文学の交差点(連載29)○描かれざる〈踏み越え〉

「文学の交差点」と題して、井原西鶴ドストエフスキー紫式部の作品を縦横無尽に語り続けようと思っている。

最初、「源氏物語で読むドストエフスキー」または「ドストエフスキー文学の形而下学」と名付けようと思ったが、とりあえず「文学の交差点」で行く。

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc

 

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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

文学の交差点(連載29)

清水正

 ○描かれざる〈踏み越え〉

 『罪と罰』の原題は『преступление и наказание』で直訳すれば『犯罪と刑罰』である。我が国では内田魯庵が英訳タイトル『CRIME AND PUNISHMENT』を『罪と罰』と訳して以来、今日まですべての翻訳者がこのタイトルに従っている。〈犯罪〉(преступление)とは従来の風習慣習を打ち破ったり法律を踏み越えたりする事である。〈преступление〉を〈罪〉と訳すと、どうしても宗教的なニュアンスが濃くなる。宗教的な意味での〈罪〉は英語では〈sin〉、ロシア語では〈грех〉である。したがってフレデリック・ウィショウは『преступление и наказание』を原語通りに英訳したことになる。内田魯庵が『罪と罰』と訳したことで、わたしたちはこの作品のタイトル自体にも注意を向けなければならなくなったわけだが、ここでは〈преступление〉を〈踏み越え〉と訳して話を進めていく。

罪と罰』には主人公ロジオンの〈踏み越え〉、つまりロジオンの〈高利貸しアリョーナ殺し〉と〈リザヴェータ殺し〉が詳細に描かれている。しかしドストエフスキーはロジオンだけの〈踏み越え〉をこの作品で取り扱っていたのではない。実はマルメラードフの後妻カチェリーナ、スヴィドリガイロフ、プリヘーリヤ、ドゥーニャ、そしてソーニャの〈踏み越え〉などもきちんと視野において描いている。

 問題は彼らの〈踏み越え〉の場面が読者の誰にでも分かるようには描かれていないということである。はっきり言えば具体的には何一つ描かれていないのである。何一つ描かれていない場面が、にもかかわらずある種の想像力を働かせると実に鮮明にその場面が浮上してくるのである。真っ暗闇の中の出来事がある種の照明を当てると鮮明に立ち上がってくるのである。