随想 空即空(連載62) #ドストエフスキー&清水正ブログ# 清水正

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 ドストエフスキーは『白痴』のムイシキン公爵や『カラマーゾフの兄弟』のアリョーシャにもキリストのイメージを賦与している。ムイシキン公爵は〈真実美しい人間〉の具現化を目指して描かれたが、結局彼はナスターシャとロゴージンを破滅に追いやり、自身は白痴と成り終えた。ムイシキン公爵は善良な思いやりの深い人間として描かれたが、彼の内部には彼自身無自覚であった〈悪のカプセル〉が埋め込まれていた。アリョーシャの心の内には〈悪魔の子供〉が宿っており、彼はそれを明確に自覚している。アリョーシャはゾシマ長老に師事する見習い修道僧だが、彼は父フョードル、長兄ドミートリイ、次兄イヴァンなどから〈天使〉の如き存在と見られている。が、アリョーシャ自身は自身の内に巣くう〈悪魔〉の存在から眼を逸らすことはなかった。イヴァンは「大審問官の劇詩」の中で、反キリストの大審問官に黙って接吻するキリストを描いている。イヴァンはアリョーシャを〈キリスト〉のような存在と見なしている。だとしたら、イヴァンはキリストの内にも〈悪魔〉が宿っていたことを認識しなければならないだろう。しかしドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』の第一部を書き終えただけで他界してしまった。アリョーシャの内に潜んだ〈悪魔〉は書かれざる第二部において存分にその力を発揮しただろうが、その展開は読者が想像する他はない。『カラマーゾフの兄弟』第一部を書き終えたドストエフスキーのうちにどのような構想が用意されていたのかを具体的に知ることはできないが、アリョーシャが〈未熟な博愛家〉を脱して、活動的(革命的)な博愛家になったであろうことは多くの研究者も指摘している。『罪と罰』で〈革命か神か〉に深く思い惑っていたロジオン・ラスコーリニコフのテーマが、アリョーシャにおいて再び取り上げられることになるのは言うまでもない。が、これはもはや故人となったドストエフスキーに期待することはできない。この問題は読者各自が追究していく他はないのである。

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