文学の交差点(連載7)  王命婦と女中ナスターシャ 『源氏物語』の人物関係

「文学の交差点」と題して、井原西鶴ドストエフスキー紫式部の作品を縦横無尽に語り続けようと思っている。

最初、「源氏物語で読むドストエフスキー」または「ドストエフスキー文学の形而下学」と名付けようと思ったが、とりあえず「文学の交差点」で行く。

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc

 

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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

文学の交差点(連載7)

清水正

 王命婦と女中ナスターシャ

 ラズミーヒンは意識を覚醒したラスコーリニコフに栄養をつけさせるべく、ナスターシャに犢肉やビールを運んでくるように命じる。女将と情を結んだラズミーヒンならではの言いつけである。ナスターシャはなにもかも承知の上でラズミーヒンをさかりのついた〈牡犬〉(пёс)と見なしてからかったりもする。作者はナスターシャもまたラズミーヒンにまんざらでもなかったように描いている。

 二人の女を殺害して四日もの間意識不明に陥ったラスコーリニコフ、その間にラズミーヒンはちゃっかり下宿の未亡人といい仲になっている。『罪と罰』を深刻一途に読む者はこういった人物間の微妙で生々しい形而下の関係を見逃すことになる。女中ナスターシャの眼差しで『罪と罰』を読み返せば、余りにも多くの〈日常〉場面を見落としていたことに気づいて唖然とするだろう。

 さて、王命婦である。彼女は『罪と罰』のナスターシャと同様に決して主人公格の人物ではない。しかし彼女はナスターシャのように〈秘密〉を覗き見る人物であったことに間違いはない。

 

源氏物語』の人物関係  

 まずは簡単に『源氏物語』の人物関係を確認しておこう。主人公光源氏は桐壷帝と桐壷更衣の間に生まれた第二皇子である。第一皇子は桐壷帝が皇太子の時に一緒になった弘徽殿女御との間に生まれた朱雀院である。光源氏の母桐壷更衣は桐壷帝の特別の寵愛を受け、弘徽殿をはじめ他の女房たちから嫉妬され数々の嫌がらせにあい、心身ともに弱り果て、若くして亡くなる。光源氏三歳の時であった。

 桐壷帝は幼くして母を失った光源氏を自分のそばからはなさず育てることにした。やがて桐壷帝は桐壷更衣によく似た藤壷を見初め妻とする。子供であった光源氏は藤壷のところへ行くことが許されていた。光源氏は女房たちから藤壷が亡き母桐壷更衣に瓜二つであることを聞いていた。光源氏は継母藤壷を実の母親のように慕って育った。が、十二歳で元服となった光源氏は四歳年上の葵の上と結婚することになり、もはや藤壷のところへ出入りすることはできなくなった。葵の上は家柄もよくプライドの高いお嬢様育ちで、四歳年下の光源氏とそりが合わない。光源氏は藤壷と会うこともかなわず、思いは日増しに募るばかり。

    さてどうするか。 光源氏と王命婦 光源氏は藤壷の女房の一人王命婦に接近し、藤壷に取り次いでもらうように懇願する。もはや子供が母を慕うような次元での思いではない。藤壷は父桐壷帝の后であり、光源氏の継母である。藤壷と光源氏が女と男の関係になれば、不義密通となり発覚すれば大事となる。とうぜん王命婦光源氏の懇願を断固拒否する。もし王命婦が最後まで光源氏の懇願を拒み続けていればどうなっていただろうか。おそらくそれでは『源氏物語』が成立し得なかったことになろう。それほど重要な役割を付与されていたのが王命婦である。

 『罪と罰』を長年読んでいると女中ナスターシャのような端役が面白くなる。『源氏物語』も王命婦に焦点を合わせると思いもかけない発見があるのではないかと思っている。わたしは別に『源氏物語』の研究家ではないので、あくまでも一人の読者として自由にその世界に参入したいと思っている。