文学の交差点(連載40)■描かないことで描く手法

 

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc

 

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https://youtu.be/RXJl-fpeoUQ

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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

文学の交差点(連載40)

清水正

■描かないことで描く手法

 小説を読むという行為は、もちろん読む対象であるテキストが存在しなければならないが、テキストが存在していても読む者がいなければ存在しないも同然である。さらにテキストは読者の数だけの感想や解釈によって作品化される。またわたしのように何度も何十回も同じ小説(たとえば『罪と罰』)を読む読者にとっては、その〈解釈〉も多様であり、常に変容していく。

 二十歳の頃、わたしは『罪と罰』を読んでソーニャの淫売稼業の実態になぞまったく関心がなかった。ソーニャはあくまでも信仰者、ロジオンに圧倒的な影響力を備えた純潔無垢な聖女として存在していた。ロジオンは実際に二人の女性を斧で叩き殺した残虐非情な殺人者であるにも関わらず、人類の全苦悩の前にひれ伏す純粋な求道者的青年と見なしていた。二十歳のわたしはロジオンを冷静に客観的に見て、彼の卑劣漢の側面を徹底的に暴くような視点は持ち合わせていなかった。当時のわたしはロジオンに親近性を感じていた、というより「ロジオンはわたしだ」ぐらいの一体感を持っていた。ところが、それから半世紀、今のわたしはロジオンにそれほど親近性を抱かなくなった。というよりか、ロジオンとの異質性をますます強く感じるようになった。