清水正  神尾和由の新世界(連載2)

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https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk

 

 

神尾和由の新世界(連載2)

清水正

 

神尾和由「INTERNO e ESTERNO」を観る

 2019年5月1日午後二時十分、わたしは神尾さんの作品「INTERNO e ESTERNO」の前に立った。作品は国展会場の四番室に展示されていた。神尾さんの絵は「丘」を葉書で観ていたのですぐに分かった。

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 「丘」と同じく土色が基調となっているが、白、緑、黄、青が土色と同調するように配色されている。二枚の絵をまとめて観れば、人物は男が一人で女が三人である。男は白シャツの胸部上から描かれているのにたいし、女は三人ともに白、白、黄のワンピース姿でほぼ全身が描かれている。

 タイトルのイタリア語「INTERNO e ESTERNO」は「内と外」を意味する。画面右が「INTERNO」(内)、画面左が「ESTERNO」(外)で二枚合わせて「INTERNO e ESTERNO」ということである。独立した〈内〉と〈外〉でありながら同時に二枚の世界が調和して現出している。〈内〉と〈外〉の二つの世界に何らの確執、闘争、分裂、煩悶がなく、実に穏やかに安らかに調和している。女は腕を組んだり、両腕を上方に大きく掲げたり、両手を髪に当てたり様々な立ち姿のポーズをとっているが、他の男一人を含めてすべてが前方を向き、その表情は穏やかで友好的である。

 「INTERNO」(内)の室内を見てみよう。

 床は緑のカーペットが敷かれ、がっしりした四脚のテーブルは真っ白なクロスに覆われ、上にはオリーブ、水差し、カップなどが整然と置かれ、大きく開かれた右の窓には青空と白い雲、隣家の土色の建物と緑の大地が描かれている。左の小窓も全開され、青空と緑の立木二本と細長い建物が描かれている(壁に描かれた絵とも見える)。立っている白いワンピースを着た女の背後の壁も青く塗られており、全体にさわやかで涼しげな、開放感あふれた感じを受ける。

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「ESTERNO」(外)を見てみよう。

 画面右下に白シャツを着た首の長い短髪の男がおだやかな表情で正面を向いて立っている。この男の頭部にはまるで角のような白く細長い塔が描かれている。画面左には黄色のワンピースを着たふくよかな女が両腕をあげて手を髪(短髪)に当てている。画面中央には戸を全開した長方形の部屋に白いドレスを着た女が両腕をバンザイしたかたちで前を向いて立っている。画面右上部には雌雄を思わせる二本の木が真っ直ぐに立っている。画面上部には青空とそこに浮かぶ白魚のような雲が〈三匹〉描かれている。

 三人の人物、白い塔、二本の木に共通しているのは〈立っている〉ことである。これは〈独立〉〈自立〉〈毅然〉を表している。二本の木は寄り添わず一定の距離を保って立っている。三人の人物も同じく、彼らは決して見つめ合わず、接近せず、抱擁することがない。かといって、彼らは孤立しているのではない。ひとりひとりが自立し、孤独に徹することで、彼らは精神の自由を保持し、お互いに深く通底しているのである。神尾さんの描く絵の世界では一本の白い塔も、緑の二本の木も、青空に泳ぐ白い〈三匹〉の雲も、けっして慣れ合うことなく、自立し、孤独の自由を悠々と満喫している。

 〈白〉い雲、〈白〉いドレス、〈白〉い塔、〈白〉いテラス、〈白〉いシャツ、〈緑〉の木、庭、〈青〉い空、〈土色〉の顔・首・腕・脚、建物の屋根・壁・塀……これらがバランスよく配置され、透明感のある清潔でさわやかで明るい世界をつくりあげている。

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 画面中央の白いドレスを着た女は黒い部屋を背景にして立っているように見える。が、この黒は女の内部の暗い感情や閉塞的な闇の心理を象徴しているのではない。画面いっぱいに溢れている明朗潔癖は謂わばすでに〈黒〉を克服してしまっている。この一見〈黒〉く見える背景は、限りなく黒に近い〈土色〉で、これは白いドレスを身にまとった女が〈永遠の命〉を象徴する女神であることを意味している。

 

 さてここで二枚の絵を同時に観ることにしよう。

 画面右の「INTERNO」の両腕を組んで立っている女は、〈何〉かを待ち受けているように見える。ただ漠然と待っているというよりは、彼女の眼差しはすでに来たるべき〈何か〉をとらえ、その〈何か〉を知っているかのような余裕を見せている。

 画面左の「ESTERNO」の三人は、各々の表情と姿で、その〈何か〉を出迎えているように見える。〈女神〉をもバンザイ(歓迎)の姿で出迎えさせた〈何か〉とは何か。  これは本来名付けられないもの、描いてはいけないものである。 「INTERNO e ESTERNO」の明朗清潔な世界は、眩しい曙光に照らされた世界ではない。敢えて言えば、真昼の陽光に照らされた世界である。

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 「熱いか冷たいかどちらかであってほしい。あなたは生ぬるいのでわたしの口から吐き出そう」というユダヤキリスト教絶対神に支配された世界ではない。「INTERNO e ESTERNO」の世界は、人間も動物も植物も物質もすべて等価で、生きてあることの〈有〉の喜びをしずかに満喫できる世界である。

   ローマから一時帰国した神尾さんと三回目に会ってから実に26年の歳月が経った。先日5月1日に会った神尾さんは実におだやかな表情をしていた。かつてのエネルギッシュなぎらつくようなオーラの代わりに、好好爺の優しい笑みをたたえていた。もちんこれは神尾さんの創作意欲の減退を意味しているのではない。

    わたしは「INTERNO e ESTERNO」に〈新世界〉の現出を観たが、これは今、神尾さんが創作家として最高の自由の境地に至り着いた一つの証といえよう。気取りも虚勢もない、ふつうの人間の〈存在〉のうつくしさを、こんなに〈ふつう〉に描けることは実はただ事ではないのだが、それさえも感じさせないみごとな境地で、〈内〉と〈外〉の出入り自由な〈新世界〉が現れでている。

 国展の展示場で「INTERNO e ESTERNO」を前にした時、わたしは確かに〈新世界〉に自然と参入できたし、〈新世界〉の人物たちがこちらの世界へと歩み来たるのも感じた。この地上世界はいつも戦争や紛争の危機に襲われ、不条理な悲惨が続いているが、神尾さんがキャンバス上に現出させた〈新世界〉は永遠の平穏を獲得している。神尾さんの絵には深く秘められた〈祈り〉を感じ、くつろぎと共に厳粛な気持ちにもさせられる。

 今年七十歳になった二人が、様々な身体的精神的危機を乗り越えて〈創作〉の現場で再会できたことに、ひとり、孤独な部屋で祝杯をあげることにしたい。