文学の交差点(連載13)■プリヘーリヤの〈事の真相〉をめぐって

「文学の交差点」と題して、井原西鶴ドストエフスキー紫式部の作品を縦横無尽に語り続けようと思っている。

最初、「源氏物語で読むドストエフスキー」または「ドストエフスキー文学の形而下学」と名付けようと思ったが、とりあえず「文学の交差点」で行く。

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc

 

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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

文学の交差点(連載13)

清水正

■プリヘーリヤの〈事の真相〉をめぐって

――  プリヘーリヤは手紙で「ちゃんと順序立てて書くことにしましょう。これまではどうだったのか、そしてこれまでおまえに何をかくしてきたのか、すっかり知ってもらいます」「もし私が事の真相をすっかり手紙したら、おまえはおそらく、何もかも放擲して、歩いてでも帰ってくれたことでしょう」と書いている。

 いったいプリヘーリヤは「何をかくしてきた」のか。いったん、プリヘーリヤとアファナーシイとの関係に疑いの眼差しを向けた者にとっては、実に刺激的、挑発的な言葉である。しかし、手紙を読んだ者には明白なように、これはドゥーニャとスヴィドリガイロフの関係についての言葉である。プリヘーリヤはドゥーニャとスヴィドリガイロフの関係についてのみ〈事の真相〉を話そうとしているのであって、自分とアファナーシイの関係については沈黙を守り続けている。手紙の表層を読む限り、プリヘーリヤとアファナーシイは年金を抵当にして金を借りたというだけの関係にとどまる。プリヘーリヤとアファナーシイの関係に関しては、手紙文をマルメラードフの告白に重ねて執拗に揺さぶりをかけないとその秘密を浮上させることはない。

 描かれた限りで読めば、手紙を受け取ったロジオンが、母親プリヘーリヤと亡き父親の友人アファナーシイとの関係についてことさら思いを深くすることはない。そのことも手伝って『罪と罰』の読者は、改めてプリヘーリヤとアファナーシイの関係について照明を与えることはしない。読者の関心はもっぱらドゥーニャとスヴィドリガイロフの〈事の真相〉に向けられる。

 ロジオンは母親と妹の彼に対する独特な愛の性格をよく承知している。ロジオンは肉親に対しては想像力を豊かに働かせ、感情を露わにする。ロジオンの肉親に対する愛も独特であり、その愛はすべての人間に対しても適用されるわけではない。ロジオンはルージンや高利貸しアリョーナ婆さんに対して微塵の愛も向けることはなかった。ロジオンの想像力は肉親やソーニャに対しては豊かに広がるのだが、ルージン、アリョーナはもとよりスヴィドリガイロフやポルフィーリイ予審判事に関しては憎悪、敵意、殺意など負の感情に支配されてしまう。

 母親の手紙を読んでも、ロジオンは商人アファナーシイに関してはいっさい触れない。父親の〈友人〉で〈いい人〉であるアフナーシイと母親との〈事の真相〉に関して、ロジオンのアンテナは何も受信しない。ロジオンが敏感に反応するのはドゥーニャを誘惑したスヴィドリガイロフと婚約者ルージンである。アファナーシイなどは年金を抵当にとって母親に金を貸してくれた男ぐらいの認識しかなかった。少なくとも作者はそのように描いている。

罪と罰』の闇は深い。この闇の中には想像もできないような出来事が秘め隠されている。プリヘーリヤが手紙で知らせる〈事の真相〉は、息子に知らせてもよい情報に限定されている。ドゥーニャとスヴィドリガイロフの関係についても、プリヘーリヤが実際に知っていることは何もないと言っていい。プリヘーリヤの把握している〈事の真相〉はすべてドゥーニャならびにマルファから聞いたことである。 スヴィドリガイロフは男と女の間の出来事は当事者にしかわからないと言っているが、けだし名言である。否、当事者にすらわからないのが男と女の関係である。

〈事の真相〉に関して、当事者であるスヴィドリガイロフとドゥーニャのあいだにさえ食い違いが見られる。〈秘中の秘〉と〈自己欺瞞〉に関してある種の女性は天才的な能力を発揮する。女に関しては海千山千の好色漢であったはずのスヴィドリガイロフが、見ようによってはドゥーニャに弄ばれたとも言えるのである。スヴィドリガイロフからルージンへ、そしてラズミーヒンへと短期間の間に鞍替えしたドゥーニャを、ロマンチックに理解するほど危険なことはない。