清水正 動物で読み解く『罪と罰』の深層 ■〈めす馬〉(кляча.кобыла.саврас.лошадь) 連載3

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc

 

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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。
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江古田文学」100号(2019-3-31)に掲載した「動物で読み解く『罪と罰』の深層」(連載4回)を数回にわたって紹介する。

動物で読み解く『罪と罰』の深層

 

清水正

■〈めす馬〉(кляча.кобыла.саврас.лошадь)
連載3

 

 いずれにしてもプリヘーリヤは次男を生後六ヶ月で亡くした悲しみを抱いた母親であり、二人の子供を立派に育て上げなければならないという義務を負った母親である。母と妹の期待を一身に背負ってペテルブルク大学に入学したロジオンは、下宿の娘と結婚しようと計ったり、その娘が流行の腸チフスで死ぬと、大学も退学、アルバイトもやめて屋根裏部屋に引きこもってしまう。ロジオンはプリヘーリヤの苦労を知っているはずなのに、六十ルーブリもの大金の送金を頼んだり、女将のプラスコーヴィヤには百十五ルーブリの借金をしている。『罪と罰』を最初に読んだ頃はロジオンをいわば人類の苦悩を一身に背負った文学青年のように思い込んでいたのだが、何回も繰り返し読むうちに、ロジオンは思慮深い青年と言うよりはむしろ見栄っ張りで独りよがりな軽佻浮薄な青年に見えてきた。ロジオンは母親の期待に応えられる息子としての資格をペテルブルク上京後すぐに放り投げていたように思える。

    ロジオンと同郷のペンキ職人ミコライは田舎にいる時は逃亡派に属する信徒であったが、ペテルブルクではすぐに酒と女におぼれ、ロジオンが犯した殺人事件の犯人にされてしまう。ロジオンがペテルブルクに単身上京した時の年齢は二十歳で、彼がミコライと同様な誘惑に堕ちたとしても不思議ではない。この見栄っ張りの貧乏学生は、金に困窮しているにもかかわらずドイツ製の山高帽子を被ってまるでドイツの青年貴族風を装ってネフスキー通りの散策など楽しんでいた。下宿の娘との結婚も、金をかけずに手っ取り早く肉欲を満足させるためとも考えられる。いずれにせよ、プリヘーリヤはこの息子に二百年の歴史を刻むラスコーリニコフ家の再建を託し、必死にやりくりして送金を続けた。プリヘーリヤの息子に対する過剰な期待とその粘着質的な性格が、息子を殺人という取り返しのつかない〈踏み越え〉へと追いつめたとも言える。プリヘーリヤが引き受けた荷物車は余りにも大きく重かったのである。

 ロジオンは〈めす馬殺し〉の夢を見ながら、理不尽にもたたき殺される〈めす馬〉と〈母親プリヘーリヤ〉を重ねて見ることができなかった。こにロジオンにおける大いなる問題が潜んでいる。ロジオンの想像力は 貧弱である。なぜロジオンは老いさらばえた〈めす馬〉に母の姿を重ね合わせて戦慄しないのか。もし重ね合わせることができれば、ロジオンは 決して悪魔の誘惑に唆されることはなかったであろう。ロジオンは自分の見た夢を的確に分析することができず、ただただ理不尽な暴力の犠牲となった〈めす馬〉に憐憫の情を抱くにとどまっている。ロジオンは母親の苦労が分かっていない。彼は母親の呪縛から解放されることを願っていたに過ぎないのだ。ラスコーリニコフ家の人々は、母親のプリヘーリヤ、妹のドゥーニャ、そしてロジオン自身が自らの欺瞞に気づいていない。母親プリヘーリヤの息子に宛てた手紙は四百字詰原稿用紙に換算すれば三十枚にもなる。ドゥーニャが勤め先でどのような屈辱を味わったとか、仕送り金の捻出にどんな苦労を重ねたとか、要するに息子に知らせなくてもいいことをプリヘーリヤは事細かに書き記している。こんな手紙を読まなければならない息子がどれほど苦しみ悶えるか、そういった配慮が全くない。読者が注意しなければならないのは、要するにプリヘーリヤのこういった調子なのである。ロジオンは父親ロマンが亡くなった後、いつもいつもこういった調子の母親の傍らで育ってきたということ、ちょっと想像するだけで息苦しくなるような調子である。こういった弱々しく、しかし執拗に自らの野心を押しつけるタイプの母親の呪縛から解放されるためには、単に距離を置くだけでは足りなかった。こういった母親からの呪縛を断ち切るためには、人殺しでもするほかなかったのである。これはもはや理屈ではない。凡人も非凡人も関係ない。ロジオンは母親の過剰に対して〈人殺し〉という〈踏み越え〉で答えるほかはなかったのである。ロジオンは母親を殺す代わりに、一匹の〈虱〉アリョーナ婆さんを選んだのだ。なんとも情けない卑劣漢である。ロジオンは何回となく自分の卑劣漢であることを口にするが、しかし母親を殺せなかった自分の臆病と卑劣をしっかりと認識することは最後までできなかった。

 ロジオンは荷馬車に乗って〈めす馬〉に何度も鞭を振るい、最後には鉄梃を打ち下ろすミコールカと自分自身を同一化することはできなかっただろう。夢の中の七歳のロジオンは〈めす馬殺し〉という理不尽に対して捨て身の抗議をする正義の人であり、決して荷馬車に乗り込んで〈めす馬殺し〉に荷担する者ではなかった。夢においてミコールカとロジオンは真逆の立場に立っている。だからこそ、この〈めす馬殺し〉の夢の場面は恐ろしいのだ。なぜなら、夢の中で理不尽の告発者であり、捨て身の抗議者である心優しいロジオンが、次の日には斧を振り上げて〈めす馬=アリョーナ婆さん〉をたたき殺し、次いで目撃者となったリザヴェータをも殺してしまうのであるから。

    ロジオンは〈めす馬殺し〉の夢を見た直後、全身がぶちのめされたような気分の中で「ああ!」〔Боже!〕と絶望の叫びを発し「おれは本当に、本当に斧を手にして、頭をぶち割る気なんだろうか、あいつの脳天を血で染めるんだろうか……そして、まだなまあたたかい、べとべとする血のなかをすべりながら、錠をこわし、盗みをやり、がたがたふるえているんだろうか。全身血まみれの姿で身をかくすんだろうか……斧をもって……ああ、本当にそんなことを?」(上・127)〔да неужели ж, неужели ж я в самом деле возьму топор, стану бить по голове, размозжу ей череп… буду скользить в липкой, теплой крови, взламывать замок, красть и дрожать; прятаться, весь залитый кровью… с топором…Господи, неужели?…〕と木の葉のようにふるえながらつぶやく。

  まず注意したいのは感嘆の言葉「ああ!」である。日本語の場合は誰に向けての感嘆なのか曖昧だが、ロシア語の場合は「Боже!」で明らかに神に向けての感嘆である。ロジオンは神に対して信仰と不信の両極に分裂しているが、〈不信〉も〈涜神〉も神の存在を前提にしている。ロジオンは神の存在を認めた上での〈不信者〉(безбожник)であり〈涜神者〉(богохульник)なのである。「ああ!」の感嘆に続く独語もまた、単なる自己問答ではなく神に向けての独語なのである。