清水正 動物で読み解く『罪と罰』の深層■〈めす馬〉(кляча.кобыла.саврас.лошадь) 連載6

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc

 

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清水正への講演依頼、清水正の著作の購読申込、課題レポートなどは下記のメールにご連絡ください。
shimizumasashi20@gmail.com

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https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk
これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。
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江古田文学」100号(2019-3-31)に掲載した「動物で読み解く『罪と罰』の深層」(連載4回)を数回にわたって紹介する。

動物で読み解く『罪と罰』の深層

 

清水正

■〈めす馬〉(кляча.кобыла.саврас.лошадь)
連載6

 

 

 作者はロジオンにおける〈運命〉、偶然の積み重ねとしての必然をたとえばロジオンの回想に託して次のように表現する「思いがけなく訪れて、すべてを一時に決定してしまったあの最後の日は、ほとんど物理的ともいえる作用を彼におよぼした。まるでだれかが彼の手をつか、強引に、盲滅法に、超自然的な力で、逆らう余地もなく彼を引きずって行くようだった」と。ロジオンを犯行現場へと引きずっていく〈だれか〉とはいったい〈だれ〉なのか。〈悪魔〉なのか、〈神〉なのか、それとも〈神でもあり悪魔でもある〉或る何ものなのか。さらにそれとも〈神〉でも〈悪魔〉でもない、まさにすべての自然・世界事象の運行を司るものなのか。ロジオンは自らの犯行に〈運命の予告〉を、〈神秘的でデモーニッシュな力の作用〉を感じるが、そこで彼の思考は停止する。ロジオンは〈運命〉そのものを問うことはないし、〈神〉と〈悪魔〉の関係性、そののっぴきならない共犯関係についても一切発言することはなかった。

 第一の犯行・アリョーナ婆さん殺しの現場を見てみよう。ロジオンは後ろを向いた老婆の頭上めがけて斧を振り上げるが、刃先は自分の方に向かっていた。つまりロジオンは斧の峯で老婆の頭を叩き割っている。象徴的次元で解読すれば、ロジオンは無意識のうちに老婆より先に自分の頭を叩き割っていた事になる。ロジオンの額には666の悪魔の数字が刻印されていたのであるから、彼は最初に自らの〈悪魔〉を殺した後に老婆を殺害したことになる。ところで、素朴な疑問を呈すれば、自分の〈悪魔〉を殺した者がたとえ一匹の有害な〈虱〉とは言え、三度も斧を振り下ろすことができるのだろうか。もし、できるとすればロジオンにおけるアリョーナ婆さん殺しは、〈悪魔〉のなせる技ではなかったという意味でもそら恐ろしい出来事となる。まさにロジオンは〈良心〉に照らしてアリョーナ婆さんを殺したことになる。もう一つ注目すべきことは、ロジオンは殺したアリョーナ婆さんの首に掛かっていた紐を、死体を台にして斧で叩き切ろうとしたことである。ロジオンはためらって実行はしなかったが、一瞬とはいえそのように思ったことは事実であり、殺人者ロジオンの恐ろしさを体感する。こういつた青年を観念的次元で読み解くことの危険性をまさまざと感じる場面である。

     注目すべきは、アリョーナ婆さんの首に掛かっていた紐には糸杉と銅の二つの十字架と七宝細工の聖像とがついていたことである。読者はアリョーナ婆さんがソーニャやリザヴェータとは違ったにせよ、熱心な信仰者であったことを忘れてはならない。ソーニャは淫売婦でありながら神を信じ、リザヴェータは年中孕みながら神を信じ、そしてアリョーナ婆さんはユダヤ人並の高利貸しでありながら神を信じている。ロジオンは神に向けて呪われた運命からの解放を願いながら、キリスト者アリョーナ婆さんを斧で叩き殺し、二つの十字架を彼女の胸の上に投げ捨てるのである。ロジオンは商家の女将から恵まれた二十カペイカ銀貨もネワ川に投げ捨てているが、これほどの涜神的な行為を繰り返しながら、にもかかわらず彼は神そのものを捨て去ることはできなかった犯罪者なのである。