アニメ『TOM THUMB』(NIKOLAY LICHTENFELD and IVAN KOSTIURIN)を観る アニメ版・二十一世紀の黙示録(連載3)

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アニメ『TOM THUMB』(NIKOLAY LICHTENFELD and IVAN KOSTIURIN)を観る

アニメ版・二十一世紀の黙示録

清水正

連載3

書割的な〈森〉の象徴性


 木こりたちが踏み込んだ森は画面右に屹立した〈六本〉の大木、画面左に同じく屹立した〈六本〉の大木、その間の空間は〈六つ〉の固まりによって描かれている。まるで舞台の書割のように単純化された〈森〉であるが、この〈森〉は世界・宇宙の縮図と言ってもいい。数字の象徴性で見れば〈六〉×〈三〉=〈十八〉で数秘的減算すると〈九〉となる。

 〈九〉でわたしがすぐに想起するのは『罪と罰』のヒロイン、ソーニャの部屋の番号である。この部屋で売春婦ソーニャは客を取っていたとも考えられるが作者ドストエフスキーは明確に書いていない。分かっているのは、ソーニャはここでロジオンに頼まれて〈ラザロの復活〉の場面を朗読していることである。

 注目すべきは、朗読中にソーニャの部屋に二千年の時空を超えてキリストがその姿を顕していることである(尤も、このことは独自のテキスト解読法を駆使しなければ発見できない。ふつうの読者にはこの時、ソーニャの部屋にはソーニャとロジオンの二人しか見えない)。ソーニャは顕れたキリスト(видение=実体感のある幻)に向かって自らの信仰をマルタの発した言葉「主よ、しかり! われなんじは世に臨るべきキリスト、神の子なりと信ず」(Так,господи! Я верую,что ты Христос,сын божий,грядущий в мир)に重ねて自らの信仰を告白している(詳細はわたしの『罪と罰』論をお読みください)。

 久保有政著『ゲマトリア数秘術』(二〇〇三年 学習研究社)を読むと、ギリシャ語、ヘブル語のゲマトリア数秘術的減算して〈九〉になるものは意外と多いが、ここでは〈森〉の象徴的意味に関連する代表的なものだけをあげておこう。

 

「箱船」(容積=長さ×幅×高さ=300×50×30=450000キュビト=9)

「主なる神」(ギリシャ語で1224=9)

聖霊」(ギリシア語で1080=9)

「幕屋」(ヘブル語で36=9)

「祭壇」(ギリシア語で1728=9)

「神殿」(ギリシア語で864=9)

「天の御国」(ギリシア語で2880=9)

「神の秘密」(ギリシア語で999=9)

聖霊」(ギリシア語で1080=9)

 

 書割のように単純化された〈森〉は自然の象徴であると同時に、それが〈祭壇〉や〈神殿〉の意味も担っていたとすれば、とうぜんこの場所は神聖にして冒すべからざる聖所となる。画面の表層だけを読めば、七人の木こりとTOM(計八人)は木を伐採するために仕事場としての森に入ってきたに過ぎないが、このアニメの映像に込められた多義的象徴性や宗教的・黙示的意味に踏み込んでいくと〈森〉はとつぜんその様相を変えることになる。〈斧〉は大木を切り倒すためだけの道具ではなく、〈祭壇〉〈神殿〉を破壊する恐るべき道具となり、死や殺しを意味するカード〈2〉もまたその次元においてとらえ返さなければならないことになる(因みに、〈九〉を〈箱船〉と見れば、森に踏み込んだ〈八人〉(木こり七人+TOM)と、〈箱船〉に乗り込んだノア、ノアの妻、ノアの息子三人、彼らの妻三人の計〈八人〉との関係も面白い。なにしろこのアニメの一大テーマは世界の創世と終末と、その再生なのであるから)。


 木こりの〈斧〉によって自然は破壊され、文明化が押し進められるが、同時にこの〈斧〉は冒すべからざる〈神殿〉をも破壊していたとなれば、ここですでに〈斧〉の両犠牲が浮き彫りになる。ロジオンの〈斧〉は二人の女を殺害するためにだけ振り上げられたのではない。この〈斧〉は当時冒すべからざる絶対専制君主であった〈皇帝〉の頭上に打ち下ろすために用意されたのである(この恐るべき企みを作者ドストエフスキーは主人公のロジオンにも、そして読者にも巧妙に隠した。その企みが暴かれるまでに百年の時が費やされることになった)。