清水正「ソーニャの部屋 ──リザヴェータを巡って──(連載6) リザヴェータとの運命的な〈遭遇〉」江古田文学107号より再録

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清水正画 「ドストエフスキーの肖像」

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江古田文学』107号ドストエフスキー論特集号に掲載した論考の再録。

何回かにわたって再録します。

江古田文学』107号ドストエフスキー特集号刊行  

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ソーニャの部屋

──リザヴェータを巡って──(連載6)

 

リザヴェータとの運命的な〈遭遇〉

 

清水 正

 

 ロジオンにとってリザヴェータは不思議な女である。ロジオンがリザヴェータのことを耳にしたのは、ひと月半前、彼が初めてアリョーナ婆さんを訪ねた帰り、偶然立ち寄った安料理屋でであった。ロジオンはこの時、見知らぬ大学生がおもしろおかしく語るリザヴェータに、婚約者だったナタリヤとの共通性を感じていただろう。二人に共通しているのは、容姿は醜悪なほど不器量だが、心は善良でおとなしいということである。

が、ロジオンがこの時なによりも強く感じたのは、リザヴェータのことを聞く巡り合わせになった偶然の神秘性である。作者はそのことを「しかし、ラスコーリニコフは近ごろ迷信的になっていた。その痕跡は後々までも長く残って、ほとんど消しがたいものになってしまった。この事件ぜんたいに関しても、彼はその後いつも一種の不可思議性、神秘性を感じた。そして特殊な力の作用と、さまざまな偶然の一致が存在するように感じた」(71)と書いている。まさにロジオンは〈さまざまな偶然の一致〉によってアリョーナ婆さんの頭上に斧を振り下ろすことになったわけだが、その恐るべき〈偶然〉の一つが、犯行の前日の午後九時頃にセンナヤでリザヴェータと遭遇したことである。

 ロジオンは後にこの〈遭遇〉に〈運命の予定〉を感じざるを得ない。作者はロジオンに一体化して彼の自問を次のように書いている「どうしてあんなに重大な、彼の全運命を決するような、と同時にごくごく偶発的なセンナヤ(しかも行くべき用もなかった)における遭遇が、ちょうどおりもおり彼の生涯のこういう時、こういう瞬間に、そのうえ、とくに彼の気分がああした状態になっていたときに、ことさらやって来たのだろう? しかも、その時の状況は、この遭遇が彼の運命に断乎たる、絶対的な影響をおよぼすのに、唯一無二ともいうべき場合だったではないか? それはまるでこの遭遇が、ここでことさら待ち伏せていたようである!」(68)と。

 ロジオンはまさにオイディプスのように定められた運命の時を生きざるを得なかった。ロジオンは〈第一日目〉、アリョーナ婆さん宅を訪れた帰り、立ち寄った地下の居酒屋でマルメラードフの告白を聞き、ソーニャの存在を知る。〈第二日目〉、ロジオンは午前九時に起床、母からの手紙を受け取る。外に出たロジオンはペトロフスキー島で痩せ馬殺しの夢を見る。覚醒したロジオンはトゥチコフ橋の方へ歩き出す。途上、彼は《神さま!》(Господи!)と口に出し、祈る『どうかわたくしに自分の行くべき道を示してください。わたくしはこののろわしい......妄想を振りすててしまいます!』(68)〔покажи мне путь мой, а я отрекаюсь от этой проклятой... мечты моей!〕(ア・50)と。

 注意すべきは、ロジオンはここで呪わしい〈わたくしの妄想〉(мечты моей)を神に誓って振り捨てていることである。この〈妄想〉とはロジオンが「いったいあれがおれにできるのだろうか?」(4)〔Разве я способен на это?〕(ア・6)と独語した時の〈あれ〉(это)である。表層的な読みの次元においては高利貸しアリョーナ婆さん殺しということになる。作者はこの〈あれ〉に様々な意味を込めているが、ここでは取り敢えずロジオンの意識に寄り添ってアリョーナ婆さん殺しに限定しておこう。

ロジオンの運命を司っている作者の手つきは残酷である。〈妄想=あれ=アリョーナ婆さん殺し〉の呪縛から解放されたロジオンを作者は次のように書いている。

 

 橋を渡りながら、彼は静かに落ちついた気もちでネヴァ河をながめ、あざやかな赤い太陽の沈み行くさまをながめた。からだが衰弱しているにもかかわらず、なんの疲労も感じなかった。それは心臓の中で一か月も化膿していた腫しゅ物もつが、急につぶれたような思いだった。自由、自由! いまこそ彼はああした魅しから、魔法から、妖力から、悪魔の誘惑から解放されたのである。(68)

