文学の交差点(連載32)○マルメラードフの告白から見えてくる秘密の数々   ――カチェリーナの〈踏み越え〉――

 

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc

 

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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

文学の交差点(連載32)

清水正

 ○マルメラードフの告白から見えてくる秘密の数々

  ――カチェリーナの〈踏み越え〉――

〈最初の男=イワン閣下〉と解釈することによってそれまで明確に見えていなかった人物間の関係や役割が鮮明になる。マルメラードフ一家のアパートの家主アマリヤは単に家主であったばかりか、女衒ダーリヤ・フランツォヴナの手先となってペテルブルク中の淫蕩な高位高官たちの欲望を満たすために貢献していたことが分かる。

 ロシア最新思想の崇拝者レベジャートニコフは、〈同情〉(сострадание)などというものは本国イギリスにおいては学問上ですら禁じられていると公言してはばからなかった。ソーニャの継母カチェリーナは貴族女学校を優秀な成績で卒業した誇り高き潔癖な〈貴婦人〉(дама)である。いくら貧困に喘いでいるとはいえ、ソーニャに身売りさせるなどという屈辱を受け入れることはできない。が、この誇り高き〈貴婦人〉もアマリアの三回目の申し出を拒みきることはできなかった。

 ドストエフスキーの文学にあって〈三〉は神・神の子・聖霊の聖なる三位一体を意味するのではなく、イスカリオテのユダがイエスを裏切って手にした金貨〈三〉枚を意味する。つまり〈三〉という数字は〈悪魔〉〈裏切り・駆け引き・取引き〉を意味している。潔癖で誇り高きカチェリーナもまた遂に〈三=悪魔〉の声に屈してしまったのである。 〈貴婦人〉カチェリーナがソーニャに浴びせた「この穀つぶし、ただで食って飲んで、ぬくぬくしてやがる」(上・41)〔《Живешь, дескать, ты, дармоедка, у нас, ешь и пьешь, и теплом пользуешься》〕(ア・17)は余りにも下卑た言葉である。この屈辱的な言葉にソーニャは次のように答える「じゃ、カチェリーナ・イワーノヴナ、ほんとにわたし、あんなことをしなくちゃいけないの?」(上・42)〔Что ж, Катерина Ивановна, неужели же мне на такое дело пойти?〕(ア・17)と。 

 マルメラードフの口から語られるカチェリーナとソーニャのやりとりは凄まじくも悲しくもせつない。〈貴婦人〉(дама)と強調されたカチェリーナの口から吐き出される薄汚い言葉――この言葉だけでも貧困と病気に追いつめられたカチェリーナの疲労困憊、衰弱しきった実存が厭なほど浮き彫りになる。この言葉には誇りのかけらもない。  カチェリーナは悪魔の誘惑に乗らざるを得なかった。しかしここには一筋縄ではいかないカチェリーナの〈踏み越え〉のドラマも潜んでいる。彼女の〈踏み越え〉はソーニャの実の父親マルメラードフのプロポーズを受けたことである。彼女はマルメラードフを愛してもいなかったし尊敬もしていなかった。夫に先立たれ、幼い子供三人を抱えたカチェリーナはマルメラードフと結婚しなければ文字通り一家心中しなければならなかった。カチェリーナにとってマルメラードフとの再婚は自分では微塵も望まなかった〈踏み越え〉であったのである。カチェリーナの内心の声を拡大すれば『私だってあんたの父親のプロポーズを仕方なく受けたんだ。あんたが〈踏み越え〉たってバチなんか当たらないよ』ということになる。