清水正「ソーニャの部屋 ──リザヴェータを巡って──(連載13)   ソーニャの部屋におけるリザヴェータの役割(2)」江古田文学107号より再録

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ソーニャの部屋

──リザヴェータを巡って──(連載13)

 ソーニャの部屋におけるリザヴェータの役割(2)

清水正

 前に書いたことと多少重なることを承知の上で論を進めていく。わたしは『罪と罰』を半世紀以上読み続けているが、ソーニャが住まいとしている三階建ての建物のどこにトイレがあるのかを知らない。描かれた限りで判断すればソーニャの部屋のどこにもトイレや洗面所や炊事場はない。それではそれらはいったいどこに存在していたのだろうか。トイレに関しては持ち運びができる簡易トイレ(お丸のようなもの)、洗面に関しても簡便なものが部屋の片隅かベッドの下に置かれていた可能性もある。が、炊事に関してはそれなりの場所が必要であろう。そんなこんなを考えると〈小さな玄関〉と表現されてはいるが、この一角に簡単な炊事場が設けられていた可能性もある。

 疑問ついでにもう一点あげておくと、ロジオンは靴を履いたままソーニャの部屋に入っているが、当時のロシア人は〈玄関〉で靴を脱ぐ習慣はなかったのであろうか。作者は世紀を隔てた異国の読者の疑問などにいちいち頓着することはなかった。ソーニャはこの時どういった部屋着を着ていたのか、どういう靴を履いていたのか、首には十字架をつけていたのか、雑木の箪笥の中には商売用のドレスや下着や派手な帽子、そしてパラソルなどがきちんと収納されていたのか。作者は見事にこれらについて触れない。

 ロジオンが初めてソーニャの部屋を訪れたこの夜、最も重要なことは〈ラザロの復活〉をソーニャが朗読し、ロジオンが黙って聞いたことである。もし、ロジオンが箪笥の上に置かれた新訳聖書を発見しなければ、この重要場面は存在しなかったことになる。言い方を変えれば、ロジオンが必ず新訳聖書を発見するように設定したのは作者だということである。つまり、ロジオンは一本の〈蝋燭〉が照らし出す薄暗い部屋で〈新訳聖書〉のみを発見するのである。

 この夜、ロジオンはたまたま発見した〈新訳聖書〉にのみこだわり、淫売婦ソーニャの不断の服装やベッドに特別の注意を向けない。当然、ロジオンの眼差しからはなれて、こんなことにいちいち注意を向ける読者もいないだろうが、わたしの眼差しにはソーニャの部屋にスヴィドリガイロフの影が見え隠れする。この影は、壁一枚隔ててソーニャの部屋での出来事に聞き耳をたてているスヴィドリガイロフのことを指しているのではない。この日、ロジオンがソーニャの部屋を訪れる前に、すでに上客としてスヴィドリガイロフがソーニャの部屋を訪れていたというのが、わたしの〈読み〉の一つである。

 少女や幼女に特別の関心を示す海千山千の淫蕩漢スヴィドリガイロフが〈おとなり同士〉の淫売婦ソーニャを見逃すはずはないし、すでに女衒のレスリッヒ夫人と話がついていたとみる方が説得力がある。なにしろソーニャは、マルメラードフの葬式や法事で予期せぬ金が必要なのである。

 わたしの脳裏には、ロジオンと入れ違いにソーニャの部屋を出て行ったスヴィドリガイロフの黒い姿が浮かんで見える。ロジオンがいきなり進入した〈玄関〉の隅の暗闇にスヴィドリガイロフが潜んでいた可能性も捨てがたい。スヴィドリガイロフは夜十一時過ぎ、ソーニャの部屋を訪れたロジオンを知っていたからこそ、隣室から立ち聞きすることもできたということになる。この〈読み〉でいくと、ロジオンが部屋に入ってから〈一分ほど〉して、ソーニャが蝋燭を手にして自分の部屋に入ってくるわけだが、この描かれざる〈一分〉が恐るべき秘密を隠していたということになる。知っているのはソーニャと〈蝋燭〉のみである。この〈蝋燭=リザヴェータ〉が照らし出していたのは、一人の〈殺人者〉と一人の〈淫売婦〉だけではないのである。

