アニメ『TOM THUMB』(NIKOLAY LICHTENFELD and IVAN KOSTIURIN)を観る アニメ版・二十一世紀の黙示録(連載5)

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アニメ『TOM THUMB』(NIKOLAY LICHTENFELD and IVAN KOSTIURIN)を観る

アニメ版・二十一世紀の黙示録

清水正

連載5

女たちの館――祈祷式・晩餐式――


 さて人間に変容した〈蟷螂=巡礼者〉は森を抜けると一軒の家にたどり着く。彼の立ち姿は明らかに男性であり、その開かれた両足は容易に蟷螂の前肢を連想させる。

 

 この館は森の奥にあるかのように設定されている。実は男が訪問する前に、TOMが一足先に館を訪れ女たちと親交を結んでいる。女たちの館の扉が開かれると、画面右に深鍋で鶏のスープを作っている女、画面左に浴槽に水を入れている女、中央にテーブルの上に置かれた絵本をめくっている女が現れる。テーブルの下には〈2〉を刻印した積み木、玩具の大砲や騎士たちが置かれており、TOMと女の一人が積み木遊びをしている。

 


 やがて、テーブルの上には純白の布が敷かれ、テーブルの両側に三人ずつ、計六人の女たちが座る(少し遅れて小さめの女が正面奥の席に座る)。画面手前、上座に〈蟷螂=祈祷者〉が座る。この人物、座るといきなり帽子を取る。はじめは女性らしい立ち姿、歩き姿であった人物の頭は禿げており、明らかに〈男〉であることを顕している。この男、口から呪文のような言葉を吐き出し、この言葉はテープ化してテーブルについていた七人に、そしてテーブルの下に身を隠していたTOMにまでまとわりついていく。まさにここで〈蟷螂〉は森を通過する〈巡礼者〉から〈祈祷者〉へと変容している。

 この祈祷が具体的に何を意味しているのかは不明だが、最初にこの場面を見たとき、すぐに想起されたのはキリストによる最後の晩餐の光景であった。アニメで晩餐(祈祷会)を主催しているのは〈蟷螂〉であり、アニメでは晩餐終了後に禿頭の男が突然、蟷螂の姿に立ち戻ることで種明かしがされている。やがてこの〈蟷螂〉も姿を消し、そこには抜け殻となった外套だけが映し出される。いったい〈蟷螂〉はどこへと姿を消したのか。


 謎だらけの晩餐会であるが、強烈な印象を受けるのは、主宰者の男の口から出てくるテープ状のものである。これは先が二つに割れており、まるで蛇の舌のようにクネクネと不気味な動きをしている。ひとを安穏と至福の世界へと誘う祈祷というよりは、なにか邪悪な呪文のようにも聞こえる。この呪文は聴くものを呪縛するような悪魔的粘着的な力を持っているようだ。が、その異常に長く延びた反時計回りのくねった舌もようやく男の口に納まると、テーブルには料理が運ばれ、なにごともなかったかのように晩餐会がはじまる。


 祈祷会が催される前、女の一人が鍋で鶏を煮込んでいた。つまり調理には動物の〈殺し〉が必要とされている。テーブルに腰掛けて絵本を見ていた女は片足でマリを弄んでいた(わたしはこの場面にチャップリンの『独裁者』の一場面、独裁者ヒンケルを演じるチャップリンが地球を象徴する風船をお尻や足で自在に宙に蹴りあげて遊んでいる場面を想起した)。画面右の女が鏡台の引き出しを開けるとその奥に潜んでいた鼠が逃げだし、テーブルの下に潜り込むとさっさと地下の住処へと逃げ去る。鼠を追ってきた女は、玩具の騎士二人を両手で掴んで戦わせ、負けた騎士を地下に投げ捨てる。

   


カメラは落下する騎士を追っていく。館の地下には鼠たちの住処があり、そこでは鼠たちもまた人間と同様の喜怒哀楽の生活を営んでいる。紐でつり下げられた揺り籠をやさしく揺らしている母鼠、端の小部屋で酒を飲んで仰向けに寝そべっている鼠、洗濯物が干されている場面などには、作者の小動物に向けられた愛を感じた。館のた女たちには鼠に対する微塵の同情もないが、制作者にはたっぷりと憐憫の情が籠もっている。女の館の画面右で鶏が調理されている時、画面右では湯船に浸かっている女の目の前にオモチャのアヒルが浮かんでいる。殺し殺される生きものたちの闘争の現場から、死を免れているのはこのオモチャのアヒルだけである。

