池田大作論(2)  清水正

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc

 

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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。
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池田大作(2)

清水正


 わたしは池田大作の『人間革命』全12巻『新・人間革命』第27巻までを読んでたいへん感動したし、共鳴する場面も多かった。わたしは素直に主人公山本伸一の考え方や行動に尊敬の念を抱いた。山本は社会的な常識を重んじていたし、その姿勢は創価学会の過激な仏法流布(広宣流布)のイメージを和らげるものであった。
 わたしがまだ小学生低学年の頃であったろうか、わが家にも折伏のために三、四人の創価学会員が訪ねて来たことがある。母親が対応したが、両者の間にどのようなやりとりがあったのかはまったく記憶がない。ただ映像だけが鮮明に記憶されている。三十歳前後の痩せた青年が分厚い本を片手に大きな声で話していた。母親は冷静に対処していたように思える。その後、創価学会員が訪れることもなく、わが家で日蓮宗の話が出たこともない。わが家の菩提寺禅宗なので、創価学会とは相容れなかったということであろう。
 日蓮の教えに帰依することと広宣流布を除けば、わたしは池田大作の考え方に基本的な違いはない。わたしは学生や弟子たちに、事をなすにあたっては「スピーディに、緻密に、圧倒的に」しなければならないとか、教育の現場にあっては何よりも人間が大事、すなわち教師が第一とか言っているが、池田大作もまったく同じことを繰り返し語っている。池田大作がわたしと違うのは、彼の壮大な構想、それを実現するための組織力と実行力である。池田大作には人を動かす力が備わっている。彼の発する言葉、声には信じる者の気魂がこもっている。わたしは専ら書くことに精力を発揮してきたが、池田大作の場合は書くことの他に創価学会を世界に広めていくための精力的な布教活動がある。これは驚異的な仕事であって、わたしなどは素直に感動する。
 池田大作の『人間革命』『新・人間革命』(以下、特に断らない限り両者を含めて『人間革命』と表記する)は山本伸一の偉人伝と言えよう。池田大作戸田城聖のもとで子供向けの雑誌『冒険少年』を編集していたが、『人間革命』は言わば、子供向けの偉人伝を継承している。人間の心の底に潜む卑小、卑劣な側面にまざまざと照明を与えることは敢えてしないのが子供向け偉人伝の常套である。
 山本伸一を映し出すカメラは、山本伸一と一定の距離を保持して、どんな場合でも必要以上に接近しないし、ましてや裏側に回ったり、内部の深層領域に参入していくことはない。従って、読者は山本伸一の表向きの、誰の前に出しても恥ずかしくない〈立派な〉〈尊敬すべき〉姿が映し出されることになる。これをニーチェの言葉をもじって言えば「アポロンディオニュソスを包むところの大いなるアポロン」ということになる。
 池田大作の内部に大いなるディオニュソスの領域(第六天の魔王)が潜んでいるように、山本伸一の内部にもそれは潜んでいるのだろうが、『人間革命』を読む限り、山本伸一に底知れぬディオニュソス性を感じることはない。彼の立派な性格は『人間革命』全編を通して「アポロンディオニュソスを包むところの大いなるアポロン」として一貫している。否、より正確には「アポロンアポロンを包むところの大いなるアポロン」と言えようか。彼はこのすべき太陽としてのアポロン象からの逸脱を禁じられた存在として、最初から最後まで〈偉人〉として振る舞う。この〈偉人〉の存在を根底から突き崩す内なる〈魔〉は『人間革命』の中に出現することはない。山本伸一の内部から自らの信仰を揺るがす〈第六天の魔王〉が立ち現れてくることはないし、外部に現れた〈魔王〉は予め山本の〈仏性〉によって滅ぼされるものとして設定されている。『人間革命』全編を通して山本伸一が信仰の危機に陥ったことはない。彼は人間の姿を借りたスーパーマンのように、自らの絶対性を疑ったことはなく、従って精神の分裂に陥ってのたうち回ることがない。
(平成28年12月5日)