文学の交差点(連載34)○〈純潔な娘〉ソーニャの〈あんなこと〉

 

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc

 

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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

文学の交差点(連載34)

清水正

○〈純潔な娘〉ソーニャの〈あんなこと〉

 マルメラードフは語る。

 

 で、私が見てますと、五時をまわったころでしたか、ソーニャが立ちあがって、プラトーク(ネッカチーフ)をかぶって、マントを羽織って、部屋から出ていきましたっけ。それで八時すぎになってから、また帰ってきたんです。帰ってくるなり、まっすぐにカチェリーナのところへ行って、その前のテーブルに黙って三十ルーブリの銀貨を並べました。そのあいだ一言も口をきこうとしないどころか、顔をあげもせんのです。ただ、うちで使っているドラデダム織(薄地の毛織物)の大きな緑色のショールを取って(うちにはみなでいっしょに使っているそういうショールがあるんですよ、ドラデダム織のが)、それで頭と顔をすっぽり包むと、顔を壁のほうに向けて寝台に横になってしまった。ただ肩と体がのべつびくん、びくんとふるえていましたがね……(上・42~43)  И вижу я, эдак часу в шестом, Сонечка встала, надела платочек, надела бурнусик и с квартиры отправилась, а в девятом часу и назад обратно пришла. Пришла, и прямо к Катерине Ивановне, и на стол перед ней тридцать целковых молча выложила, Ни словечка при этом не вымолвила, хоть бы взглянула, а взяла только наш большой драдедамовый зеленый платок(общий такой у нас платок есть, драдедамовый), накрыла им совсем голову и лицо и легла на кровать, лицом к стенке, только плечики да тело всё вздрагивают…(ア・17)

 

    カチェリーナが一方的に強制した、ソーニャの言葉で言えば〈あんなこと〉の具体はマルメラードフの口から直接に説明されることはない。が、どんな鈍感な読者でも〈あんなこと=身売り〉であることは分かるだろう。マルメラードフは「いったい貧乏ではあるが、純潔な娘がですよ、まともな仕事でどれくらいかせげるもんでしょう?……純潔一方で、腕におぼえのない小娘じゃ、日に十五カペイカもかせげやしませんや。それも、働きづめに働いてですよ!」(上・41)〔много ли может, по-вашему, бедная, но честная девица честным трудом заработать?… Пятнацать копеек в день, сударь, не заработает, есль честна и не имеет особых талантох, да и то рук не покладая работавши!〕(ア・17)と言っている。

 マルメラードフにとって娘ソーニャは〈純潔な娘〉(честная девица)、すなわち未だ男を知らない〈処女〉(девица)なのである。この〈純潔な娘〉ソーニャが〈まともな仕事〉で働きづめに働いても、日に十五カペイカにもならないとマルメラードフは強調していた。〈純潔な娘〉の〈あんなこと〉とはもちろん〈まともな仕事〉ではないが、〈第六時〉から〈第九時〉までの三時間(実質的には三時間以内)で銀貨三十ルーブリである。再就職を決めたマルメラードフの一ヶ月の給料が二十三ルーブリ四十カペイカである。いかにソーニャの〈処女〉が高く評価されていたかを忘れてはならない。  マルメラードフは告白の中でソーニャの〈踏み越え〉に関しては何ら具体的に語ることをしなかった。ふつうに読めば、ソーニャの最初の男がイワン閣下だとはなかなか特定できないのであるから、読者はソーニャの〈踏み越え〉前と〈踏み越え〉後のことしか分からない。作者はロジオンの場合と違って、ソーニャの内的世界にいっさい踏み込もうとしない。ソーニャは神を信じている娘として設定されているが、「汝、姦淫することなかれ」の神の命令に反して、カチェリーナの身売り要請に従わざるをえなかった。作者は、ソーニャの内心の苦しみに直に照明を当てることを完璧に回避している。 

     描かれざるソーニャの〈踏み越え〉に関して、読者は想像力の限りを尽くして思い描くほかはない。酔いどれてソファに横たわるマルメラードフの脳裏で実の娘ソーニャの〈踏み越え〉はどのようにとらえられていたのか。〈第六時〉から〈第九時〉までの三時間の〈踏み越え〉のドラマはマルメラードフにとっては地獄の苦しみであったろう。この苦しみを継母カチェリーナも共に味わっていたことだろう。彼らはソーニャの相手が誰であるかを知っているのだから。

 さて、次に問題になるのはソーニャの〈踏み越え〉の場所である。わたしは当初、その場所をイワン閣下の邸と思いこんでいたが、妻子ある高位高官のイワン閣下がソーニャと自分の邸で関係を結んだと思えない。やはり前もって特定した場所にソーニャを呼んだのであろう。アパートからその場所までの道のりをソーニャがどのような思いで歩んだか、その場所でソーニャはイワン閣下とどのような会話を交わし、どのようにして関係を結んだのか、対価の銀貨三十ルーブリはどのように手渡されたのか、どのような気持ちでその場所を後にしたのか。

 ソーニャの〈踏み越え〉の場面は読者の想像力をいたく刺激する。マルメラードフやカチェリーナの気持ちに寄り添えば、この場面は耐え難い地獄の場面となる。が、姦淫を絶対に許容しないキリスト者からすれば、ソーニャの〈踏み越え〉

(преступление)は許し難い〈罪〉(грех)の行為と見なされるかもしれない。マルメラードフの悪人正機説的な神学に馴染んでいる読者はソーニャの〈踏み越え〉に果てしない〈同情〉(сострадание)を覚えるだろうが、〈試み〉と〈裁き〉の神に帰依するキリスト者はこういった〈同情〉を厳しく拒むかもしれない。

 いずれにせよ、読者は〈踏み越え〉たソーニャの内心の苦悩を直に知ることはできない。神を信じているソーニャがイワン閣下に身売りしたことの〈罪〉(грех)をどのように受け止めていたのか。このことをソーニャは自分の口から語ることはなかったし、作者もまたソーニャの内心を代弁することはなかった。  ソーニャは自分のことを〈たいそうな罪の女〉(великая грешница)と言っているから、イワン閣下との〈踏み越え〉が〈罪〉(грех)であることは充分に認めている。ソーニャは不断に罪の意識に苛まれながら神へと帰依しているキリスト者なのである。