アニメ『TOM THUMB』(NIKOLAY LICHTENFELD and IVAN KOSTIURIN)を観る アニメ版・二十一世紀の黙示録(連載13)

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アニメ『TOM THUMB』(NIKOLAY LICHTENFELD and IVAN KOSTIURIN)を観る

アニメ版・二十一世紀の黙示録

清水正

連載13

 本編批評でTOMの〈六〉〈八〉〈九〉の象徴的意味に関して『罪と罰』の主人公ロジオン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフに関連づけて言及したが、ここではもう一度、特に〈六〉に関して考察してみることにする。

 ロジオンは〈人殺し〉を意味する数字〈二〉に導かれて庭番小屋の〈斧〉を手に入れ、その〈斧〉で二人の女を殺害する。最初の老婆アリョーナ殺しは計画通りであったが、二番目のリザヴェータ殺しは予期せぬ出来事であった。しかしリザヴェータ殺しは作者ドストエフスキーが予め仕掛けていた犯行であった。ロジオンは犯行の前日の夕方、センナヤ広場で町人夫婦とリザヴェータの会話を耳にして、リザヴェータが翌日の晩〈七〉時に不在であると思い込んでしまう。しかし、リザヴェータは老婆アリョーナが殺された後に帰って来る。ロジオンは目撃者リザヴェータの頭上に〈斧〉を振り下ろし、彼女をも殺害してしまう。この二番目の犯行はロジオンが犯行前に呟いていた「本当に俺はアレをやるのだろうか?」(Разве я способен на это?)の〈アレ〉(原典ではэтоがイタリック体になっている)に繋がっている。ロジオンの〈アレ〉は単にがめつい高利貸しのアリョーナ婆さんを殺すことではなく、〈皇帝殺し〉をも意味していた。

 ロジオンのフルネームのイニシャル〈РРР〉を下から上に返すと〈666〉になり、これは悪魔を意味する。ところでTOMはどうであろうか。TOMは木こりの後について森へ向かうが、その時〈斧〉を所持していない。〈斧〉を持っているのは親方だけである。しかし森の中では親方以外の者たちも〈斧〉を手に大木を伐採していた。また、森の動物(シカ、クマ、オオトカゲ、ハサミ鳥)たちと壮絶なバトルを展開する時には、殺しの道具として〈斧〉を使っていた。ところで記憶に間違いがなければ、バトルの時にすでに親方は姿を消していた。壮絶な戦いを繰り広げた連中が団子状に丸められた時にも、そこに髭もじゃの親方の顔を発見することはできない。〈双頭の鷲〉の徽章を付けた親方はどこに行ったのか。

 TOMが女の館に着いた時、七人の女たちは勢ぞろいして彼を迎え、TOMめがけてボールを投げつける。ボールは〈六〉色にデザインされている。TOMはそのボールを両手(八本の指)でしっかりとつかむ。このシーンはアップでとらえられている。つまりTOMは〈悪魔のボール〉(六)を受け入れた〈第八番目の神〉として館へ入ることが許されたということである。


 TOMが〈6=悪魔〉でもあることを確認した上で、再び森の中のバトルの場面に戻れば、TOMが〈斧〉で〈親方=皇帝〉を殺していた可能性もあることになる。いよいよとんでもない謎解きになってきたが、このアニメは『罪と罰』における数字の象徴性と重なるところがいくつかある。

 羅針盤の針が東西を指して、画面一杯にアップされるシーンがある。人物たちは最初、画面左から右へと移動していた。つまり西から東へと移動していたことを示している。次に、この東西を示す針を時計の文字盤に重ねれば、〈西=9=3(古代ユダヤの時の数え方)〉、〈東=3=9(古代ユダヤの時の数え方)となる。ここでユダヤ人の時の数え方を優先し、木こりたちやTOMや〈巡礼者=蟷螂〉たちの移動を時計回りに重ねてみると、彼らは〈3〉から〈9〉へと動いていたことになる。〈3〉はキリストが十字架につけられた時(午前九時)を意味し、〈6〉は六時間後の正午、〈9〉はキリストが十字架上で息を引き取った時(午後三時)を意味する(因みに、〈6〉時から〈9〉時までの三時間、地は闇に覆われている)。


