清水正 動物で読み解く『罪と罰』の深層■〈虱〉(вошь) 連載9

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江古田文学」99号(2019-3-25)に掲載した「動物で読み解く『罪と罰』の深層」(連載3回)を数回にわたって紹介する。

動物で読み解く『罪と罰』の深層

 

清水正

■〈虱〉(вошь)
連載9

 

 さて、ロジオンの中に人間はすべて卑劣漢という認識があったとして、彼は愛する母プリヘーリヤや妹ドゥーニャに対してもそれを適用できたであろうか。ここが問題である。ロジオンは高利貸しアリョーナを卑劣な〈虱〉と見なしても、皇帝はもとより母や妹をも〈虱〉と見なすことはできない。と言うか、彼の思考は具体的に敷衍していかない。ロジオンは〈高利貸しアリョーナ=虱〉という一図式から〈人間=卑劣漢〉という図式へと飛躍し、彼はその飛躍を直視することはない。ロジオンの主観に呑み込まれた読者もまた彼の論理飛躍に気づくことはない。いずれにせよ、ロジオンの理屈は突っ込めば隙だらけである。

 ロジオンは自分のことを〈美的趣味のあるしらみ〉(эстетическая я вошь)と見なしている。この言葉も具体的な説明はなく、読者が勝手に想像するしかない。アリョーナ婆さんは醜悪で有害な〈虱〉の範疇に押し込め、自分のことは美的な〈虱〉の範疇に当てはめたいのであろうか。が、〈虱〉は〈虱〉である。業突く婆さんのアリョーナも、アル中のろくでなしマルメラードフも、敏腕家のルージンも、ロシア最新思想の信奉者レベジャートニコフも、淫蕩漢のスヴィドリガイロフも、さらに母のプリヘーリヤも、妹のドゥーニャも、一家の犠牲になって淫売婦に身を堕とさざるを得なかったソーニャも……おしなべて〈虱〉の範疇に属することになる。従ってロジオンの極端な理屈(人間=虱)を彼の非凡人の犯行に適用すれば、自身やアリョーナ婆さんだけでなく、リザヴェータもプリヘーリヤもドゥーニャもソーニャ……も斧で叩き殺してもよいということになる。しかしロジオンの想像力は、斧の犠牲者として彼女たちを思い浮かべることは一度もなかった。斧の犠牲者として母や妹やソーニャを想定することは、皇帝を想定すると同様にロジオンの思想の持つ危険性を顕わにすることによって封じられたのである。

 ロジオンの非凡人の思想には、神を殺して自らが神になるという人神思想が潜んでいる。この思想を具体的に実現しようとすれば、「本当に俺はアレができるだろうか?」の〈アレ〉は〈アリョーナ婆さん殺し〉ではなく、どんなことがあっても神を信じ続けていたキリスト者の〈ソーニャ殺し〉でなければならなかったはずである。ロジオンはソーニャにリザヴェータ殺しの犯人を一種独特の仕方で分からせた直後、突然ソーニャ殺しの衝動に駆られるが、しかしそれは彼の生理的な衝動として描かれたのであって、彼の非凡人の思想やポルフィーリイの言う〈別の理論〉(非凡人にはすべてが許されている)に関連づけられていたわけではない。

 ロジオンは一見深い思想家のように見えて、実はそうではない。深い思想家は、悪魔に唆されて婆さん殺しになど出かけて行きはしない。前身的存在である地下男は労作『地下生活者の手記』の中で「馬鹿ばかりが行動家になれる」と断言していたではないか。ロジオンは屋根裏部屋での〈おしゃべり〉だけに充足できず、地下男の言う〈馬鹿〉となって行動を起こし、その馬鹿な行為の代償を一身に背負わなければならなかった。作者は自分の意図に忠実に行動を起こした〈馬鹿〉に〈復活の曙光〉に輝くという最大のご褒美を与えた。このご褒美に、ロジオンに殺されても永遠に生き続けて不気味な笑いをもらすアリョーナ婆さんが賛同しなければ、それは単なる幻想にしか過ぎないだろう。殺されたアリョーナ婆さんやリザヴェータを置き去りにして、「愛が二人を復活させた」(Их воскресила любовь)とか「思弁の代わりに命が到来した」(Вместо диалектики наступила жизнь)などと書かれても真に納得することはできない。

 ロジオンは非凡人ナポレオンにもなれず、預言者マホメットにもなれない。それどころか三流の実業家にもなれない。ロジオンには現実をたくましく生き抜く実行力も組織力も、そして社会の底辺を必死で生きる庶民にの喜怒哀楽に共感する感性も想像力にも欠けていた。ロジオンは根拠のない優越感に支配され、傲慢な精神性を払拭することができなかった。