の左片隅から一つ目のTOMが顔を出し、外の世界を覗き見る。


 この場面は観ている者をギクッとさせる。TOMは今、彼が創造した世界、その創世と終末(そして再生の予告)を観続けた視聴者一人一人に向かって、巨大な問い、人間である限りだれも逃れることのできない問いを突きつけているのである。

 人間とは何か、自然とは何か、神の存在とは、いかに生きるべきか、ドストエフスキーが全生涯を通して探求し続けた永遠の問いを、窓から外を見つめるTOMの左目が問うているのである。そして最後に、画面左から右に向かって作り物のシカが通り過ぎていく。直後、小屋の扉は閉じられ、その扉に「THE END」が刻印される。