随想 空即空(連載79)内村鑑三の最初の結婚と破局を巡って#ドストエフスキー&清水正ブログ#

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随想 空即空(連載79)内村鑑三の最初の結婚と破局を巡って#ドストエフスキー清水正ブログ#

清水正

 

 鈴木俊郎の『内村鑑三伝 米国留学まで』はかなり実証的に押さえて書いているが、しかし曖昧な点もある。ノブに取材したとあるが、取材の時と場所、録音はとってあるのか不明である。ノブはタケの娘であることは確かだとしても、タケが娘にどこまで事実を語っていたかについての確証はない。また娘ノブに取材した鈴木俊郎が、タケ自身やタケの兄や兄嫁には取材したのかどうか。鈴木俊郎がノブに取材した当時、すでにタケや彼女の母親、兄、兄嫁などが生存していたのかどうか。取材の時と場所を明記していないことによって多くの事が不明のままである。岩波書店内村鑑三全集に収録された鑑三の手紙に、鑑三がタケに宛てた手紙は一通も含まれていない。全集編纂時にすでにタケ宛の鑑三の手紙は残っていなかったのか、それとも編纂者側の編集方針として意図的にはずしたのか。あるいはタケ側が全集に収録されることを拒んだのか。鈴木俊郎は岩波版鑑三全集の編纂者であったのだから、そのへんの事情に関しては詳しく知っていた可能性もあるが、その点についてはいっさい触れていない。鑑三に限らず、日記や書簡を含む全集編纂にあたっては著作権や人権の問題もあって様々な問題を抱え込むのが当然で、関係者が生存中は十全な全集の編纂をするのは困難を極める。タケが鑑三に宛てた手紙は鑑三によって破棄された可能性が高いが、タケ宛の鑑三の手紙はタケ自身によって保存されていた可能性が高い。二度に渡って復縁の意を伝えているタケは、むしろ鑑三からの手紙を大切に保管していたと見る方が自然である。

 いずれにせよ、タケの手紙も日記も残っていない、あるいはあっても発表されていない現状にあっては、公平な判断を下すことは困難である。わたしは鑑三の手紙を読むことで、できる限りタケの立場に立って彼らの結婚離婚問題を考えてみたいと思った。わたしは鑑三に対して特別の崇敬の気持ちも抱いていないし、タケに対して特別の非難の気持ちも持っていない。ただ私は鑑三のように自分の愛した女性に対して、後から悪口を書くような男が好きではない。鑑三は自分の永遠の伴侶を選ぶに当たって、自分とは別の人格を備えた女性を、自分の意志をもって選んでいない。鑑三は結婚に大反対だった母親が、父宣之の説得もあって賛成したので結婚に踏み切っている。ということは、母ヤソが最後まで反対すれば結婚を断念したということになる。鑑三の結婚に対する迷いの最大要因が母の反対にあったことは手紙を読めばわかる。わたしに言わせればもうこの時点でだめである。鑑三には母が反対しようが、誰が反対しようが、それこそ世界全体が反対しようが、タケと結婚するのだという意志も覚悟もない。鑑三の迷いは覚悟のできていない者の迷いである。タケを天使だなどと書いておきながら、一年もたたぬ間に〈羊の皮をかぶった狼〉などと書く、その体たらくを自覚していない。鑑三はタケを選んだのではなく、〈母〉を〈家〉を選んだのである。タケの〈嘘〉がばれたとき、誰よりもタケを庇わなければならなかったのは鑑三である。『罪と罰』のカチェリーナはソーニャのポケットから百ルーブリの金がこぼれ落ちてさえ、ソーニャの無罪を訴え続けた。この信頼、この愛こそがルージンの仕掛けた冤罪事件を逆に告発することになった。鑑三はタケを天使と見なした以上は、たとえタケが〈嘘〉をついていたにせよ、その〈嘘〉を受け入れ、ともにその責任を負わなければいけない。そうでなくても大家族の内村家で孤立しがちであったろう新妻タケの側にたたず、逆にタケを厳しく叱責詰問などしたら、それはタケに内村家から出て行けということなのである。だから、タケは鑑三のその意向に従って内村家を出たにすぎない。鑑三は迎えにきた次兄に連れられて家を出て行くタケの後ろ姿を見送りながら縁側に泣き伏したと後年ノブに語っているが、結婚して七ヶ月ばかりで、そのうえ身ごもったからだで内村家を出て行かなければならなかったタケの辛い思いをどのように受け止めていたのか。鑑三は自分の苦しみ悲しみにかまけて相手の気持ちを察することができない。激情タイプの人間によく見られるように、こういった人間はまずなによりも自分の感情に支配されがちである。タケが鑑三の激情に服することのない女であったからと言って、タケを一方的に責めることなどだれができようか。男と女の厄介ごとに神やキリストなど持ち出して、事をさらに大げさにする必要などない。鑑三はタケと結婚する前もしてからも一貫してタケよりは〈家〉を選んでいたことを忘れてはならない。自分の選んだ女の〈嘘〉も、かぶった〈羊の皮〉も受け入れられないような男は一生独身を貫いた方が賢明である。自分の側の理不尽さに気づかぬままに〈キリスト〉など持ち出して自己正当化をはかるなどはもってのほかなのである。

 

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