文学の交差点(連載6) 王命婦と女中ナスターシャ

「文学の交差点」と題して、井原西鶴ドストエフスキー紫式部の作品を縦横無尽に語り続けようと思っている。

最初、「源氏物語で読むドストエフスキー」または「ドストエフスキー文学の形而下学」と名付けようと思ったが、とりあえず「文学の交差点」で行く。

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc

 

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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。
https://www.youtube.com/watch?v=MlzGm9Ikmz

文学の交差点(連載6)

清水正

 

命婦と女中ナスターシャ
 金曜会で「王命婦って知っていますか」と訊くとだれも知らない。要するに三人共に七十歳まで『源氏物語』を一度も読んだことがない。何年か前に、一年生のゼミの女子学生で熱烈な『源氏物語』の愛読者がいた。ゼミは『罪と罰』を専ら扱っていたので、『源氏物語』に言及することはなかった。先日の大学院の授業で修了生の一人が遊びに来ていたので訊いたところ、『源氏物語』は高校時代からよく読んでいたとのこと。が、源氏愛読者の彼女も王命婦については思い出せないようであった。
 ドストエフスキーの愛読者にナスターシャを知っているかと訊けば、おそらく『白痴』の女主人公ナスターシャ・フィリポヴナを思うだろう。ラスコーリニコフが下宿していたアパートの女中のことなどそもそも記憶にさえ残っていないかも知れない。が、この女中ナスターシャ、わたしの眼から見るとなかなか面白い女性なのである。「家政婦は見た」というテレビドラマがあったが、さして注目されない脇役中の脇役が作品の中で重要な役割を密かに付与されている場合がある。
 女中ナスターシャは女将プラスコーヴィヤの性的領域の秘密を知っている。プラスコーヴィヤは結婚して一人娘ナタリヤを生んだが、この娘は〈不具〉(урод)で一風変わった女であった。どういうわけかラスコーリニコフはこの娘に一目惚れして結婚しようとする。が、娘は当時流行っていた腸チフスに罹患しあっけなく死んでしまう。プラスコーヴィヤの夫がいつ、どのような原因で亡くなったのかは報告されていないが、いずれにせよ未亡人となったプラスコーヴィヤは女手一つで不具の娘を育てていた。表面だけを見ればそういうことだが、未亡人プラスコーヴィヤが亭主亡き後、貞操を守っていたわけではない。注意深く読まないとわからないが、プラスコーヴィヤには文官七等官チェバーロフという情夫が存在していた。
 このチェバーロフについて作者は〈事件屋〉とさりげなく紹介している。プラスコーヴィヤは寝物語の中で、ラスコーリニコフに貸していた百五十ルーブリ取り立ての件でチェバーロフに相談していたことは明白である。ラスコーリニコフが警察署に呼び出されたのはチェバーロフの〈働き〉によってである。ナスターシャは情夫チェバーロフがプスコーヴィヤの部屋を定期的に訪ねては、情を交わしていたことを知っている。要するにプラスコーヴィヤは貞淑な未亡人などではなく、発展家とも言えるほどの女なのである。
 ところでプラスコーヴィヤはチェバーロフ一人と情を交わしていた女でない。ラズミーヒンがラスコーリニコフの居所を探し出したとき、ラスコーリニコフは意識不明に陥っていたが、ラスコーリニコフが息を吹き返すまでの間に、プラスコーヴィヤはラズミーヒンと男と女の関係になっている。これはどちらが先に手を出したのかという問題ではない。要するに好き者同士が出会えば、情を結ぶのに時間はかからないということである。

 ラズミーヒンは意識を覚醒したラスコーリニコフに栄養をつけさせるべく、ナスターシャに犢肉やビールを運んでくるように命じる。女将と情を結んだラズミーヒンならではの言いつけである。ナスターシャはなにもかも承知の上でラズミーヒンをさかりのついた〈牡犬〉(пёс)と見なしてからかったりもする。作者はナスターシャもまたラズミーヒンにまんざらでもなかったように描いている。
 二人の女を殺害して四日もの間意識不明に陥ったラスコーリニコフ、その間にラズミーヒンはちゃっかり下宿の未亡人といい仲になっている。『罪と罰』を深刻一途に読む者はこういった人物間の微妙で生々しい形而下の関係を見逃すことになる。女中ナスターシャの眼差しで『罪と罰』を読み返せば、余りにも多くの〈日常〉場面を見落としていたことに気づいて唖然とするだろう。
 さて、王命婦である。彼女は『罪と罰』のナスターシャと同様に決して主人公格の人物ではない。しかし彼女はナスターシャのように〈秘密〉を覗き見る人物であったことに間違いはない。