 皿に盛られた肉料理はたちまち骨と化す。晩餐後、地下の住処から一匹の鼠が出てきて主宰者〈蟷螂〉の左耳に何事かを囁く。〈蟷螂〉はメガネをかけてテーブルの下を覗き、TOMを発見すると有無も言わさずいきなり掴みだしてしまう。テーブルの下に居座るTOMは鼠たちの生活に支障をきたしていたらしい。この場面だけを見ると〈蟷螂〉はこの館で最も弱い者の願い事をかなえてやる慈悲深い祈祷者にも見えるのだが。

 

 たとえ〈蟷螂〉の祈祷が神聖にして愛と赦しに溢れていたとしても、人間は動物を殺して食することで命をながらえる。先に芋虫を瞬時に補食した鶏が、ここでは人間によって殺され調理され肉の塊となって食されている。鶏を丸ごと深鍋に入れて煮込む女に一片の同情もない。肉食文化の風土に育った者たちは飼育した動物を屠殺して調理することに格別の抵抗を覚えないかも知れない。が、農耕文化と仏教の教えに馴染んだ者には、この残酷な調理と旺盛な食事の場面には何か生々しくおぞましいものを感じる。煮込まれた鶏の〈爪〉や〈頭〉や〈目玉〉が皿にのせられているが、女たちは表情ひとつ変えずにむさぼり食っている。女の一人が〈蟷螂〉に内緒でテーブル下のTOMにも骨付き肉を与える。TOMはまるで餓鬼のように肉にかぶりつく。この晩餐会に出席している九人は例外なく殺した動物の肉を堪能しているのである。

 


    TOMがつまみ出され、鼠が地下の住処に戻った後、画面は教会堂の鐘が鳴り響く場面に変わる。続いて老人の顔がアップされ、その顔の表面を何か黒い影が左右に揺れる鐘の動きに合わせて不気味に揺れている。老人のかけているメガネの二つのレンズには、天井から宙吊りにされたTOMの揺らぐ姿が映っている。鐘、黒い影、宙吊りされたTOM――と映像は老人の顔の上で重なり変容するが、そのあいだ教会堂の鐘の音は絶え間なく鳴り響いている。

 画面は一挙に、晩餐会の光景へと変換する。テーブルの中央には把っ手付きの鍋が置かれ、左右に三人ずつ、正面に一人、計七人の女たちが席についている。皿には鶏の頭や骨付き肉が置かれている。

 天井から吊された笠をかぶった電灯が縦(画面上下)に大きく揺れると、出席者の顔ぶれや鍋が替わっている。第二回目の揺れ(画面下から上)の時には鍋の蓋がずれて隙間から鶏の脚(三本の爪)が突き出している。正面の席には小さな女に代わって耳の長いウサギが座っている。揺り戻しの時(画面上から下)、鍋は四個の卵が入っている鳥の巣に変わり、老人はすっかり蟷螂の姿になっている。第三回目の揺れの時には巣の中の卵の一つが割れている。雛の姿はなく孵ったのかどうかは不明である。画面右奥にシカが、正面にバケツをかぶったウサキが座っている。揺り戻しの時には四つの卵すべてが割れており、画面左の席には舌を延ばし牙を剥き出しにした縫いぐるみのクマが座っている。画面下にいた蟷螂の姿はなく、外套だけが抜け殻のように置かれている。

 

 

 


 続いてカメラは皿の上にのった骨付き肉(ナイフとフォークの間)、鶏の脚、雛鳥の肉、クロースの上に直に置かれた鶏の目玉などを映し出す。これらは姿を消した蟷螂老人の目の前にあったものだ。

 次に画面はテーブルクロースが掛け布団代わりになって眠りについた木こりや女たちを覆い、晩餐会の場所は女たちの館の一室から大木に囲まれた森へと移行し、それはさらに雪の積もった道となって奥へと続き、その雪道にはなにものかの足跡が残されている。カメラは、暗く深い、果てしのない森の奥へ奥へと突き進む、その姿なきなにものか(おそらく蟷螂であろう)の後を執拗に追いかける。