 


 女の館で、女が左手でラジオの針を七時五分の位置から水平に合わせるシーンがある。長針をロジオン、短針をアリョーナ婆さんと見、〈5〉をロジオンの屋根裏部屋、〈7〉をアリョーナ婆さんの住むアパートと見なして時計を七時五分から進めて長針が短針に重なった時(老婆殺害時間)を見ると七時三十八分である。この殺害時間を数秘術的減算すると〈9〉となる。ロジオンの住む〈5〉からアリョーナ婆さんの住む〈7〉までの距離は七三〇歩で、この数字を数秘術的減算すると〈1〉となる。

 西から東への移動を〈3〉から〈9〉への移動と見ると、キリストの六時間の受難の時と重なる。アニメ『TOM THUMB』においてこのことが予め認識されていたかどうかは不明だが、〈蟷螂〉の巡礼、祈祷、晩餐に続く飛翔と感電死をキリストの受難と十字架上の死、そして三日後の復活と重ねて見るのも面白い。〈蟷螂〉に愛と赦しのキリストを見いだすことはできないが、霊的なものの神聖と邪悪の融合した姿を見ることはできる。


 さて、ロジオンとTOMの決定的な違いは、ロジオンに〈斧〉を使っての〈踏み越え=преступление〉(〈老婆殺害〉〈皇帝殺し〉〈復活〉)の目論見が設定されていたが、TOMにあっては〈踏み越え〉(〈親方=皇帝〉殺し)の計画を見ることはできない。TOMは木こりの親方の後ろに従って森の中へと踏み込み、そこで木こりとしての仕事に励むだけである。〈斧〉は大木を伐採することに使われており、後にバトルの場面では動物を殺す武器としても使われるが、その〈斧〉が親方に向けられることはなかった。〈親方=皇帝〉が〈巡礼者=祈祷師=蟷螂〉と融合したとしても、TOMがこの〈蟷螂〉と正面きって戦うことはなかった。

 晩餐式でテーブルの下に隠れていたTOMは、〈蟷螂〉に発見され、直ちにつまみ出され、天井から吊されている。〈蟷螂〉を前にして〈TOM=6〉は余りにも無力である。〈蟷螂〉が館から巨大な影法師となって帰還の途を急ぐ時にも、TOMは〈蟷螂〉から逃れるべく必死になって森の中を走っている。〈蟷螂〉は十字架のような電信柱の上を何度も跨ぎ越え、そして感電して果てる。


 〈蟷螂〉を倒したのは、言うまでもなくTOMではなかった。TOMはこのアニメにおいて〈親方=皇帝〉〈巡礼者=祈祷師=晩餐の主宰者=蟷螂〉を殺す力を与えられていない。TOMは世界の創造主、第八番目の神として登場しながら、実質的には〈従う者〉、〈冒険者〉、〈視る者〉に留まっている。

 TOMはいったい何を視たのか。TOMはアニメ『TOM THUMB』で映像化されたすべての世界を視ている。TOMが左目に当てた緑と赤の〈透明石〉を、われわれ視聴者もまた自らの左目に当てて世界を視る必要があろう。この〈透明石〉は〈蟷螂の目〉〈鶏の目〉、そして世界全般を見通す〈一つ目〉と重なっている。この目に、キリストが、神が、悪魔が、自然がどのように映るか。

 アニメ『TOM THUMB』の作者が視た以上の世界が視えますか? 最後のシーンは、作者からの挑戦のメッセージがこめられている。今、自然を問い、神を問い、人間を問うて深く絶望している者に、どんな希望の光も見いだすことはできない。虚無の風が吹き荒れている。教会堂の鐘の音は繰り返し繰り返し鳴り響いているのに、その鐘を揺り動かしているのは虚無の風でしかない。〈蟷螂〉の抜け殻の外套に水仙の花が咲き乱れ、最後に〈トナカイ〉が通り過ぎても、〈キリストの再臨〉という幻想に心奪われることはない。すべての事象が自然の摂理に従って絶え間なく生成流動している世界が視えるだけである。