 ここで想起しておきたいことはレベジャートニコフとルージンの対話場面である。ロシア最新思想の信奉者レベジャートニコフが「共産団の団員は、他の団員の部屋へ、それが男であろうと女であろうと、いつでもはいる権利がある」(419)云々と言った時、ルージンは皮肉たっぷりに「じゃ、もしそのとき、その男なり女なりが、欠くべからざる要求の遂行中だったら、どうするんです、へ、へ!」(419)〔Ну а как тот или та заняты в ту минуту необходимыми потребностями, хе-хе!〕(ア・284)と言い返している。

 ロジオンはソーニャとスヴィドリガイロフの〈欠くべからざる要求の遂行〉直後にソーニャの部屋を訪れていた可能性もあることを、レベジャートニコフとルージンのこの対話場面がほのめかしていたと見ることもできる。レベジャートニコフはソーニャとロジオンの《嵐》(буря=性的結合)の直後にソーニャの部屋を訪れたが、ロジオンもまたソーニャとスヴィドリガイロフの〈欠くべからざる要求の遂行〉直後にソーニャの部屋を訪れていたということになる。

 ペテルブルクに来て三日目のスヴィドリガイロフにとってソーニャは自分の〈欲求〉(потребность=需要)を満たす格好の相手であり、貧困に喘ぐソーニャにとっては上等の客であったことになる。要するに二人の〈欠くべからざる要求の遂行〉(性的結合)は経済的原則に叶った需要・供給の関係にあり、この〈遂行〉(занятие)は淫売婦ソーニャにとっては〈営業・仕事〉(занятие)そのものに他ならなかった。

 ソーニャの部屋にいるのは〈ラザロの復活〉を朗読したソーニャと、それを黙って聞いているロジオンの二人に違いない。が、すでに何回も指摘したように、この部屋には〈幻=видение〉として顕われるキリストや、二千年の時空を超えてベタニア村の墓場で〈ラザロの復活〉に立ち会ったマルタ、マリア、多くのユダヤ人、そして前後未曾有の奇跡を起こしたイエス、蘇生したラザロなどが現出してくるのである。さらにソーニャの九号室の仕切りを取っ払ってしまえば、カペルナウモフ一家九人がおり、隣室の八号室に続く壁を取っ払えばそこにスヴィドリガイロフが潜んでいる。カメラをさらに引けば作品世界に姿を現さなかった女衒のレスリッヒ夫人もいるということになる。〈ソーニャの部屋〉を時間・空間の枠を取っ払って見れば、肉眼がとらえる侘びしげな佇まいが一挙に重層的厚みと多義的な象徴性に満ちたスペクタクルな時空間と化すことになる。

 わたしが『罪と罰』の映画監督を請け負えば、壁一枚隔てて聞き耳をたてているスヴィドリガイロフの顔を映し出すであろう。ドアに一ミリ程度の隙間があれば、〈蝋燭=リザヴェータ〉の明かりを通してスヴィドリガイロフの肖像が怪しく浮かび上がってくる。ソーニャが視る〈幻=видение=キリスト〉、二千年の時空を超えてソーニャの〈部屋〉に現出する〈ラザロの復活〉の場面なども映し出さずにはおかない。夜十一時過ぎのカペルナウモフ一家の姿も映し出すことになろう。こういった演出によって、現実的な狭い空間的枠組みの中で展開されたソーニャとロジオンの〈ドラマ〉は一挙に壮大なスペクタクル劇へと変容を遂げるのである。わたしは、〈ソーニャの部屋〉で激しく熱く展開された殺人者と淫売婦の〈ラザロの復活〉をめぐる〈対話ドラマ〉に見得る限りのものをみた上で、再び現実の二人きりの侘びしい〈部屋〉へと回帰したいのである。

 とりあえず、今のところ〈ラザロの復活〉朗読の場面にポルフィーリイ予審判事の登場はない。が、わたしの批評の視野の内には彼の出番もしっかりと用意されている。それは、わたしが今まで批評で描いてきたスペクタクル劇のすべてを俯瞰的な眼差しで眺めているポルフィーリイである。ポルフィーリイの背中を眺めているのが作者の眼差しだが、その作者の背中が見えなければ批評は成り立たない。この地点からしか批評は始まらないと言っても同じことである。

 

清水正著『ウラ読みドストエフスキー』を下記クリックで読むことができます。

清水正•批評の軌跡web版 - ウラ読みドストエフスキー

清水正・批評の軌跡──ドストエフスキー生誕二〇〇周年に寄せて」展示会が9月1日より日大芸術学部芸術資料館に於いて開催されています。

展示会場の模様を紹介していきます。

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9月1日(高倉・撮影)

