清水正「ソーニャの部屋 ──リザヴェータを巡って──(連載4)   リザヴェータの謎」江古田文学107号からの再録

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清水正画 「ドストエフスキーの肖像」

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江古田文学』107号ドストエフスキー論特集号に掲載した論考の再録。

何回かにわたって再録します。

江古田文学』107号ドストエフスキー特集号刊行  

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ソーニャの部屋

──リザヴェータを巡って──(連載4)

 

リザヴェータの謎

 

清水 正

 

 さて、〈ひんまがった銅の燭台〉にさされていた〈ろうそく〉から連想されるもう一人の女性について見ていくことにしよう。言うまでもなくそれはソーニャと〈秘密の会合〉を持っていたリザヴェータである。リザヴェータに関する情報は、ロジオンがひと月半前、アリョーナ婆さんの所で指輪を質入れした帰り、偶然立ち寄った安料理屋で若い将校と大学生の会話から知ることになる。リザヴェータはアリョーナの腹違いの妹で年齢は三十五歳、家では洗濯と料理を担当、姉の言うことに従順な女で、裁縫や床洗いの稼ぎはすべて姉に手渡している。容姿に関しては「顔もからだも恐ろしい不つりあいな女で、むやみに背が高く、長いまがったような足に、いつも踏みへらした山羊皮のくつをはいていたが、なかなか身ぎれいにしていた」(72)〔девица, и собой ужасно нескладна, росту замечательно высокого, с длинными, как будто вывернутыми ножищами, всегда в стоптанных козловых башмаках, и держала себя чистоплотно.〕(ア・53〜54)と書かれている。もうこれだけでリザヴェータと〈ひんまがった銅の燭台〉にさされた〈ろうそく〉との近似性は明白である。

 さらにリザヴェータは〈年中はらんでいる〉女であり、〈風変わりの味〉を持った女ということで、彼女が男の性的欲望に従順な女であったことが分かる。ソーニャは〈淫売婦〉という職業上、男の性的欲望を受け入れざるを得ない女であったが、リザヴェータの場合はその性格、すなわち「静かで、おとなしくて、すなおで、人にさからうってことがない、なんでもはいはいときく質」に由来するものであったように思える。いずれにしても、並はずれて不器量な容姿の女が「じつに善良な顔と目をして」いて大勢のひとに好かれ、いつも孕むような男女関係に恵まれていたということである。しかしこれをもってリザヴェータを性的に奔放な淫乱女とだけ断定できないところに、女という存在の奥深い謎が潜んでいる。〈尼寺〉の空想に耽っていた不器量なナタリヤが、婚約者ロジオンとどのような性的関係を結んでいたのか具体的には分からないように、善良な顔と目をした恐ろしく不器量なリザヴェータが不特定多数の男たちとどのような性的関係を演じていたのかも分からない。一種、その方面の好事家でもなければリザヴェータの〈風変わりの味〉を満喫することはできないだろう。

 それにしてもラズミーヒン、ゾシーモフ、リザヴェータの〈風変わりの味〉を堪能したらしい大学生、それにナタリヤと婚約したロジオンなど、彼らは例外なく〈淫蕩なる人々〉の一人に違いない。スヴィドリガイロフやイワン閣下だけが淫蕩漢ではなかったということである。

 ナタリヤ、リザヴェータ、ソーニャなどを見ただけでも、『罪と罰』においては正常・健全から逸脱したものに対する偏愛が感じられる。病身であることや醜悪な顔やからだは、具体的に聾、唖、びっこ、背むしなどと露骨に表現されるが、それらは差別語であることを超えて、むしろ肯定的な聖的な意味合いを強く刻印されている。〈尼寺〉に行くことを強く願っていたナタリヤ、秘密の会合で福音書を読み合っていたリザヴェータとソーニャは、性的存在でありながら同時に聖的存在でもあったということ、彼女たちが否応もなく抱え込んでいたこの実存の両義牲を見逃すわけにはいかない。

 ロジオンは淫売婦として生きるソーニャに対して「どうして、そんなけがらわしい卑しいことと、それに正反対な神聖な感情が、ちゃんと両立していられるんだろう?」と疑問を抱くが、この疑問はひとりソーニャだけにではなく、リザヴェータやナタリヤに向けられてもおかしくはない。否、この疑問はさらに、ロジオンの母親プリヘーリヤや妹ドゥーニャにも適用できるだろう。未亡人となったプリヘーリヤは息子ロジオンを大学へ通わせるために、亡き夫の友人ワフルーシンに年金ばかりか自分のからだをも担保にして金を借りていた節がある。妹ドゥーニャは兄ロジオンの未来の安定した生活を保証するために愛も尊敬もない敏腕家ルージンとの結婚を承諾してしまう。美しく誇り高い二人の女性は〈一家の柱であり杖〉である愛するロジオンのためなら、わが身を売ることさえ厭わないのである。厳しく残酷なことを言えば、この二人は神に祈りながら悪魔に魂を売ってしまったのである。彼女たちの〈自己犠牲〉は、彼女たちの表層意識が唾棄するであろう〈自己保身〉を巧妙に隠している。

