「池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」
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これを観ると清水正のドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。
ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube
文学の交差点(連載39)
○描かれないこと──実生活の細部
『罪と罰』を何十年にわたって読み続けていても、分からないことが多い。余りにも形而上学的次元で読んでしまうので、ロジオンの犯罪哲学や非凡人思想、思弁と信仰の問題などについて考えてしまう。ところが、ロジオンやソーニャの実生活の細部についてはほとんどなにも知らないことに気づいて唖然とする。
ドストエフスキーは『罪と罰』においてロジオンの十三日間に関してかなり詳しく現在進行形でカメラを作動させている。読者はロジオンの住んでいる場所、行動および心理状態に関して逐一報告される。どのようにして老婆アリョーナとリザヴェータを斧で殺害したか。盗んだ金品をどこに隠したか。主要人物であるアリョーナ婆さん、マルメラードフ、ラズミーヒン、ソーニャ、スヴィドリガイロフ、ポルフィーリイ予審判事、ザメートフ、女中ナターシャ、イリヤ・ペトローヴィチ警察副所長、ニコジム・フォミッチ警察所長、ルージン、レベジャートニコフなどと、どこでどのような会話を交わしたか。読者はこれらを読んでたいていのことは描かれていると思いこんでしまう。
わたしが最もショックを感じたのは、娼婦ソーニャはいったいどのような下着を身につけていたのだろうか、と考えた時であった。ドストエフスキーはロジオンやソーニャの身につけている服装に関してかなり丁寧に記しているといってもいい。が、下着に関してはいっさい触れていない。ソーニャの淫売稼業の実態に関してと同様に、当時の女性が身につけていた(あるいは、身につけていなかった)下着に関しては想像するしかない。
ロジオンの食事に関しては多少記されているが、洗面、トイレに関しては全く記されていない。ロジオンは起きて顔を洗ったり歯を磨いたりしたのか。トイレはどうだったのか。描かれた限りで読めば、ロジオンは一回も顔を洗っていないし、トイレにも行っていない。十三日間、ロジオンは大小便の一回もしていないことになる。ふつうに考えればこんなことはあり得ないので、あえて作者はそういったことを記さなかったということになろう。が、人間を総体的に理解しようとすれば、一見些末に思われるかもしれない洗面、トイレを軽視することはできないだろう。
わたしはドストエフスキーを憑かれるように読んでいた二十歳前後の頃、食事はほとんどできなかったし、神経性の慢性下痢症状に悩まされていた。朝昼晩しっかりご飯を食べ、七、八時間ぐっすり眠り、心身ともに健康状態でドストエフスキーを読むなどということはまったく考えられなかった。だからロジオンが食事に関して特別の関心を示していないことはよく理解できる。が、便秘なのか下痢なのか、作者が触れていないので分かりようがない。
そもそもロジオンはプラスコーヴィヤの屋根裏部屋に下宿していたわけだが、このアパートの何処に、どのようなトイレがあったのかが分からない。わたしは四十年前、初めて『罪と罰』の舞台となったペテルブルクを訪ねたが、駅近くの公衆トイレに入って驚いた。大便するところに扉はなく、尻をふく紙など置いてなかった。空港のトイレに紙は置いてあったが、それは藁半紙のように堅くてとうていデリケートな尻の持ち主に使えるものではなかった。
いずれにしても、読者は淫売婦ソーニャが身につけていた下着も分からない、買春の値段も分からない、避妊や病気対策も分からない、妊娠した場合の処置(堕胎)も分からない。ついでに言えば、しょっちゅう孕んでいたというリザヴェータに堕胎や流産の経験があったのかなかったのか、いったい何人の子供がいて、その子供たちはどこでどのように育てられていたのか、まったく分からない。作者はロジオンの妹ドゥーニャがスヴィドリガイロフ家の家庭教師として雇われていたことを記しているが、肝心の子供たちに関してはいっさい報告しない。作者が、子供たちの肖像が読者に分かるように描いているのはカチェリーナの連れ子三人だけである。カペルナウモフ夫妻の子供も人数が記されているだけで、その具体的な肖像は描かれていない。