モーパッサン『ベラミ』を読む(連載8) ──『罪と罰』と関連づけながら──

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

sites.google.com


お勧め動画・ドストエフスキー罪と罰』における死と復活のドラマ https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk&t=187s

清水正の著作、レポートなどの問い合わせ、「Д文学通信」掲載記事・論文に関する感想などあればわたし宛のメール shimizumasashi20@gmail.com にお送りください。

清水正の著作購読希望者は下記をクリックしてください。

https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208

                清水正・画

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

有即無 無即有 有無即空 空即空 空空空 正空 (清水空雲)

モーパッサン『ベラミ』を読む(連載8)

──『罪と罰』と関連づけながら──

清水 正

 

 もう一つ、『罪と罰』における硬貨のことで、じっくり見ておきたい場面がある。ロジオンは〈三日目〉に最初の〈踏み越え〉(アリョーナ婆さんとリザヴェータ殺し)を成し遂げ、翌日の〈四日目〉、警察署から呼び出しを受け、逮捕を覚悟する。しかし未だ警察はロジオンを犯人と特定してはいなかった。呼び出しは、女将から借りていた百十五ルーブリの借用証書の件であった。ロジオンはラズミーヒンのアパートに立ち寄った後、ニコラエフスキー橋をぼんやり歩いていると、いきなりほろ馬車の御者に鞭で背中を打たれる。ロジオンは激しい憤怒に震え憎々しげに歯ぎしりするが、周りにいた群衆はどっと大声で笑い「いい気味だ!」「どっかのやくざ野郎よ」と罵倒される。酔っぱらいの振りした〈当たり屋〉と間違えられたのである。その後の叙述場面を引用する。

 

  けれどそのとき、彼はまだ依然として欄干のそばに立ったまま、背中をさすりながら、しだいに遠ざかって行く馬車の後ろを、無意味な毒々しい目つきで見送っていたが、ふとだれかが手に金をつかませるのに気がついた。見るとそれは頭巾をかぶって山羊皮のくつをはいたもう年ぱいの商家の女房で、そばには帽子をかぶって緑色のパラソルを持った女の子がいた。たぶん娘なのであろう。『取っておくんなさいよ、お前さん、クリストさまのためにね』彼は受け取った。ふたりはそのまま通りすぎた。金は二十コペイカ銀貨だった。身なりと全体の様子で、ふたりは彼をまったくの乞食、街頭における本物の袖乞いと思いこんだらしい。大枚二十コペイカ奮発したのも、あのむちが女に惻隠の情をおこさせたからにちがいない。(124)

  

 商家の女房がロジオンの手に握らせた〈二十コペイカ銀貨〉(двугривенный)とはどのようなものだろう。わたしはこの場面を読んで無性に〈二十コペイカ銀貨〉が欲しくなった。そこで前から欲しいと思っていた〈一ルーブリ銀貨〉と共に入手することにした。幸いにしてヤフオクで〈一ルーブリ銀貨〉二枚と〈二十コペイカ銀貨〉一枚を落札することができた。届いた〈一ルーブリ銀貨〉は二枚だけだが、三十枚あるつもりで、同時に身売りしたソーニャの気持ちになったり、カチェリーナの顔をのぞき込むような感じで、何度もテーブルに並べてみたりした。さて〈二十コペイカ銀貨〉だがこれは思ったよりずいぶんと小さく、軽かった。右掌に乗せて、思わず「こんなに小さいのか、だったらロジオンの手の中にすべりこませることもできるな」と呟いた。

1ルーブリ銀貨1832年35㎜20.73g 1860年  20コペイカ銀貨22mm3.5g

    彼は二十コペイカ銀貨をてのひらに握りしめて、十歩ばかり歩いてから、宮殿の見えるネヴァ河流れへ顔を向けた。空には一片の雲もなく、水はほとんどコバルト色をしていた。それはネヴァ河としてめずらしいことだった。寺院のドーム(円屋根)はこの橋の上からながめるほど、すなわち礼拝堂まで二十歩ばかりへだてた辺からながめるほど、あざやかな輪郭を見せるところはない。それがいま燦爛たる輝きを放ちながら、澄んだ空気をすかして、その装飾の一つ一つまではっきりと見せていた。むちの痛みはうすらぎ、ラスコーリニコフは打たれたことなどけろりと忘れてしまった。ただ一つ不安な、まだよくはっきりしない想念が、いま彼の心を完全に領したのである。彼はじっと立ったまま、長いあいだひとみをすえて、はるかかなたを見つめていた。ここは彼にとってかくべつなじみの深い場所だった。彼が大学に通っている時分、たいていいつも――といって、おもに帰り途だったが――かれこれ百度ぐらい、ちょうどこの場所に立ち止まって、真に壮麗なこのパノラマにじっと見入った。そして、そのたびにある一つの漠とした、解釈のできない印象に驚愕を感じたものである。(中略)彼は思わず無意識に手をちょっと動かしたはずみに、ふとこぶしの中に握りしめていた二十コペイカをてのひらに感じた。彼はこぶしを開いて、じっと銀貨を見つめていたが、大きく手をひと振りして、水の中へ投げ込んでしまった。それから踵を転じて、帰途についた。彼はこの瞬間、ナイフかなにかで、自分というものをいっさいの人と物から、ぶっつり切り放したような思いがした。(124~125)

