アニメ『TOM THUMB』(NIKOLAY LICHTENFELD and IVAN KOSTIURIN)を観る アニメ版・二十一世紀の黙示録(連載2)

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アニメ『TOM THUMB』(NIKOLAY LICHTENFELD and IVAN KOSTIURIN)を観る

アニメ版・二十一世紀の黙示録

清水正

連載2

 アニメ『TOM THUMB』には様々な謎が仕込まれており、画面は目眩くような多義的象徴性を孕んでいる。登場する動物・昆虫は弱肉強食の世界に投げ出されており、植物の葉を這う芋虫は鶏に食され、蝉は蜘蛛の巣にかかって命を奪われ、小さな魚は大きな魚に呑み込まれ、その魚は人間によって釣り上げられる。

 


 釣り人の頭上には高く構築された木橋を通過するトロッコが描かれ、積まれた丸太の一本がトロッコからずり落ちて舟を直撃、釣り人は水(川か湖かは不明)に投げ出されるが、かろうじて一命をとりとめる。ここでは食物連鎖の生き死の問題を超えて、事故や事件による生き死の問題が顕現化している。所詮、この世に誕生した動植物は例外なく〈死〉に呑み込まれてしまう運命にある。が、同時に〈死〉は新たなる〈生〉を孕んでおり、このアニメにおいても〈死〉と〈再生〉は大きなテーマとなっている。


 芋虫を食した鶏は、直後、蟷螂と対決的な体勢を取っているが、ここではその決着した場面は描かれていない(後に終幕近く、鶏があっけなく蟷螂を補食する場面が描かれるが、このアニメで蟷螂に賦与された霊的メタファーは重要であり、最初の場面では二者の対決結果は保留されている。蟷螂の敵に立ち向かうその姿が〈祈り〉の姿に似ていることにも注意すべきだろう)。自然の摂理に従えば、昆虫の蟷螂が鶏の攻撃を逃れることはできず、ここで補食されているのは確実と思われるが、その場面を敢えて描かなかったところに、〈鶏〉と〈蟷螂〉に賦与された特別な象徴的意味が込められていると見ることができる。


 まず〈鶏〉だが、これは農婦の飼っているニワトリと見ることもできる。登場する小動物の食物連鎖の頂点に立っているが、しかしこの鳥も人間によってその生死を支配されている。アニメでは女たちの館で、鶏がまるごとスープの材料になっている。

 さて、〈蟷螂〉であるが、この昆虫はアニメ『TOM THUMB』においては食物連鎖の枠外に存在しているようにも思える。〈蟷螂〉のロシア語〈богомол〉には〈巡礼者〉〈祈祷者〉という意味もある。〈богомол〉には〈бог〉(神)が入っており、〈蟷螂〉が綴りの次元で神的な存在であることが暗示されている。また日本ではその姿から〈拝み虫〉とか〈斧虫〉と呼ばれ、ギリシャ語の学名マンティスには〈占い師、予言者、預言者〉という意味もある。英語でpraying mantisは「祈るカマキリ」、preying mantisで「補食するカマキリ」となる。また〈蟷螂〉は共食いする昆虫、特に雌は交尾時にからだの小さい雄を喰い殺す昆虫としても知られている。以上、〈蟷螂〉は実に神秘的・怪異的で、多義的なイメージがつきまとっている昆虫である。

 

 アニメの最初の方の場面で、TOMが水の中からすくい上げる小さな石が出てくる。これはエメラルドのような透明感のある鉱石で、何か神秘的な感じを覚える(批評では〈透明石〉と名付けておく)。TOMはこの〈透明石〉を左の目にあてがい世界を覗き見る。TOMの観る外的世界は、この〈透明石〉の表面に映し出される。この時、TOMの観る世界と視聴者の観る世界は一致することになる。映し出されたのはアザミの花にとまっている〈蟷螂〉で、まるで踊っているようにも見える(因みに、この〈透明石〉は緑色と赤色の二種あるが、緑は〈蟷螂の目〉、赤は〈鶏の目〉のメタファであり、ウサギは緑色の透明石を左目にあてがっているが、TOMはこの赤・緑二種の透明石を左目にあてがうことのできる存在であった)。


 なぜ〈透明石〉に映し出された最初のものが〈蟷螂〉なのか、作者はさりげなくこの作品における〈蟷螂〉の重要性を示唆している。〈蟷螂〉は世界に存在する無数の生物種の中の一種でしかないが、この作品の中では世界を冷徹に見透かす霊的な存在としても登場している。

 やがてこの〈蟷螂〉はある人物に変容し、森の中を通過(巡礼)して女たちの住む館へとたどり着き、そこで新たな場面(祈祷と晩餐)を展開することになるが、ここではまず、木こり(+TOM)八人が足を踏み入れた〈森〉そのものを見ておくことにしよう。