清水正「ソーニャの部屋 ──リザヴェータを巡って──(連載5)  リザヴェータに賦与された神秘的象徴性〈夕日〉」江古田文学107号より再録

大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

 

f:id:shimizumasashi:20210807170724j:plain

清水正画 「ドストエフスキーの肖像」

 大学教育人気ブログランキングに参加しています。応援してくださる方は押してください。よろしくお願いします。

 

江古田文学』107号ドストエフスキー論特集号に掲載した論考の再録。

何回かにわたって再録します。

江古田文学』107号ドストエフスキー特集号刊行  

f:id:shimizumasashi:20210719140523j:plain

 

ソーニャの部屋

──リザヴェータを巡って──(連載5)

リザヴェータに賦与された神秘的象徴性〈夕日〉

 

 清水正

 

 わたしがリザヴェータに関して二十歳の昔から奇妙に思っていたことの一つに次の場面がある。『罪と罰』の第一日目、ロジオンが質入れのためにアリョーナ婆さんを訪れた場面である。

 

 青年の通って行ったあまり大きくない部屋は、黄いろい壁紙をはりつめて、窓に幾鉢かのぜにあおいをのせ、紗しゃのカーテンをかけてあったが、おりしも夕日を受けて、かっと明るく照らし出されていた。『その時もきっとこんなふうに、日がさしこむにちがいない!......』どうしたわけか、思いがけなくこういう考えがラスコーリニコフの頭にひらめいた。(7)

 Небольшая комната, в которую прошел молодой человек, с желтыми обоями, геранями и кисейными занавесками на окнах, была в эту минуту ярко освещена заходящим солнцем. 《И тогда, стало быть, так же будет солнце светить! ...》 ── как бы невзначай мелькнуло в уме Раскольникова,(ア・8)

 

 わたしが妙に気になったのはまず第一に〈その時〉(тогда)である。作者は意図的にイタリック体で記している。米川正夫は〈ぜにあおい〉にもルビを振ってあるが、これは植物の名前で原典ではイタリック体で示されていない。多くの訳者はゼラニウムとカタカナ表記ですましている。米川正夫訳だけで読むと〈ぜにあおい〉にも何か特別な意味が込められているのかと思ってしまうので要注意である。 

 さて〈その時〉であるが、わたしは『罪と罰』を最初に読んだとき、単純に〈アリョーナ婆さん殺しの時〉と解釈した。ところで、何度読み返して確認しても、〈アリョーナ婆さん殺しの時〉に、夕日がかっと照らし出すような場面はなかった。犯行の時、ロジオンはアリョーナ婆さんに「ぼくお宅へ......品物を持って来たんですが......どうです、あっちへ行きませんか......明るいほうへ......」と言って案内も待たずに部屋の中に入っていく。しかし、この時、ロジオンは瀬踏みの時に目にした〈黄いろい壁紙〉〈幾鉢かのぜにあおい〉〈紗のカーテン〉などにまったく注意を向けていない。当然のこととして、部屋をかっと照らし出す〈夕日〉のことも記憶に甦らすことはなかった。

 作者は瀬踏みの時にはイタリック体にしてまで〈その時〉(тогда)を強調し、或る何かを読者に暗示しておきながら、肝心の〈その時〉(アリョーナ婆さん殺しの時)には、紗のカーテンを通して部屋の中を明るく照らし出す〈夕日〉についてはまったく触れていない。

 しかし、わたしは自分の直観を捨て去ることはできない。わたしの内では〈その時〉をかっと照らし出す〈夕日〉はリザヴェータ以外には考えられなかった。リザヴェータはロジオンの犯行後に、アリョーナ婆さんの死体を目撃する者として現れているが、象徴的な読みの次元で言えば、まさに彼女は〈殺し〉の現場を照らし出す〈夕日〉そのものと言えないだろうか。

 

江古田文学ドストエフスキー特集・収録論考
清水正……「ドストエフスキー特集を組むにあたって――ドストエフスキーとわたしと日大芸術学部
ソコロワ山下聖美……サンクトペテルブルク~美しく、切ない、芸術の街~
齋藤真由香……理想の人生を降りても
高橋実里……子どもとしての存在――『カラマーゾフの兄弟』と宮沢賢治
伊藤景……ドストエフスキーとマンガ――手塚治虫版「罪と罰」を中心にして――
坂下将人……『悪霊』における「豆」
五十嵐綾野……寺山修司ドストエフスキー~星読みをそえて~
猫蔵……三島由紀夫ドストエフスキー~原罪

下原敏彦……「ドストエーフスキイ全作品を読む会」五十周年に想う

牛田あや美……ドストエフスキー文学の翻訳とメディア化

岩崎純一……ドストエフスキーニーチェ──対面なき協働者──

清水正……ソーニャの部屋ーーリザヴェータを巡ってーー

 

f:id:shimizumasashi:20210407131544j:plain

清水正ドストエフスキー論全集

 

清水正の著作の購読申込、課題レポートなどは下記のメールにご連絡ください。
shimizumasashi20@gmail.com

清水正ドストエフスキー論全集』第11巻(D文学研究会A5判上製・501頁が出来上がりました。

購読希望者はメールshimizumasashi20@gmail.comで申し込むか、書店でお求めください。メールで申し込む場合は希望図書名・〒番号・住所・名前・電話番号を書いてください。送料と税は発行元が負担します。指定した振込銀行への振り込み連絡があり次第お送りします。

 

f:id:shimizumasashi:20210525161737j:plain

定価3500円+税

 これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk

六月一日から開催予定だった「清水正・批評の軌跡」展示会はコロナの影響で九月一日から9月24日までと変更となりました

 会期:2021年9月1日(水)~9月24日(金)

 会期中開館日:平日のみ。午前9時30分~午後4時30分(完全予約制)

 ※ご来場の際は事前に公式HP(https://sites.google.com/view/shimizumasashi-hihyounokiseki)にご確認ください。

九月一日から日大芸術学部芸術資料館に於いて清水正・批評の奇跡──ドストエフスキー生誕二〇〇周年記念に寄せて──』展示会が開催される。1969年から2021年まで五十余年にわたって書き継がれてきたドストエフスキー論、宮沢賢治論、舞踏論、マンガ論、映画論などの著作、掲載雑誌、紀要、Д文学通信などを展示する。著作は単著だけでも百冊を超える。完璧に近い著作目録の作業も進行中である。現在、文芸学科助手の伊藤景さんによって告知動画も発信されていますので、ぜひご覧になってください。