文学の交差点(連載41)■テキストの多様性を踏まえた上で〈解釈〉の坩堝を遊泳する

 

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc

 

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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

文学の交差点(連載41)

清水正

■テキストの多様性を踏まえた上で〈解釈〉の坩堝を遊泳する 

    わたしは今回、『源氏物語』における〈描かれざる場面〉(「輝く日の宮」)に注目し、ドストエフスキーの文学作品、特に『罪と罰』における〈描かれざる場面〉に改めて照明を当てようと思った。すでに『罪と罰』に関しては膨大な批評を展開しているので重複するのを承知の上で考察を進めている。今まで指摘したことを簡単にまとめれば、『罪と罰』において〈描かれざる場面〉は非常に多い。 題名の〈преступление и наказание)の〈преступление〉(内田魯庵は英訳〈crime〉を〈罪〉と日本語訳した)は本来〈犯罪〉(踏み越え)を意味する。ドストエフスキーは主人公ロジオンの〈踏み越え〉(高利貸しアリョーナ及びリザヴェータ殺し)に関しては、実に丁寧にリアルに描いた。が、ソーニャの〈踏み越え〉に関しては、まさに分かる人にしか分からないような巧妙な暗示的象徴的な描法を駆使している。このドストエフスキーの描法が理解できなければ、読者はマルメラードフの告白の表層をそのままなぞるほかはない。イワン閣下は慈悲深い〈生神様〉として受け入れられ、イワン閣下の名と父称をひっくり返しただけの商人アファナーシイもまたプリヘーリヤが書いたように〈いい人〉として理解されてしまう。

 ソーニャの〈踏み越え〉は直接的にリアルに描かれることはなかったので、百年以上にわたってその実態は闇のなかに据え置かれたままであった。しかしソーニャの〈踏み越え〉の実態が分かれば、マルメラードフの告白の中に潜められたロジオンの母親プリヘーリヤの〈踏み越え〉(プリヘーリヤとアファナーシイの肉体関係)の実態も浮かびあがってくることになる。すでに〈踏み越え〉(愛も尊敬もないマルメラードフのプロポーズを受けたこと)ていたカチェリーナがソーニャに〈踏み越え〉を強要していたように、すでに〈踏み越え〉ていたプリヘーリヤが娘ドゥーニャに〈踏み越え〉(愛も尊敬もないルージンとの結婚)を要請したということになる。

 母からの長い手紙を読んだロジオンが、はたしてブリヘーリヤの〈踏み越え〉の秘密を覚ることができたかどうか。表層テキストを読む限り、こういった微妙な点に関してはロジオンは知らん振りを決め込んでいる。作者が秘密にしていることを人物がばらすことはない。これは別にドストエフスキーに限ったことではない。