 

 〈二十コペイカ銀貨〉はここでは〈大枚〉と言われている。商家の女房の慎ましい心優しさが伝わってくる。彼女が連れていた〈緑色のパラソルを持った少女〉は明らかにキリストの隠喩として現れており、女房が口にした『取っておくんなさいよ、お前さん、クリストさまのためにね』(江川卓訳では「さっ、取っときなさい、キリストさまのお恵みだよ」、原典では《Прими, батюшка, ради Христа》)と連動している。ロジオンの側にはいつも〈神〉と〈悪魔〉が連れ添っている。

 ところでロジオンは〈二日目〉、酔っぱらいの少女の警護のために警察官に二十コペイカ銀貨を与えている。その日の食費にも難儀しているロジオンではあるが、後先考えずに金を放出する傾向がある。それにしても二日前に少女のために使った二十コペイカが、おもわぬところで再びロジオンの手に戻ってきたというのに、しかもその金はただの金ではない、信心深い商家の女房の手を経たキリスト様のお恵みであるにもかかわらず、ロジオンはその銀貨をネヴァ河へ放り投げてしまうのである。

 ロジオンがアリョーナ婆さんの頭上に斧を振り上げた時、その振り上げた斧を押さえる大いなる力はどこからも働かなかった。もしこの時、斧を押さえる力が働いていれば、ロジオンは殺人を犯さなくてもすんだはずである。いったいだれがなんのために、ロジオンに斧を振り下ろさせたのか。まさか〈神〉がロジオンの〈踏み越え〉に加担しているわけはなかろう。否、はたしてそう断言できるのか。

 わたしの不信と懐疑は果てしなく続く。『罪と罰』は小説である。神を持ち出さなくても、主人公の運命を支配統治しているのは作者に他ならない。それなら、ロジオンに斧を振り下ろさせたのは作者ということになる。作者と神の問題は複雑で簡単に言い切ることはできないが、しかし作者がロジオンの〈踏み越え〉を通して、神そのものを深く問うていたことは確かであろう。作者はロジオンに斧を降り下ろさせた。わたしの批評は、ロジオンの斧を押さえる方に向いている。だからこそ、ここでも、つまりロジオンがキリスト様から恵まれた〈二十コペイカ銀貨〉を投げ捨てたこの場面に立ち止まらざるを得ないのである。

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

www.youtube.com



大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。 

エデンの南 清水正コーナー

plaza.rakuten.co.jp

動画「清水正チャンネル」https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%B8%85%E6%B0%B4%E6%AD%A3%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB

お勧め動画・ドストエフスキー罪と罰』における死と復活のドラマ https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk&t=187s

清水正の著作購読希望者は下記をクリックしてください。

https://auctions.yahoo.co.jp/seller/msxyh0208

お勧め動画池田大作氏の「人間革命」をとりあげ、ドストエフスキーの文学、ニーチェ永劫回帰アポロンディオニュソスベルグソンの時間論などを踏まえながら

人間のあるべき姿を検証する。人道主義ヒューマニズム)と宗教の問題。対話によって世界平和の実現とその維持は可能なのか。人道主義一神教的絶対主義は握手することが可能なのか。三回に分けて発信していますがぜひ最後までご覧ください。

www.youtube.com

 

www.youtube.com

www.youtube.com

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

清水正研究」No.1が坂下ゼミから刊行されましたので紹介します。

令和三年度「文芸研究Ⅱ」坂下将人ゼミ

発行日 2021年12月3日

発行人 坂下将人  編集人 田嶋俊慶

発行所 日本大学芸術学部文芸学科 〒176-8525 東京都練馬区旭丘2-42-1

f:id:shimizumasashi:20220130001701j:plain

表紙

f:id:shimizumasashi:20220130001732j:plain

目次

f:id:shimizumasashi:20220130001846j:plain

f:id:shimizumasashi:20220130001927j:plain

 

 

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。