随想 空即空(連載93)内村鑑三の最初の結婚と破局を巡って#ドストエフスキー&清水正ブログ#

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随想 空即空(連載93)内村鑑三の最初の結婚と破局を巡って#ドストエフスキー清水正ブログ#

清水正

  

 鑑三は新渡戸稲造宛の手紙(第61信 一八八五年一月十九日)では次のように書いている。

 

  日本から一通の手紙が来た。魅惑的なニュースがたくさん書いてあるらしかった。彼女〔タケ〕が僕あてに認めたものである。僕はさっと目をとおしただけで、下水へすててしまった。冷たい仕打に見えるだろうが、今は「涙とまことしやかな言葉」で動かさるべき時ではない。彼女は最大限度まで僕を侮辱した。彼女の行状を聞いたら、君はびっくりするだろう。今後どうなるか、僕は知らない。僕は神に対し、両親に対し、さらに君に対しても同じように、罪を犯したのだ。こんなニュースを君に書く「顔がない」。ただ君の僕に対する変らぬ友情に対して書くのである。誰の前にも弁解の余地がない。過ちは人の常である。しかし僕の犯したようなこんな過ちは、人間以下である。

    わが生涯の誤りは多し

    わが心の罪はさらに多し

   涙にかすみて見えわかねど

    われはとびらを叩くべし

  君が信仰のことに熱心なのを知り、実にうれしい。神とキリストとが、今、僕に、実にはっきりしている。僕はあらゆる点で不完全だが、キリストのゆえに義しい人である。神は七日間に地球を創造したもうた。その時、朝あり、夕ありきではなく、夕あり、朝ありきというのが一日だった。われわれはしばしば、精神的夕べをとおって、「暗黒そのもののようなやみ」(ヨブ記)なる暗黒の中へ入り、さ迷い歩いた後、神からあかつきの明星を与えられるのである。(116)

 

 内容は宮部金吾宛の手紙と共通しているが、より強烈でもある。特にタケからの手紙に対し「僕はさっと目をとおしただけで、下水へすててしまった」と記していることには衝撃を覚えた。鑑三自身も「冷たい仕打に見えるだろうが」と書いているが、最初に読んだ感想は〈仕打〉以上のものがあった。鑑三は激情に駆られると前後の見境なくこういった行為に及ぶことができるのだろうか。読者は鑑三がタケから受けたという〈最大限度までの侮辱の行状〉を具体的に示されていない。鑑三は「彼女の行状を聞いたら、君はびっくりするだろう」と書いているが、その〈行状〉が明かされていないのであるから、どうしようもない。こういった手紙を受け取った新渡戸稲造の反応を知りたいところだが、鑑三宛の友人たちの手紙を読むことはできない。宮部金吾や新渡戸稲造は鑑三からの手紙を大事に保存していたのに、鑑三は彼らからの手紙をどうしていたのだろうか。一九一八年八年二十七日の日記に「「洋行中」に届きし手紙を処分した。ずいぶんの仕事である」(内村鑑三日記書簡全集1)とある。これをそのまま信じれば鑑三は友人たちの手紙をきれいさっぱり始末してしまったことになる。友人たちや新島襄との往復書簡を読むことができれば、鑑三をさらに客観的に検証することも可能だろうが、ないものねだりをしても詮方ない。しかし鑑三がタケの手紙をすぐに下水へ捨ててしまったということ、友人たちの手紙をさしたる躊躇もなく処分できたということのうちに彼独自の性格を読みとることはできよう。

 同じキリスト教信者とは言っても、鑑三と新渡戸稲造とはその性格を異にする。タケとの結婚に関していろいろと相談に乗ったりしていた新渡戸が、タケとの離婚に不満の感情を持っていても責められないだろう。鑑三宛の新渡戸の手紙は当然のこととしてタケとの離婚についても忌憚のない意見が記されていた可能性は高い。タケからの手紙を下水に捨て去るような鑑三であるから、もし新渡戸からの手紙にタケとの離婚に関して鑑三を諫めるような文言が記されていればとうぜん処分の対象となったであろう。それにしても日記(一九一八年八月二十八日)の中で鑑三は「余は、あくまでも書く事第一にして、語る事を第二または第三にする者である」と記しているのに、他人、それも親友中の親友とも言ってもいい新渡戸や宮部の書き物(手紙)を躊躇なく処分していることは興味深い。鑑三は何よりも自分の精神世界に関心はあるが、他人の彼自身に向けられた意見にはさしたる価値を見いだしてはいないということである。ましてやそこに非難がましいことが書かれてあれば、それを敢えて保存したいとは思わなかったのであろう。鑑三の新渡戸宛の手紙を読めば、新渡戸が鑑三の誇りや傲慢を鋭く指摘していたことは容易に想像できる。鑑三の自分の言動を〈義〉とする自信、傲慢はかなり根強いものがあり、意識したからと言ってそう易々と超克できるものではない。鑑三が手紙で記す自らの〈罪〉は、彼の〈義〉と密かに繋がっており、極端な言い方をすれば〈義〉を前面に押し出して自らの〈罪〉を巧妙に隠している。

 

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