文学の交差点(連載35)○描かれなかったソーニャの淫売稼業

 

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc

 

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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

文学の交差点(連載35)

清水正

○描かれなかったソーニャの淫売稼業

 ソーニャの場合、描かれなかったのは最初の〈踏み越え〉ばかりではない。ソーニャは黄色い鑑札を受けて売春婦とならなければならなかったが、イワン閣下以外のどのような男たちと関係を結んだのか、どういうわけか作者はいっさい報告しない。読者は淫売婦ソーニャの稼業の実態――一日に何人の客をとったのか、場所、時間、値段、どのような避妊対策を取っていたのかなど――を何一つ知らされないままに、ソーニャという聖者(狂信者=聖痴女=юродивая)を分かったようなつもりで読んできた。

 ところで、『罪と罰』を愛読する小説家で描かれざるソーニャの〈踏み越え〉に興味を抱く者がいなかったことはどういうことだろうか。『罪と罰』は熱狂的に読まれてきたが、しかし大半の読者はテキストの表層をなぞる次元にとどまって、テキストに仕掛けられた謎を発見することも読み解くこともできなかった。ソーニャはその過酷な現実(淫売稼業)の実態に眼を向けられないまま、一人の信仰厚き〈聖女〉として受け止められてきた。わたしはソーニャを生身のソーニャとしてもきちんと見ていかなければいけないと思っている。

    もしドストエフスキーがソーニャの淫売稼業の実態を具体的に描いていたら、ソーニャの印象は全く違ったものになったかもしれない。描かれた限りで見た聖女ソーニャを、男たちはどのように抱いたのか。もちろんソーニャを買った男の数だけの抱きかたがあっただろうが、それを描くことは容易ではなかろう。

 丸谷才一瀬戸内寂聴が描かれざる「輝く日の宮」を創作したように、ソーニャの〈踏み越え〉や淫売稼業の実態を創作する衝動に駆られる小説家はいないのだろうか。わたしはそれを読みたいと思うと同時に、絶対に読みたくないという気持ちもある。ドストエフスキーが書くならまだしも、『罪と罰』を中途半端にしか読んでいない者に関わってもらいたくないという思いがある。