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モーパッサン『ベラミ』を読む(連載1)

──『罪と罰』と関連づけながら──

清水 正

 モーパッサンの『ベラミ』を読み始めて、わたしはすぐに『罪と罰』を思い浮かべた。「会計係の女から、百スー銀貨のつりを受けとると、ジョルジュ・デュロワはレストランを出た。」これが『ベラミ』の出だしの文である。『罪と罰』の出だしでは主人公の名前は明かされず、単に〈一人の青年〉と記されていた。舞台は十九世紀ロシアのペテルブルクだが、時は〈七月の初め〉と記されただけで西暦何年何月何日とは記されていない。わたしは『罪と罰』が「ロシア報知」に発表された一八六六年かまたはその前年の一八六五年の七月が作品舞台の時期として想定されていたと考えているが、作者は敢えて正確な日付を記さずに物語を展開していく。

 『罪と罰』では多くの人物たちが〈金勘定〉をしている。マルメラードフの告白によれば、実の娘ソーニャが最初の売春で稼いできたのは〈銀貨三十ルーブリ〉、イワン閣下の特別なはからいで役所に再就職できたマルメラードフに支払われた給料は〈二十三ルーブリ四十コペイカ〉である。因みに銀貨一ルーブリは紙幣一ルーブリの三.五倍の価値があったそうだから、紙幣価値に換算すればソーニャは初めての売春で百万以上の金を稼いだことになる。父親マルメラードフの一ヶ月の給料の四倍強の額ということになる。

    日本円に換算する場合は、一ルーブリを一万円と考えるといい。ロジオン・ラスコーリニコフの母親プリヘーリヤは夫の死後、女手一つで残された二人の子供(ロジオンとドゥーニャ)を育てるが、その経済的な支えは〈百二十ルーブリ〉の年金と年間の内職代二十ルーブリであった。ドゥーニャが住み込みの家庭教師で一年間に稼ぐのは〈二百ルーブリ〉、ドゥーニャがスヴィドリガイロフ家から前借りしたのは百ルーブリである。

 ロジオンが下宿の女将プラスコーヴィヤから借りていた金は百十五ルーブリ(この金額に関しては米川正夫訳で百五十ルーブリとなっていたので長いことそう思っていたが、原典にあたると百十五ルーブリであった)、ラズミーヒンはこの借用証書をチェバーロフ(プラスコーヴィヤの情人で事件屋)から十ルーブリで取り返している。マルメラードフがソーニャからもらった酒代は三十コペイカ、ロジオンが商家の女将から恵んでもらったのは二十コペイカ、ロジオンがマルメラードフの未亡人に与えた金は二十ルーブリ、スヴィドリガイロフがソーニャに与えた金は三千ルーブリ……。きりがないのでこの辺でやめておくが、高利貸しのアリョーナ婆さんやロジオンの母親プリヘーリヤや弁護士ルージンなどは年中頭の中で金勘定をしており、作者は面倒がらずに具体的にそれらの金額を書き記している。

 功利主義的な経済原則が幅をきかせていた時代、老いも若きもすべての人間が高利貸しの真似事をしていた時代とまで言われていた十九世紀ロシア中葉の人々にとって〈金銭〉は何よりも重要なものとして受け止められていた。金のない人間はゴミ同然の扱いで、たちまち社会から掃き出されてしまう。金がなければ出世街道のレールに乗ることはできない。未亡人プリヘーリヤが息子ロジオンをペテルブルク大学に入学させるためにどれほどの犠牲を自分と娘のドゥーニャに強いることになったか、少し残酷な想像力を働かせれば、彼女たちの自己犠牲は悲惨そのものである。

 ロジオンはようやく念願のペテルブルク大学法学部に入学したものの、学費未納で除籍処分を甘受しなければならなかった。唯一の親友ラズミーヒンは復学を目指して頑張っているが、ロジオンは二人の女を殺したことで復学どころか社会そのものから絶縁されてしまった。ロジオンがアリョーナ婆さんを殺して奪った金品は、彼の未来の計画のために使われることはなかった。