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9月1日(高倉・撮影)

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9月1日(高倉・撮影)

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9月1日(高倉・撮影)

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清水正・批評の軌跡」展示会場にて(9月1日)伊藤景・撮影

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清水正・批評の軌跡」展示会場にて(9月1日)伊藤景・撮影

※学生の入構制限中は、学外者の方の御来場について制限がございます。

詳細のお問い合わせにつきましては、必ず下記のメールアドレスにまでご連絡ください。

yamashita.kiyomi@nihon-u.ac.jp ソコロワ山下聖美(主催代表)

 

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清水正・批評の軌跡」カタログ表紙・裏表紙

目次内容は

はじめに──二〇二一年〈清水正の宇宙〉の旅へ──

ソコロワ山下聖美日大芸術学部文芸学科主任教授)

停止した分裂者の肖像──清水正先生の批評について──

上田薫日大芸術学部文芸学科教授)

動物で読み解く『罪と罰』の深層江古田文学」101号から再録

清水正(批評家・元日大芸術学部文芸学科教授)

清水正・著作目録

※購読希望者は文芸学科研究室にお問い合わせください。

清水正・批評の軌跡」web版(伊藤景・作成)を観ることができます。清水正•批評の軌跡web版 - 著作を辿る

清水正ドストエフスキー論全集」(第1巻~第10巻まで)

清水正宮沢賢治全集」(第1巻、第2巻)

林芙美子に関する著作」10冊と監修した「林芙美子の芸術」「世界の中の林芙美子

下記をクリックしてください。

https://sites.google.com/view/shimizumasashi-hihyounokiseki/event?fbclid=IwAR2VgV-FLHqrgbmgSV8GH631V8pbxE9CI65MMi93Hzf-IQxCSG283KCPrLg#h.flc3slpstj7p

sites.google.com

六月一日から開催予定だった「清水正・批評の軌跡」展示会はコロナの影響で九月一日から9月24日までと変更となりました

 会期:2021年9月1日(水)~9月24日(金)

 会期中開館日:平日のみ。午前9時30分~午後4時30分(完全予約制)

 ※ご来場の際は事前に公式HP(https://sites.google.com/view/shimizumasashi-hihyounokiseki)にご確認ください。

九月一日から日大芸術学部芸術資料館に於いて清水正・批評の奇跡──ドストエフスキー生誕二〇〇周年記念に寄せて──』展示会が開催される。1969年から2021年まで五十余年にわたって書き継がれてきたドストエフスキー論、宮沢賢治論、舞踏論、マンガ論、映画論などの著作、掲載雑誌、紀要、Д文学通信などを展示する。著作は単著だけでも百冊を超える。

 

下記の動画は2016年の四月、三か月の入院から退院した直後の「文芸批評論」の最初の講義です。『罪と罰』と日大芸術学部創設者松原寛先生について熱く語っています。帯状疱疹後神経痛に襲われながらの授業ですが、久しぶりに見たら、意外に元気そうなので自分でも驚いている。今は一日の大半を床に伏して動画を見たり、本を読んだりの生活で、アッという間に時が過ぎていく。大学も依然として対面授業ができず、学生諸君と話す機会がまったくない。日芸の学生はぜひこの動画を見てほしい。日芸創設者松原寛先生の情熱も感じ取ってほしい。

https://www.youtube.com/watch?v=awckHubHDWs 

ドストエフスキー生誕200周年記念お勧め動画

まだ元気な頃の講義です。

ジョバンニの母親は死んでいる、イリューシャ少年はフョードルの子供、など大胆な新説を開陳しています。ぜひご覧ください。

銀河鉄道の夜&カラマーゾフの兄弟 清水正チャンネル - YouTube

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新刊書紹介

清水正編著『ドストエフスキー曼陀羅 松原寛&ドストエフスキー

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A五判並製341頁 定価2000円 2021-2-28発行 D文学研究会星雲社発売)

清水正ドストエフスキー論全集』第11巻(D文学研究会A5判上製・501頁。

購読希望者はメールshimizumasashi20@gmail.comで申し込むか、書店でお求めください。メールで申し込む場合は希望図書名・〒番号・住所・名前・電話番号を書いてください。送料と税は発行元が負担します。指定した振込銀行への振り込み連絡があり次第お送りします。

 

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定価3500円 2021-5-25発行 D文学研究会星雲社発売)

下記の動画は日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。 これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。是非ごらんください。

https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmzk