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有即無 無即有 有無即空 空即空 空空空 正空 (清水空雲)

モーパッサン『ベラミ』を読む(連載35)

──『罪と罰』と関連づけながら──

清水 正

    テキストに戻ろう。舞台は幕を下ろし、フォレスチェとジョルジュは劇場を出てバルコンに向かう。そこでも娼婦たちは「男の波にもまれながら、水の中を泳ぐ魚のよう」に振る舞って客探しに余念がない。ジョルジュは劇場で上演される興行になどほとんど関心を寄せることはなく、その関心はもっぱら娼婦たちに向けられている。彼もまた水の得た魚のようにバルコンの人混みをつかの間楽しんでいる。が、気管支の弱いフォレスチェは「タバコの煙と、人間の体臭と女どもの使う香料とですえたような匂いのする空気」に耐えられず、ジョルジュを誘って屋根掛けのある庭に入る。そこには〈悪趣味の大きな噴水〉が二つあり、木陰で幾組もの男女が飲物をとっている。フォレスチェとジョルジュがテーブルを前にして涼みをとっていると一人の娼婦が卑しい嬌笑を浮かべながら「旦那、何か飲ませて下さる?」と声をかける。フォレスチェは「噴水の水でも飲んでおけ」と言って娼婦を怒らせる。娼婦に対するフォレスチェの言葉には明らかに侮蔑の感情が込められているが、もてもての色男ジョルジュには娼婦に対する負の感情は見られない。なにしろジョルジュの頭にあるのは、フォレスチェから借金した二ルイの金しか持ち合わせてはいないのに、今夜の床を共にする娼婦のことしかないのである。

 ジョルジュと茶髪のグラマー娼婦のやりとりをモーパッサンは次のように書いている。

 

  女はデュロワを見つけるとにっこり笑ってみせた。まるで二人の眼がすでに秘密な打ちとけたことを互いに言い合ったかのように。そして、椅子をひきよせたと思うと、デュロワの正面に落ち着き払って腰かけ、連れにもかけさせた。それからはっきり透る声で注文した。

  ――給仕さん。グルナディーヌ二つ!

  フォレスチェは、びっくりして、こう言った。

  ――遠慮をしないね、お前は?

  女は答えた。

  ――あんたの友達が気に入ったんだよ。全くいい男だね。何だか血道をあげさせられそうだよ。

  デュロワは、気おくれがして、言うべき言葉が見つからなかった。のろまな笑いを浮かべながら、縮れている口髭をひねり上げた。給仕がシロップを運んでくると、女たちは一気に飲みほした。

  それから立ち上がった。鳶色のが、親しげにうなずく合図と一緒に腕をぽんと扇子でたたきながら、デュロワに向かってこう言った。

  ――御馳走さま。あんたは口が重いのね。

  と、女二人は、尻を振りながら向こうへ歩いて行った。(上・32~33)

 

 この場面を読めば、すでにジョルジュと娼婦の二人だけに通じる〈密約〉が成立したことが分かる。娼婦は商売抜きでジョルジュに心を奪われている。プロであるから、口には出さないが、先に指摘したようにこの娼婦は〈十ルイ〉で〈無料〉を提示しているのである。男と女の間には、本能的にからだの次元で引きつけあう力がはたらいている。そのうえジョルジュにはどんな女をも引きつける魔力が備わっている。どうやらフォレスチェもそのことを認めざるを得ない。フォレスチェは「おい、おい、君は全く女にもてるね。こいつは大事にしなければならんよ。これで出世ができる」と断言する。フォレスチェはやがてこの色男が自分の妻を奪うことになることをこの時には予知することができなかった。一番身近に存在する者が、最も深く裏切る者になることをフォレスチェの知性と感性は見取ることができなかった。美貌において圧倒的に優位に立つジョルジュに対して、フォレスチェは自分の権限の優位性を無邪気に信じて疑わなかった。フォレスチェは未だ〈嫉妬〉を発現させるまでもなく、自分の優位性にあぐらをかいていた。終始、無駄口をたたかず、フォレスチェの自尊と虚栄に服従を決め込んでいたジョルジュの内心のドラマに作者はいっさい照明を与えず、彼の〈色男〉の表層描写に徹している。

 娼婦が去った後の場面を見ておこう。

 

  するとフォレスチェは笑い出した。

  ――おい、おい、君は全く女にもてるね。こいつは大事にしなければならんよ。これで出世ができる。

  彼はちょっと口をつぐんだ。それから、考えごとを口に出して言う人間らしい、夢を見ているような調子で、言葉を続けた。

  ――全く一番の出世の早道は女だからな。

  デュロワは相変わらず返事をしないでにやにや笑っているので、彼はこうきいた。

  ――君はまだここにいるかい? 僕は帰る。もうたくさんだ。

  相手はつぶやくようにこう言った。

  ――うん、もう少しいよう。まだそんなにおそくないから。

  フォレスチェは立ち上がった。

  ――じゃ、失敬。明日だよ。忘れないだろうね? フォンテーヌ街十七番地。七時半だ。

  ――大丈夫だ。じゃ明日。どうもありがとう。

  二人は手を握り、新聞記者は帰って行った。(上・33)

 

 読者は、ジョルジュとフォレスチェのごく短い会話、というよりフォレスチェの発する言葉を聞き、フォレスチェが立ち去った後のジョルジュの姿を見る。あまりにも素っ気なく書かれているので、読者は改めて彼らの心理に立ち入ろうともしないだろう。おそらく多くの読者は描写された場面にいちいち立ち止まることなく読み進んでいくことだろう。わたしは最初『ベラミ』論を執筆するにあたって、引用する場面にとどまってそれをなした。つまり小説を人生のように見なした。一歩先の未来は誰も知ることはできない。死すべき運命にあることは知っていても、死に到るその人生のディティールを知ることはできない。テキストの〈未来〉を開封せずに批評を展開する、そういった方法でわたしは『ベラミ』論を執筆してきた。厳密に言えば、わたしはがまんができずに途中で『ベラミ』全編を読み終えてしまった。〈通俗小説〉であるから読むだけなら二日もあれば十分だった。いずれにせよ、わたしは『ベラミ』の内容全体をすでに知っている。もはや今までのような批評方法を全うすることはできない。物理時間的に無理である。言い方を換えればそれだけの時間をかけるつもりはないということになる。

 わたしにとって『ベラミ』は『罪と罰』にからめることで批評欲を発揮することができるのであって、そうでなければ批評衝動さえ起きなかったかもしれない。最大の理由は『ベラミ』の主人公ジョルジュ・デュロワにある。わたしはこの青年になんの魅力も感じない。持って生まれた美貌だけを武器に出世街道を歩むそのプロセスにもはっきりいって興味がない。こんな中身からっぽの浅薄な青年に魅了される女たちにも興味がない。ただ唯一、批評に値するのは、こんな浅薄な青年を主人公にして一編の小説を書き上げた作者モーパッサンの醒めた創作欲である。よく飽きもせず、自分の創作した人物とはいえ、こんな浅薄な青年を主人公として描き続けたものだという一種の驚きと感心がある。

 

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令和三年度「文芸研究Ⅱ」坂下将人ゼミ

発行日 2021年12月3日

発行人 坂下将人  編集人 田嶋俊慶

発行所 日本大学芸術学部文芸学科 〒176-8525 東京都練馬区旭丘2-42-1

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表紙

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