山崎行太郎 毒蛇山荘の一夜(連載2)

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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。
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清水正ドストエフスキー論全集第10巻が刊行された。
清水正・ユーチューブ」でも紹介しています。ぜひご覧ください。
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ドストエフスキー曼陀羅」特別号に掲載の文章を紹介します。
毒蛇山荘の一夜(連載2)
山崎行太郎( 文芸評論家、日本大学芸術学部文芸学科講師)

 ところで、話を元に戻すと、清水教授は、ドストエフス キー研究家として、日本だけではなく、世界的にも、特筆す べき人物である。清水教授は、日大芸術学部の出身だが、東 大卒や東京外大卒のドストエフスキー研究家等を、たとえば江川卓亀山郁夫等を遥かに凌いでいる。江川卓亀山郁夫ドストエフスキー論は、私に言わせれば、解説や紹介のレ ベルを超えていない。逆に、清水教授には『ドストエフス キー論全集』一から十巻があるように、質においても量にお いても他の追随を許さない。

清水正ドストエフスキー研究 やドストエフスキー論には、「存在論」と「存在論的思考力」 がある。清水正ドストエフスキー論には、清水正の人生と 青春と生活の全てがそそぎこまれている。大袈裟に言うなら ば、血と汗と涙の記録。清水正ドストエフスキー論は、清 水正の「私小説」の様相を呈している。少なくとも、私に は、そう見える。だから、私が尊敬し、畏怖するドストエフ スキー研究家は、小林秀雄を除けば、清水教授だけである。 私は、凡庸な三流教授が、業績作りのために、あるいはマス コミの求めに応じた「やっつけ仕事」でしかないドストエフ スキー研究などに興味がない。問題は、ドストエフスキー研 究に命を懸けているのかどうかなのだ。

実は、私も、高校時 代からドストエフスキーを読みはじめた。そして、深く決定 的な影響を受けた。私の文学的=哲学的思考の原点には、大 江健三郎や小林秀雄とともにドストエフスキーがある。私 は、頻繁に「存在論」や「存在論的思考」という言葉を使う が、それは、小林秀雄ドストエフスキーから学んだもので ある。だから、私は、高校時代から、大学ではロシア語とロ シア文学を専攻しドストエフスキー研究者になろうと想っていた。受験のために上京すると、私は、早稲田大学理工学部 の学生だった兄の影響もあり、早大露文科も受験した。早稲 田大学以外に、「露文科」は存在しなかったからだ。私は、 語学専門の東京外大のロシア語学科は嫌いだった。だが、い ずれにしろ、直前に断念した。ドストエフスキーを読み続け ることに恐怖のようなものを感じはじめたからだ。

ドストエ フスキーの文学には「狂気のようなもの」、あるいは「魔的 なもの」があった。研究対象として客観的に読むのは大丈夫 かもしれないが、主体的に、本気でドストエフスキーを読み 続けるとなると、自分も狂いそうな予感がした。しかしなが ら、文学研究の対象としてドストエフスキーを客観的に読む ことには抵抗を感じた。もちろん、ドストエフスキー研究を 断念したとはいえ、ドストエフスキーから完全に逃げた訳で はない。私は、ドストエフスキー研究の道を断念し、より健 全な分野へ逃げようと思ったが、ドストエフスキーは常に 私の思考の原点にあり続けた。「ドストエフスキーとともに ある」という私の不遜な自信は、揺るいだことがない。

私 は、自分がダメになりそうな時には、小林秀雄やドストエフ スキーを読む。ドストエフスキーを読みはじめた高校時代の 読書体験に立ち戻る。その意味で、私は、挫折や失敗を繰り 返しても、私の思考や思想に自信を失ったことはない。私 は、ドストエフスキー読書体験から得たドストエフスキー的 思考力に自信を持ち続けている。

私は、結果的には、慶應義塾大学の哲学科に進学し、その後、哲学研究者の道も閉ざさ れ、紆余曲折を経て、初心に立ち返り、「文芸評論家」とい うものになったが、今では、それが正解だったと思う。今で も、小林秀雄ドストエフスキーを読み続けており、それら は私の思考の原点になっている。

しかるに、清水教授は、高 校時代から、ひたすらドストエフスキーを読み続け、ドスト エフスキー論を書き続けたという。おそらく、狂気に近い挑 戦的行為だっただろう。ちょうど世間的には、いわゆる「日 大紛争」、「日大全共闘」の頃だったが、清水教授は脇目も振 らず、二十代の頃からドストエフスキー論を書き続け、現 在に至るまで、膨大なドストエフスキー論を書き残してい る。気の遠くなるような量である。私は、清水教授を羨まし いと思ったことはないが、ドストエフスキー研究を黙々と実 行し、実現、達成しているのを見ると、ただもう脱帽せざる をえない。

清水正は、私がまだ、大学院あたりで、将来のあ てもなく、途方に暮れ、右往左往していた頃、最初のドスト エフスキー論『ドストエフスキー体験』を、自費出版してい る。江古田にあったゴム工場でアルバイトを続け、そこで稼 いだ金を資金に自費出版したのだそうである。池袋の書店の 棚に、その本が並んでいるのを、私も見たことがある。私 は、敢えて無視しようとした。しかし、無視出来なかった。 私は、自分より若い日大芸術学部の学生が、小冊子とはい え、ドストエフスキーをタイトルに含む重厚な本を出版していることに驚愕すると同時に、それを素直に評価することが 出来なかったのだ。

それから、何十年も後に、つまり、清水 正が、東大閥の無能教授たちが跋扈していた日大芸術学部内 の派閥抗争を勝ち抜き、文芸学科の学科長として権勢を振る うようになった頃、私は、清水正から電話を貰い、講師を依 頼された。当時、私は、埼玉大学の講師もやっていたが、喜 んで、それを受け入れた。私は、毎週金曜日に、日大芸術学 部に出講するようになり、同時に、「金曜会」で、清水教授 のドストエフスキー研究とドストエフスキー論を拝聴するよ うになった。

私は、私の「ドストエフスキー的思考力」に自 信を持っていた。素人なりに、小林秀雄や秋山駿等のドスト エフスキー論を手引きに読み続けてきたという自信があっ た。しかし、清水教授とドストエフスキー論を闘わせるうち に、私の「自信」は、あっという間に打ち砕かれた。清水教 授のドストエフスキー研究の凄さは、ドストエフスキー作品 の隅々にまで精通し、あらゆる登場人物の実生活や人間関係 まで事細かに知り尽くしている事だった。ドストエフスキー が書いていないことにまで、清水教授は精通していた。私 は、打ちのめされた「道場破り」がそうするように、逆に喜 んで、清水教授に「弟子入り」することにした。もっとドス トエフスキーを勉強したかったからである。私は、清水教授 の「最後の弟子」である。