 『ベラミ』の主人公ジョルジュ・デュロワは〈百スー銀貨のつり〉を受け取っているが、作者はその〈つり〉がいくらだったのか記していない。同時代の読者は、安レストランでの食事料金などいちいち提示されなくても容易に想像できるだろうが、百年後の異国の読者にはそもそも〈百スー銀貨〉の価値がわからない。現代の日本円で千円なのか一万円なのか、頭の中で具体的に換算しないと、この主人公の生活をリアルにとらえることができない。ネットで検索してバルザックユゴーの作品に関して次のようなことが分かった。

 

1フラン=1000円と見た場合

1スー=50円(20スーで1フラン)

1サンチーム=10円(100サンチームで1フラン)

 

1エキュ=3000円(3フラン)

1ルイ=20000円(20フラン)

 

銀貨

1/4フラン(25サンチーム、5スー) 1/2フラン(50サンチーム、10スー) 1フラン 2フラン 5フラン(1878年発行停止)

金貨

5フラン(1869年に発行停止)20フラン 40フラン

 

2万フラン=2千万

ジャン・バルジャンの財産 200万フラン=20億円

 

 これだと〈百スー銀貨〉が存在したのかどうか分からない。が、〈20スー〉が〈1フラン〉ということであるから、〈5フラン金貨〉〈5フラン銀貨〉が価値的には〈百スー銀貨〉と等しいことになる。ジョルジュ・デュロワは〈百スー銀貨=5フラン銀貨または金貨〉を払ってお釣りをもらっているわけだが、この額が記されていないので、彼が安レストランで食事代にいくら費やしたのかは分からない。こんなことはどうでもいいように感じもするが、しかし作者モーパッサンが『ベラミ』の書き出しに〈百スー銀貨〉と記しているのであるから、この金額がジョルジュ・デュロワにとっても重要な意味を持っていたことになろう。

 ※はたして〈百スー銀貨〉は存在したのか。疑問をはらすべく、岩崎純一氏に『ベラミ』の出だしの一行を原典に当たってもらうことにした。さっそくメールが届いた。原文は「Quand la caissiere lui eut rendu la monnaie de sa piece de cent sous, Georges Duroy sortit du restaurant.」、岩崎氏の直訳は「勘定係が彼に、彼が出した100スー分の金額にあたる硬貨一枚に対する釣銭を返すと、ジョルジュ・デュロワはレストランを去った。」である。この岩崎氏の直訳で〈百スー銀貨〉の謎はたちまち解けた。ネットでの調査も参考にすれば、要するに〈百スー銀貨〉は存在しない。従って田辺貞之助訳〈百スー銀貨〉、中村光夫訳〈百スウ銀貨〉は正しくないということになる。原文は〈100スー分の金額にあたる硬貨一枚〉であるから、木村庄三郎訳〈五フラン金貨〉も〈金貨〉と特定しているので正しくない。杉捷夫訳〈百スーの銀貨〉は〈百スー(分)の銀貨〉と読めないこともないが、しかし彼も〈銀貨〉と特定しているので正しくはない。当時、五フランは〈金貨〉と〈銀貨〉が流通しており、作者がどちらかとも特定していないのであるから、やはりここは〈百スー分の五フラン硬貨〉と訳さなければならないだろう。

 ジョルジュが勘定係に出した一枚の硬貨が〈五フラン金貨〉であったのか、それとも〈五フラン銀貨〉であったのかは、〈読み〉の問題、すなわち批評の側の問題であって、訳は原文に忠実に〈硬貨〉でなければならないだろう。もっとも、当時のフランス人が〈五フラン金貨〉や〈五フラン銀貨〉を通常の生活において〈百スー銀貨〉とも称していたとすれば、〈100スー分の金額にあたる硬貨一枚〉を〈百スー銀貨〉〈五フラン金貨〉と訳しても絶対的に正しくないとは言い切れないことになる。ここに翻訳の厄介さも面白さもあるということで、とりあえず先に進むことにしよう。

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