 

 ロジオンはこの時、〈あれ〉(это=アリョーナ婆さん殺し)を〈魅し〉〈魔法〉〈妖力〉〈悪魔の誘惑〉と明確に認識し、それらの諸力から解放され、〈自由〉になったことを全身全霊で感じている。もし、これが揺るがぬ事実であれば『罪と罰』はここで幕を下ろすことになろう。が、『罪と罰』は続行する。ロジオンがここで獲得した〈自由〉をはるかに凌ぐ〈運命〉が、彼の全存在を揺るぎなく統治している。オイディプスアポロンの神の信託、その呪われた運命の予告から逃れられなかったと同じように、ロジオンは〈あれ〉から逃れることはできなかった。

 ここで注意すべきは、ロジオンは自ら空想した〈あれ〉の真実を明確に認識できていなかったことである。作者はロジオンにその真実を隠し続ける。『罪と罰』の作者は、『オイディプス王』のアポロン神のように単純明確な〈運命〉を主人公に宣告することはなかった。ロジオンにとって〈あれ〉は飽くまでも〈アリョーナ婆さん殺し〉であって、〈あれ=リザヴェータ殺し〉〈あれ=母親殺し〉〈あれ=皇帝殺し〉〈あれ=神殺し〉〈あれ=回心〉〈あれ=復活〉という認識はなかった。作者は〈あれ〉に含まれた様々な意味を主人公にばかりではなく、発表当時の検閲官や編集者、そして読者にも隠したと言えよう。特に〈あれ=皇帝殺し〉は、元政治犯でアレクサンドル二世の寛容心でペテルブルク文壇に復帰できたドストエフスキーにとって絶対に看破されてはならなかった。

 

江古田文学ドストエフスキー特集・収録論考
清水正……「ドストエフスキー特集を組むにあたって――ドストエフスキーとわたしと日大芸術学部
ソコロワ山下聖美……サンクトペテルブルク~美しく、切ない、芸術の街~
齋藤真由香……理想の人生を降りても
高橋実里……子どもとしての存在――『カラマーゾフの兄弟』と宮沢賢治
伊藤景……ドストエフスキーとマンガ――手塚治虫版「罪と罰」を中心にして――
坂下将人……『悪霊』における「豆」
五十嵐綾野……寺山修司ドストエフスキー~星読みをそえて~
猫蔵……三島由紀夫ドストエフスキー~原罪

下原敏彦……「ドストエーフスキイ全作品を読む会」五十周年に想う

牛田あや美……ドストエフスキー文学の翻訳とメディア化

岩崎純一……ドストエフスキーニーチェ──対面なき協働者──

清水正……ソーニャの部屋ーーリザヴェータを巡ってーー

 

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清水正ドストエフスキー論全集

 

清水正の著作の購読申込、課題レポートなどは下記のメールにご連絡ください。
shimizumasashi20@gmail.com

清水正ドストエフスキー論全集』第11巻(D文学研究会A5判上製・501頁が出来上がりました。

購読希望者はメールshimizumasashi20@gmail.comで申し込むか、書店でお求めください。メールで申し込む場合は希望図書名・〒番号・住所・名前・電話番号を書いてください。送料と税は発行元が負担します。指定した振込銀行への振り込み連絡があり次第お送りします。

 

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定価3500円+税

 これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk

六月一日から開催予定だった「清水正・批評の軌跡」展示会はコロナの影響で九月一日から9月24日までと変更となりました

 会期:2021年9月1日(水)~9月24日(金)

 会期中開館日:平日のみ。午前9時30分~午後4時30分(完全予約制)

 ※ご来場の際は事前に公式HP(https://sites.google.com/view/shimizumasashi-hihyounokiseki)にご確認ください。

九月一日から日大芸術学部芸術資料館に於いて清水正・批評の奇跡──ドストエフスキー生誕二〇〇周年記念に寄せて──』展示会が開催される。1969年から2021年まで五十余年にわたって書き継がれてきたドストエフスキー論、宮沢賢治論、舞踏論、マンガ論、映画論などの著作、掲載雑誌、紀要、Д文学通信などを展示する。著作は単著だけでも百冊を超える。完璧に近い著作目録の作業も進行中である。現在、文芸学科助手の伊藤景さんによって告知動画も発信されていますので、ぜひご覧になってください。