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有即無 無即有 有無即空 空即空 空空空 正空 (清水空雲)

モーパッサン『ベラミ』を読む(連載34)

──『罪と罰』と関連づけながら──

清水 正

 

 売春婦は自分の体を資本にして商売をしている。ジョルジュに声をかけた娼婦は、彼の美貌に商売抜きで性欲を刺激された風にも見えるが、ただで自分の体を投げ出すようなことはしない。少しでも高く自分の体を売るために彼女たちは化粧や服装はもちろんのこと、表情や仕草、さらに口のききかたなど、魅力を増すための努力を惜しむことはない。ここに登場した娼婦はまさにプロとして振る舞っている。「御覧よ。きれいな男だろ。十ルイでどうだいってあの男が言えば、私はいやとは言わないね」というセリフがこの娼婦の〈すべて〉を語っていると言っても過言ではない。

 先にフォレスチェはフォリ・ベルジェールに集まってくる娼婦に関して「一ルイか二ルイどこの女だが、五ルイも出す外国人をねらっているんだ」と言っていた。つまり〈十ルイ〉は破格の値段だが、この破格の値段は彼女の体の値段を示すと同時に、ジョルジュの虚栄心を存分に刺激する作用も果たしている。相手の性格や懐具合を瞬時に看破して、相手を落とす手練手管を駆使しなければ商売にはならない。この娼婦は、ジョルジュのポケットに二ルイしかないことを知っていても、〈十ルイ〉を大きな声で口にしていたろう。この〈十ルイ〉にはもちろんハッタリも含まれているが、このハッタリを翻訳すると、要するに「あなたならただでいいわよ」も含まれているのである。パリの娼婦は十九世紀ロシアの場末の娼婦と違って〈粋〉なのである。見栄でもハッタリでも、プロともなれば〈粋〉の水準にまで達していなければならないというわけだ。

 さて、一フランを二千円と見た場合、一ルイは四万円となる。ジョルジュに接近してきた娼婦は〈一ルイか二ルイどこの女〉ということだから、四万から八万どこの女であったことになる。この女が〈五ルイ〉(二十万円)を出す外国人を狙って劇場内を歩き回り、ジョルジュに向かって〈十ルイ〉(四十万)を口にしたというわけである。このようにルイを日本円に換算すると娼婦と客の交渉によりリアリティを感じることになる。

 さて『罪と罰』だが、読者はソーニャの淫売稼業の実態に暗幕をかけられているので、ソーニャの一回の値段を知ることはできない。様々な人物たち(高利貸しアリョーナ、母プリヘーリヤ、マルメラードフ、ラズミーヒンなど)が作中で金勘定をしているのに、娼婦ソーニャはただの一回も金の計算をしていない。これは作者ドストエフスキーが意図的にそうすることで、ソーニャの聖性を保持しようとしたと言える。

 ドストエフスキーはソーニャの淫売稼業の現実をなにひとつ描写しなかったが、モーパッサンは娼婦の生きてある現実をリアルに描きだしている。ソーニャは罪に汚れた聖女であるが、その〈罪〉の現場は完璧に隠されている。独特の深堀をすることで、〈ソーニャとイヴァン閣下〉(銀貨三十ルーブリ)、〈ソーニャとスヴィドリガイロフ〉(三千ルーブリの債権)、〈ソーニャとロジオン〉(無料)の性的関係が浮き彫りになるだけである。謂わば表層テキストにおいてソーニャの肉体は置き去りにされ、もっぱらその精神世界にのみ照明が与えられている。一方、『ベラミ』の娼婦はその内面世界に照明を与えられることなく、もっぱら肉体次元に照明が与えられている。

 ロジオンはマルメラードフの告白話に出てきたソーニャの、その犠牲的精神、宗教性に何よりも魅力を感じるが、ジョルジュは娼婦に対して肉欲しかおぼえない。色男ジョルジュは〈一ルイか二ルイどこの女〉に声をかけられると、すぐにポケットの〈二ルイ〉を指で確認している。娼婦はまず何をおいても、自分の肉欲を満足させる肉体存在として認知されているのであって、よほどの物好きでもなければ娼婦の精神世界になど興味を持たない。いくらしみったれのジョルジュでも、当初から娼婦をただで得ようなどと思ってはいない。ロジオンやスヴィドリガイロフなどはジョルジュからすれば一種の変態なのである。〈一つ森の獣〉としてのロジオンとスヴィドリガイロフの変態性欲が〈ソーニャ〉に向かったと言っても過言ではない。

 表層テキストにおいてスヴィドリガイロフはもっぱらロジオンの妹ドゥーニャにまとわりついているが、本当のねらいはソーニャにあったとわたしは思っている。スヴィドリガイロフはドゥーニャをラズミーヒンに譲るが、その前に一度関係を持ったソーニャをロジオンに譲っているのである。ソーニャに最初の男イヴァン閣下を取り持ったのはダーリヤ・フランツォヴナという女衒であり、スヴィドリガイロフにソーニャを取り持ったのがレスリッヒ夫人(女衒)である。描かれざる『罪と罰』の形而下の場面を読みとれないうちは、この作品を存分に味わうことはできない。『ベラミ』の場合は、別に作者モーパッサンがテキストに秘密を潜ませるまでもない。娼婦と客のやりとり、駆け引きはテキストをそのまま読むだけで了解できるようになっている。モーパッサンにとって人物たちの性的関係は秘密にしておく必要などはじめからないのである。その意味では、『ベラミ』における男と女の関係は、性的な領域を含めてきわめて〈健全〉であり、ロジオンやスヴィドリガイロフに見られた〈変態〉はない。

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発行日 2021年12月3日

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