清水正 動物で読み解く『罪と罰』の深層■〈虱〉(вошь) 連載6

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江古田文学」99号(2019-3-25)に掲載した「動物で読み解く『罪と罰』の深層」(連載3回)を数回にわたって紹介する。

動物で読み解く『罪と罰』の深層

 

清水正

■〈虱〉(вошь)
連載6 

 

    ロジオンは革命家でもなければキリスト者でもなく、将来において成功する実業家でもない。ロジオンが真面目に真剣に実業家としての将来を考えたことは一度もない。読者はどこでどのような彼の実業家としてのビジョンを聞いたであろうか。四百字詰原稿用紙に換算して千五百枚にも及ぶ長編小説の中のどこにもロジオンの企業家としての現実的なビジョンは披露されていない。要するに彼は屋根裏部屋の空想家、犯罪に関して一論文を書き上げることのできるインテリではあっても、ルージンのような実務家的な才能はほとんどない青年なのである。ロジオンに欠けているのは〈実際的精神〉(деловитость)とやらで、彼はそれを身につけようなどと思ったことは一度もない。むしろ彼はルージンに体現されているこの〈実際的精神〉とやらを心の底から憎んでいたと言ってもいい。ロジオンの実存の姿はルージンのそれとは真逆であり、だからこそルージンと婚約したドゥーニャを、二人の結婚を望んだ母プリヘーリヤを許すことができないのである。

 わたしは、ロジオンの母親と妹は、どんなに愛情深い心優しい女たちと描かれていても、とてもそのことを肯定することはできない。なぜロジオンを誰よりも愛している彼女たちが、ルージンとの結婚などというロジオンの気持ちを逆撫でするような選択をしたのか。その理由はいくらでも並べることはできよう。しかしこの選択は彼女たちの愚かさを証明するものでしかない。二人の女を殺したロジオンといい、愛も尊敬もないルージンとの結婚を選ぶプリヘーリヤとドゥーニャといい、ラスコーリニコフ家の人々はなぜこんなにも愚かなのかと溜め息が出る。わたしはプリヘーリヤ、ロジオン、ドゥーニャ、彼らラスコーリニコフ家の人々はまともな人間の路線から逸脱してしまった存在に見える。

 ロジオンの〈アレ〉には〈神殺し〉も含まれている。ポルフィーリイの言う〈別の理論〉が「神がなければすべてが許されている」ということであれば、確かにロジオンは幾億倍も醜悪なことをしでかしたかもしれない。しかし、ポルフィーリイの言葉は十分に作者の思いと結託していると言える。もう一度引こう、彼は「あの婆さんを殺しただけですんで、まだよかったですよ」と言っている。耳を疑うようなセリフである。ロジオンはアリョーナ婆さんだけを殺したのではない。目撃者のリザヴェータもたたき殺している。なのになぜポルフィーリイはアリョーナ婆さん殺しだけに限定しているのだろうか。まるで読者にリザヴェータ殺しはなかったと思わせようとしているかのように思える。

 もしわたしが『罪と罰』中に出現できるのであれば、ロジオンに聞きたいのはアリョーナ婆さん殺しよりはむしろリザヴェータ殺しにある。〈リザヴェータ殺し〉はポルフィーリイの言う、〈幾億倍も醜悪なこと〉を許容する〈別の理論〉を抱え込んでいる。要するに〈リザヴェータ殺し〉は〈神殺し〉を意味しており「神がなければすべてが許されている」という理論を実践しているのであり、この理論はネチャーエフの唱える〈革命家の教理問答〉の内容とも合致するのである。〈良心に照らして血を流すことが許されている〉というロジオンの〈非凡人〉は、〈リザヴェータ殺し〉によって実は自らの〈良心〉を叩き割ってしまったとも言える。叩き割られてしまった〈良心〉は、〈リザヴェータ殺し〉に呵責を感じないのは当たり前と言うことになる。

 いずれにせよ、作者と結託したポルフィーリイはロジオンにおける秘められた過激な〈革命思想〉はもとより、〈アレ〉が〈皇帝殺し〉をも意味していたことなどに関して完璧にスルーを決め込むことになる。