清水正 動物で読み解く『罪と罰』の深層■〈虱〉(вошь) 連載7

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江古田文学」99号(2019-3-25)に掲載した「動物で読み解く『罪と罰』の深層」(連載3回)を数回にわたって紹介する。

動物で読み解く『罪と罰』の深層

 

清水正

■〈虱〉(вошь)
連載7

 

 ロジオンは犯行後の〈実業〉に対して何ら具体的な計画を練っていなかったように、〈良心〉に関しても思索を深めることがなかった。『罪と罰』の読者はロジオンを優秀な思弁家のように思ってしまうが、実際はかなりいい加減で、詰めが甘い。彼が殺しても構わないと判断した〈虱〉に関しても同様である。ロジオンが実際に殺したアリョーナ婆さん、そしてリザヴェータのことも彼は同じく一匹の〈虱〉と見なしていたのか。彼はそんなことにいちいち立ち止まって考えることはしなかったが、リザヴェータを殺しても〈良心〉の呵責に苦しんでいないことを失念してはならないだろう。しかも〈アレ=皇帝殺し〉と見なせば、皇帝もまた一匹の〈虱〉の存在でしかなくなるのである。当時の過激な革命家にしてみれば、市井の一高利貸しの婆さんなどより、むしろ皇帝こそが社会にとって最も有害な〈虱〉と認識されていたのである。むろん、作者によってロジオンは革命家の肖像を完璧に封じ込められている。間違ってもロジオンの口から〈虱=皇帝〉という言葉が発せられることはない。ロジオンに許されているのは、空想の裡とはいえ自らをナポレオンに匹敵する非凡人と見なした自分もまた一匹の〈虱〉に過ぎなかったという苦い思いである。しかし、〈英雄〉(иродион)という名前のロジオン(Родион)は犯行前、自分を〈虱〉と思ったことは一度もなかった。ロジオンは非凡人として、社会の害虫でしかないアリョーナ婆さん殺しを許可する〈良心〉の持ち主として、裁きの斧を振り下ろしたのである。

 さて、犯行後のロジオンが〈虱〉に関してどのような思いを抱いたのか、ここでテキストに即して見ておこう。

 

 『おれは《全人類の幸福》をべんべんと待つあまりに、ポケットに自分の一ルーブリをにぎりしめて、腹を空かした母親の横を通りすぎるのがいやになっただけなんだ。「全人類の幸福のために小さな煉瓦を運ぶことによって、心の安静を得る」か。ははは! どうしてこのおれをお忘れなんだ? おれは一度しか生きないんだし、おれだって生を……ははん、おれは美的趣味のあるしらみだな、それ以上の何ものでもない』彼は気が狂ったように高笑いをして、こう言いたした。『そうだ、おれは本当にしらみだ』と彼はつぶやき、意地悪いよろこびにかられるままこの考えにとりすがって、それをほじくり返し、もてあそび、楽しんだ。『何より第一に、いまおれがしらみ談義にふけっているのがその証拠だ。第二に、まる一月もの間、全能の神さまを証人に呼びだして、こいつは自分の肉と欲のためにすることじゃない、べつの立派な、よき目的のためにすることだなどと、さんざごねてみせたからだ。ははは! それから第三には、実行にあたって、できるかぎり公正を旨とし、重さや尺度や算術を守ろうというわけで、数多いるしみのなかから、いちばん無益なやつを選びだし、そいつを殺して、おれが第一歩を踏みだすのに必要なだけの金を、過不足なくきっかり取ろうと心がけたからだ(残りの金は、だから、遺言どおり僧院へ行くわけさ、ははは!)。……それからおれが決定的にしらみなのは』彼は歯ぎしりをしながらつけ加えた。『おれ自身が、殺されたしらみよりも、もしかすると、もっといやらしくて、醜悪だからだ。おまけに、殺してしまったあとから、自分にこう言うだろうってことを、あらかじめ予感していたからなんだ! いったいこれ以上醜悪なことがあるだろうか! ああ、俗悪だ! 下劣だ! ああ、おれには《預言者》の気持がよくわかる。サーベルを手に、馬にまたがり、「アラーの神の命なり、おののきふるえるやからども、服従せよ」とやった預言者! 正しかったんだ、《預言者》は正しかったんだ。どこかの通りにずらりとすばらしい砲列を敷いて、それこそ言訳ひとつ言おうとせず、罪なき者も罪ある者も片端から射ち殺した預言者は!……服従せよ、おののくやからよ、望むなかれ、それはおまえらのわざではない!……そうとも、あんな婆ァなんぞ、なんで容赦するものか!』(中・175~176) 

 

 ロジオンは犯してしまった犯罪に関して、様々な解釈を展開する。独語の場合もあれば、犯罪の報告の相手に選んだソーニャに対してもある。解釈は視点を変えればいくらでも成立する。一つの絶対的な解釈に立てなければ、思弁の人ロジオンはそれこそ限りなく様々な解釈を展開し続けることになる。犯罪の謎を解こうとしてますます途方もないカオスのただ中へと巻き込まれていく。犯行前のロジオンはおしゃべりには飽き飽きしていた。おしゃべりをやめなければ〈アレ〉を実行することはできない。しかしロジオンは自分を非凡人と予め見なしていたわけではない。おそらくロジオンは犯行前から自分がナポレオンのような〈青銅でできた人〉とは思っていなかったろう。犯罪に関する洞察力豊かな論文を書ける者が必ずしも犯罪者として成功するわけではない。むしろ優秀な論文をものにすることのできる者は、その方面、学者とか評論家として名をなすことはあっても、自ら犯罪者となるようなことは滅多にない。