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有即無 無即有 有無即空 空即空 空空空 正空 (清水空雲)

モーパッサン『ベラミ』を読む(連載11)

──『罪と罰』と関連づけながら──

清水 正

 

 ロジオンは精神の分裂を生きている。ロジオンの内には〈神〉と〈悪魔〉が同等の力を持ったものとして存在しており、まさにドミートリイ・カラマーゾフが言うように、永遠に決着のつかぬ闘いを続けているのである。ロジオンの精神分裂の特徴は、彼が〈神〉か〈悪魔〉のどちらかに寄り添うことはあっても、その両者が対等の存在として自らの精神内部に巣くっているという認識に達して、そこから精神内部の闘いを冷静に見つめる視点が欠如していることである。精神内界を冷静に凝視する視点、謂わば精神内部の各々自立し分裂した〈我〉(役者)を統治支配する演出家としての〈我〉がその機能を存分に発揮することができず、ある特定の〈我〉が演出家としての〈我〉の統治から逸脱して独自の力を発揮してしまうのである。その意味でロジオンの実存は絶え間なく正常と狂気の狭間にあって自己破綻の危機にさらされている。描かれた限りにおいても、ロジオンの実存は持続的な発狂状態にある。それはロジオンが〈神〉と〈悪魔〉双方に親和的な関係を取り結んでしまうような青年であったことによる。

  わたしのような、意識空間において〈演出家としての我〉の位置に居続けるような者にとって、我が身に屋根裏部屋の空想家ロジオンを引きつけて考えれば、殺人などという〈踏み越え〉を実行してしまう青年は非現実な存在に見える。しかし、ドストエフスキーは屋根裏部屋の思弁家に作家や研究者として自立できる将来の途を敢えて徹底的に閉ざし、人殺しという犯罪の途を用意周到に準備した。誰よりも残酷なのは作者ドストエフスキーと言えるが、彼はロジオンを殺人という〈踏み越え〉へと追いやることで、最終的には〈復活〉という〈踏み越え〉を用意した。

 

 さて、このへんで『ベラミ』に戻ろう。先に引用した場面の続きを見てみよう。ジョルジュが安レストランから往来へ出て、頭の中でしけた金勘定をしながら、ノートル=ダム=ド=ロレット街の方へおりていった場面の続きである。

 

  彼は軽騎兵の制服を着ていたときのように、胸を突きだし、馬からおりたばかりというふうに股をすこしひろげて、歩いていった。そして、こみあう街を、のしのしと進んだ。人の肩にぶつかったり、邪魔なものを押しのけたりした。かなり古びたシルクハットを、軽く片方の耳へかしげ、靴の踵で舗道をたたいた。そうした様子は、退役になった美男の兵士の癖で、いつもだれかに、道行く人や、家々や、町全体に、喧嘩を吹っかけようとしているみたいだった。(291~292)

  一そろい六十フランの安物を身につけているとはいえ、彼には、なんとなく人目をひく、しゃれたところがあった。もちろん、ありふれた優美さにはちがいなかったが、否定できないことだった。背が高く、恰幅がよく、髪がブロンドで、それも多少茶がかった濃いブロンドで、口髭が、おこっているように、唇のうえでぴんとはね、目は青く明るく澄んで、ごく小さな瞳がのぞき、生れつきちぢれた髪が、頭のまん中に筋をひいて、ふたつにわかれていた。いわば通俗小説の女たらしにさながらだった。(292)

 

  作者は街を歩くジョルジュの姿を客観的に描き出す。まず、カメラはジョルジュの外形的姿を描き出すのであって、彼の内面世界ではない。ロジオンもまたペテルブルクの街を歩いてアリョーナ婆さんの住むアパートにたどり着くが、読者はロジオンの内面世界にずっとつきあわされる。読者の頭にしっかりと刻印されるのはロジオンが呟く「はたしておれにアレができるのだろうか?」と言葉である。この〈アレ〉が『罪と罰』全編を貫く根本的な〈思想〉と言っても過言ではない。

 はたしてジョルジュにロジオンに匹敵する〈思想〉が存在するのであろうか。答えは簡単である。作者が描くジョルジュの外的な姿だけで、彼が思想とか哲学とか宗教とは無縁な軽佻浮薄で虚栄心の強い青年に見える。若者の中には、未だ自分本来の才能を見いだすことができず、やたら虚勢をはって自己主張したがる者がある。ジョルジュもまたそんな若者の一人であるかのように、人並みを押し分けて大股で街を歩いていく。今のところジョルジュが自慢できるのは美男子ということだけで、三度の食事にも事欠くような貧しい暮らしを強いられている。虚栄心の強い若者が安レストランに通わなければならないことだけでも屈辱であったにちがいない。

 ポケットにわずかばかりの硬貨をじゃらつかせて、街をさも威厳ありそうに力強く歩くジョルジュの姿容貌を、ここにきて作者は具体的に描き出す。それまでのジョルジュは謂わばノッペラボウの美男子であって、読者がその姿を勝手に想像するほかはなかった。こういった点が、映画や演劇と違って小説展開のおもしろいところである。

 もちろん映画や演劇で目鼻のついていない美男子を登場させるわけにはいかない。しかし小説においては、極端なことを言えば、最後まで人物の容姿や服装など描写しなくてもべつにかまわない。ぜひどんなことがあっても人物の容貌を描かなければいけないなどというきまりはない。が、リアリズム作品において人物、特に主人公の容貌は重要な位置を占めることは確かである。

 『罪と罰』を読んでロジオンを描けと課題を出せば、美術学科の学生でなくともそれなりに描けるはずである。よほどユーモア精神溢れる茶目っ気のある学生ならともかく、ロジオンを短足のデブに描く者はいないだろう。貧しく、粗末な服装やぼろ靴をはいていても、ロジオンは陰気な文学青年風の痩せて背の高いイメージを備えている。ドストエフスキーはロジオンの外形的な姿に関しては簡潔に描いているが、それは外形よりは彼の内面世界を重要視しているからにほかならない。ところがジョルジュときたら、彼の存在は外形だけで十分だといったような描かれかたである。作者は、読者に向けてジョルジュの内面世界などに特別な興味を抱くことを予め禁じているかのようでもある。しかし、作者がジョルジュを〈通俗小説の女たらし〉と書いている以上、読者はその〈女たらし〉ぶりは存分に味わうことができるというわけである。

 『ベラミ』が通俗小説に属するのか純文学に属するのかは分からない。もともと〈純文学〉などという概念は近代日本文学研究者が作り上げたもので、要するに『ベラミ』も『罪と罰』も〈ロマン〉であり、その世界には当然、通俗的な出来事も描かれれば「人間とは何か」という本質的な哲学的宗教的な問題も含まれている。ロジオンも人間であれば、ジョルジュもまた間違いなく人間である。その生きた時代、場所、影響を受けた思想や宗教は異なっても、彼らは一人の人間として登場している。作品に主人公が設定され、その主人公を中心として物語が展開していく限り、読者はその主人公に寄り添って作品世界に参入していくほかはない。今や読者は、帽子、服装、髪型、髪の色、瞳、口髭など、容貌に具体性を帯びた主人公ジョルジュと歩調を合わせながら、作品を読み進んでいくことになる。

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発行日 2021年12月3日

発行人 坂下将人  編集人 田嶋俊慶

発行所 日本大学芸術学部文芸学科 〒176-8525 東京都練馬区旭丘2-42-1

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