アニメ『TOM THUMB』(NIKOLAY LICHTENFELD and IVAN KOSTIURIN)を観る アニメ版・二十一世紀の黙示録(連載14)

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アニメ『TOM THUMB』(NIKOLAY LICHTENFELD and IVAN KOSTIURIN)を観る

アニメ版・二十一世紀の黙示録

清水正

連載14

三つ葉のクローバーと緑色の〈透明石〉

――宮沢賢治作『ポラーノの広場』との関連において――


 このシーンがアップされたとき、わたしの脳裏に思い浮かんだのは宮沢賢治の長編童話『ポラーノの広場』であった。この童話に関しては拙著『宮沢賢治・童話の謎――「ポラーノの広場」をめぐって』(一九九三年五月 鳥影社)で詳細に解読しているが、ここでは簡単に振り返っておこう。

 主人公の名前はレオーノキューストである。わたしはこの名前をレオのキリストと読み解いた。レオは宮沢賢治が深く影響を受けたロシアの作家トルストイの名前〈レフ=Лев=ライオン〉である。宮沢賢治が主人公の名前に〈トルストイのキリスト〉を当てはめていたというのがわたしの見解である。タイトルの「ポラーノの広場」はトルストイが生まれ育った〈ヤースナヤ・ポリャーナ=Ясная Поляна〉〉に由来すると見た。〈ヤースナヤ=Ясная〉は〈Ясный〉(光る。清澄な。晴れた。明らかな)の女性形であり、〈ポリャーナ=Пляна〉は〈森林中・森辺の小草原〉を意味する。つまりトルストイの生地ヤースナヤ・ポリャーナは森の中に開かれた明るい野原ということになる。

 主人公レオーノキューストと若い農夫であるファゼーロとミーロが目指すのは〈ポラーノの広場〉というユートピア空間である。さて、そこに至るためにはどうしたらいいのか。宮沢賢治のアイデアは独創的である。つめくさの花(クローバー)を上から見ると数字に見える。この花の番号を追って〈五千〉のところにユートピアが存在するという設定である。作中には花の番号〈1256〉〈17058〉〈3426〉〈3866〉〈5000〉〈2556〉〈2300〉が記されているが、これらの数字を数秘術的減算すると〈3〉〈6〉〈9〉〈5〉のいずれかになる。すでに指摘したように〈3〉はキリストが十字架につけられた時(午前九時)、〈6〉は正午、〈9〉はキリストが十字架上で息を引き取った時を示している。〈5〉は〈キリスト〉〈十字架〉そのものを意味している。

 レオーノキューストたちはすでに〈5〉の地点(〈たった一つのあかし〉=キリスト)に立っているが、彼らはそのことを認識することはできなかった。彼らが目指すユートピアとしての〈ポラーノの広場〉は彼らが立っている《今、ここ》にある。しかし、未だ彼らは理想郷としての〈ポラーノの広場〉は《ここではない、どこか》にあると思っていた。詳細は拙著にまかせるとして、アニメ『TOM THUMB』に戻ろう。


 三つ葉のクローバーは蟷螂の顔を連想させる。次にウサギの脚先は〈三〉に分かれており、二本で〈六〉、次いで〈透明石〉を拾い上げる前脚が画面に現れ、計〈九〉となる。見事に〈3〉〈6〉〈9〉の揃い踏みとなる。これを『ポラーノの広場』の〈3〉〈6〉〈9〉〈5〉に重ね合わせると、中央に置かれた緑の〈透明石〉が〈たった一つのあかし=キリスト〉(5)にも見えてくる。アニメ『TOM THUMB』において〈キリスト〉のイメージは薄いが、この〈透明石〉が霊的、魔術的な力を備えていたことは確かである。



 アニメ『TOM THUMB』を『ポラーノの広場』に関連づけて見ると、木こりたちが森辺の草原で野苺を摘んで食べたり、身を横たえて眠りについたりする場面が蘇ってくる。ここで木こりたち(ここに親方は存在しない)は母性的な大地に安心して身をまかせ、幼児のごとく眠りについている。しかし、彼らは目覚めなければならない。


 春の温暖はたちまち冬の厳寒に変わる。草原には雪が降りしきり、木こりたちは寒さに震えて起きあがり、再び森へと踏み込んでいかなければならない。彼らにとっての〈ポラーノの広場〉は永遠の憩いを保証しない。(因みに、ここで朝から晩までの時間が、春から冬への時間へと変容している。アニメ世界において時間と空間は物理的時空から解放され、変幻自在に変容する)。

 レオーノキューストたちにとっては理想としての〈ポラーノの広場〉にたどり着くという目的があったが、木こりたちにとってはそういった明確な目的は与えられていたのであろうか。彼らは当初、まるで奴隷のように〈斧〉を担いだ親方の後に従って森の中に踏み込み、大木の伐採に従事していた。やがて木こりたちは森の動物たちと壮絶なバトルを繰り広げ、団子状に丸め籠められるが、この団子が砕け散って解放されると同時に、場面は変換する。

 突然、森の奥が開かれ、遠く雪原の果てに〈六〉の明かりが灯った館が現れる(館の扉は〈八〉に区切られているが、灯りが点いているのは〈六〉)。この〈七人〉の女たちが住む館で、〈蟷螂〉主宰の祈祷式と晩餐式が挙行されたわけだが、この館が、〈ポラーノの広場〉に匹敵する〈ユートピア空間〉と同じような性格が賦与されていたのだろうか。

 何度観返してみても、この女の館が〈理想郷〉とは思えない。館は〈呪術師=蟷螂〉による不気味な祈祷によって眩暈的、魔術的な空間と化し、第二次晩餐式では、その場にいたすべての者たちが死の淵へと呑み込まれていった。呑み込んだ〈魔術師=蟷螂〉は死の館を飛び出し、巨大な〈影法師〉となって空中を飛翔し、やがて彼もまた電線につかまり、感電死を遂げることになる。このアニメにおいて〈ひとつのあかし〉が愛と赦しのキリストと重なることはなかった。

 バケツを被った一本脚の案山子は十字架上で息を引き取ったキリストを連想させないわけではないが、カラスに左腕の藁をつつき出されているこの〈キリスト〉に再臨のイメージを抱くことはほとんど不可能に近い。

 

清水正著『宮沢賢治・童話の謎――「ポラーノの広場」をめぐって』(一九九三年五月 鳥影社)

清水正著『ミステリーゾーン 謎がいっぱいケンジ童話劇場』 2001年3月 鳥影社