アニメ『TOM THUMB』(NIKOLAY LICHTENFELD and IVAN KOSTIURIN)を観る アニメ版・二十一世紀の黙示録(連載7)

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アニメ『TOM THUMB』(NIKOLAY LICHTENFELD and IVAN KOSTIURIN)を観る

アニメ版・二十一世紀の黙示録

清水正

連載7

 さて再びここで、館を飛び出し、空中へと飛び出した男の後を追うことにしよう。ここで人物の動きは画面右から左へと変換している。女の館で目的(祈祷式・晩餐・破壊)を達した〈蟷螂〉はここで帰還の途を〈風〉となって急いでいるように見える。


 大気と同化したかの如き、時空を飛翔する〈幻影体=蟷螂〉はまさにその霊的な存在を彷彿とさせる。印象としては、この飛翔する存在に何か邪悪なもの、悪魔的なものを感じる。そもそも〈霊的なもの〉には神聖と邪悪なるものが共存している。わたしなどは「創世記」に登場する全知全能の神にもこの両極的なものが存在していると思わざるを得ない。「創世記」の神は自らが創造した人間を試み、裁き、罰する神である。真にこの絶対神が全能であるなら、とうぜんエヴァとアダムがサタンの誘惑に堕ちることは予め知っていたであろう。すべてを知っていながら試さずにはおれないこの神には、猜疑心の深い独裁者の相貌が色濃く反映されている。

 アニメに登場して、様々に変容する〈蟷螂〉は〈昆虫〉〈巡礼者〉〈祈祷者〉〈晩餐の主宰者〉そして〈蟷螂〉に戻り、さらに〈空中を飛翔する幻影体〉となって帰還の途を急いでいる。途中、〈こちらの世界〉と〈あちらの世界〉を繋いでいる高架橋を渡り終えた瞬間、この橋は崩落する。この時、風のごとき幻影体と化した〈蟷螂〉は〈巡礼者〉〈祈祷者〉というよりは〈世界の破壊者〉としての貌を際だたせている。


 さてここでもう一度、このアニメにおける数字の象徴性について触れておこう。キリスト教において〈六〉は悪魔を、〈七〉は神を意味する。〈六〉は〈斧〉を担いだ男に従う〈六人〉の人夫(木こり)、森の世界で画面左と右に屹立する各〈六本〉の大木などがすぐ想起される。〈蟷螂〉が主宰する祈祷の場面においてはテーブルの左右に各三人ずつ計〈六人〉の女たちが座っている。ところでこのテーブルの奥に腰掛けている子供をどのように数えるかである。信者の仲間に加えれば〈七人目〉となるが、主宰者〈蟷螂〉を神的な位置〈七〉に座っている者と見れば〈八人目〉となる。

 今回注目したいのは〈八〉である。高橋保行は『ギリシャ正教』(一九八〇年七月 講談社学術文庫)において「八という数字は、永遠、来世、天国、神の国という意味を持っている。これは、天地創造をあらわす数で、この世が完璧で善であることを示す七に、唯一の神をあらわす一を加えたときにできる。/キリスト教は、キリストをこの八の化身とする。唯一の神が、天より降り人となったことは、一が七に到来したといいかえられる。一と七を合わせると八になり、人となった神キリストは、この八の具現化されたものである」と書いている。

 まず主宰者〈蟷螂〉を〈七〉と見ると、信者たちもまた総計〈七人〉となる。ところでこの祈祷式にはもう一人の人物、TOMがテーブルの下に潜んでいた。TOMは女の一人から内緒で肉の固まりをお裾分けされている。つまりTOMは木こり集団においても〈八番目〉を確保していたが、ここでもまたしっかりと〈八番目〉の役割を背負っていたことになる。TOMはこのアニメにおいて霊的存在である〈蟷螂〉と同等、およびその力を超えて絶対的な神の位置を与えられていたことになる。

 しかし数字は数え方によって異なる。主宰者の〈蟷螂〉は信者〈七人〉を前にした〈八番目〉の存在と見ることもできる。そうなるとこの〈蟷螂〉は祈祷式の主宰者キリストでもあり、〈八番目〉の神でもあるということになる。見方によって様々な貌を現すが、いずれにしても〈蟷螂〉が神的存在を兼ねた悪魔的存在として多義的様態を顕しているとは言える。TOMは外見はみすぼらしい身なり(古い帽子、継ぎのあたった服、ボロ靴)をしているが、要するに様々な玩具に命を吹き込み、世界を創造した〈第八の神〉には違いない。しかしこの創造主TOMもまたアニメ世界の一人物として、殺し殺される自然の摂理を生きている。

 TOMの顔を見ていると水木しげるの〈ゲゲゲの鬼太郎〉を思い出す。TOMは斜に被った帽子の下から左目を出している。TOMの前歯は〈二本〉で、この歯は木こりの担いでいる〈斧〉に匹敵する〈殺しの道具〉である。古ぼけた〈帽子〉(皇帝の被る王冠の暗喩)、〈一つ目〉(万物の事象を見通す神の目の暗喩)など異形な顔立ちそのものが、TOMが日常を逸脱した怪異なる神的存在であることをそれとなく示している。

 鬼太郎は帽子は被っていないが、右目は誕生直後に事故で失明しておりそれは髪で隠れている。父親の〈目玉おやじ〉は死んだ後に〈左目玉〉として生き返り、息子鬼太郎の良きアドバイザー、保護者としての役目を全うしている。鬼太郎も最初は〈二本歯〉であったが、多くの読者を獲得するに従って怪異な貌を消していった。〈目玉おやじ〉は移動の際、鬼太郎の肩や頭に乗って、鬼太郎の失った左目の役目をはたしている。片やTOMの帽子にはアザミの花玉のようなものがついており、それは何か神通力を備えた〈一つ目〉のような役割を持っていたように思える。因みに、TOMが水の中から掬いだした透明石もまた世界を映し出す神秘的な〈目玉〉のようでもあり、この石はTOMの左目に、また後にはウサギの左目にあてがわれたりする。