罪と罰』は未亡人物語と言ってもいいほど、主要な女性人物が未亡人として設定されている。ロジオンの母親プリヘーリヤ、殺されたアリョーナ婆さん、下宿の女将プラスコーヴィヤ、それにカチェリーナもまたマルメラードフと再婚するまでは未亡人であった。これら未亡人たちの形而下学(性的関係)についてはすでに別のところで書いているが、ここでは改めてナタリヤの母親プラスコーヴィヤに少しばかり照明を当ててみたい。プラスコーヴィヤは描かれた限りで見ても、チェバーロフという文官七等官の情夫がおり、この男とは定期的に関係を結んでいたらしいが、出会ったばかりのラズミーヒンばかりか、医師のゾシーモフとも関係を結んでいる。こういった女を汚らわしい淫奔な女と見るか、それとも性的魅力のある女と見るかで、その印象評価は異なるが、いずれにしても不特定多数の男と性的関係を結ぶような母親を持った娘ナタリヤにしてみれば、家を出て〈尼寺〉へでも引きこもろうという空想に駆られるのも無理はない。問題は、ナタリヤもまたこういった母親の〈男好き〉の血を引き継いでいたということである。蝋のように溶けてしまうプラスコーヴィヤと濃密な性的関係を持ったラズミーヒンは、〈女好き〉(потаскун)の〈おす犬〉(пёс)の眼差しで、プラスコーヴィヤの娘ナタリヤと友人ロジオンとの描かれざる性的関係のディティールを体感的に見ていたと言える。ドゥーニャはスヴィドリガイロフと〈関係〉し、ルージンと〈婚約〉した後に、この〈おす犬〉ラズミーヒンの結婚申し込みを受けた女である。男と女たちの描かれざる形而下学に透視的な眼差しを向ければ、『罪と罰』は〈人間とは何か〉を異様に深く追求した作品であることが理解できるだろう。

 さて、リザヴェータに戻ろう。今回、わたしが主に書きたいと思ったことは、ソーニャの部屋におけるリザヴェータの存在である。リザヴェータがソーニャの部屋を訪れていたことは、ソーニャの言葉から明らかである。リザヴェータは古着類を扱っていた女であるから、仕立屋のカペルナウモフとは仕事上のつきあいがあったと見ることができるし、ソーニャをカペルナウモフに紹介したのも彼女であったかも知れない。作者はソーニャとリザヴェータがどこでどのように出会い、やがて〈秘密の会合〉まで持つようになったのか、いっさい説明していない。読者が知らされるのは、ロジオンが箪笥の上に発見した福音書がリザヴェータのものであったということぐらいである。なぜリザヴェータは、その貴重な福音書を持っていたのか。いつ、だれから、どのような理由でリザヴェータはその福音書を入手したのか。なぜ、福音書をソーニャに渡したのか。読者は肝心要の情報を何一つ知らされないままに、〈ラザロの復活〉朗読の場面に立ち会うことになる。わたしは、この〈ラザロの復活〉の場面を何回でも執拗に検証し続けるつもりである。

 

 

江古田文学ドストエフスキー特集・収録論考
清水正……「ドストエフスキー特集を組むにあたって――ドストエフスキーとわたしと日大芸術学部
ソコロワ山下聖美……サンクトペテルブルク~美しく、切ない、芸術の街~
齋藤真由香……理想の人生を降りても
高橋実里……子どもとしての存在――『カラマーゾフの兄弟』と宮沢賢治
伊藤景……ドストエフスキーとマンガ――手塚治虫版「罪と罰」を中心にして――
坂下将人……『悪霊』における「豆」
五十嵐綾野……寺山修司ドストエフスキー~星読みをそえて~
猫蔵……三島由紀夫ドストエフスキー~原罪

下原敏彦……「ドストエーフスキイ全作品を読む会」五十周年に想う

牛田あや美……ドストエフスキー文学の翻訳とメディア化

岩崎純一……ドストエフスキーニーチェ──対面なき協働者──

清水正……ソーニャの部屋ーーリザヴェータを巡ってーー

 

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清水正ドストエフスキー論全集

 

清水正の著作の購読申込、課題レポートなどは下記のメールにご連絡ください。
shimizumasashi20@gmail.com

清水正ドストエフスキー論全集』第11巻(D文学研究会A5判上製・501頁が出来上がりました。

購読希望者はメールshimizumasashi20@gmail.comで申し込むか、書店でお求めください。メールで申し込む場合は希望図書名・〒番号・住所・名前・電話番号を書いてください。送料と税は発行元が負担します。指定した振込銀行への振り込み連絡があり次第お送りします。

 

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定価3500円+税

 これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk

六月一日から開催予定だった「清水正・批評の軌跡」展示会はコロナの影響で九月一日から9月24日までと変更となりました

 会期:2021年9月1日(水)~9月24日(金)

 会期中開館日:平日のみ。午前9時30分~午後4時30分(完全予約制)

 ※ご来場の際は事前に公式HP(https://sites.google.com/view/shimizumasashi-hihyounokiseki)にご確認ください。

九月一日から日大芸術学部芸術資料館に於いて清水正・批評の奇跡──ドストエフスキー生誕二〇〇周年記念に寄せて──』展示会が開催される。1969年から2021年まで五十余年にわたって書き継がれてきたドストエフスキー論、宮沢賢治論、舞踏論、マンガ論、映画論などの著作、掲載雑誌、紀要、Д文学通信などを展示する。著作は単著だけでも百冊を超える。完璧に近い著作目録の作業も進行中である。現在、文芸学科助手の伊藤景さんによって告知動画も発信されていますので、ぜひご覧になってください。