文学の交差点(連載31)○ソーニャの最初の男(キリスト)

「文学の交差点」と題して、井原西鶴ドストエフスキー紫式部の作品を縦横無尽に語り続けようと思っている。

最初、「源氏物語で読むドストエフスキー」または「ドストエフスキー文学の形而下学」と名付けようと思ったが、とりあえず「文学の交差点」で行く。

池田大作の『人間革命』を語る──ドストエフスキー文学との関連において──」

動画「清水正チャンネル」で観ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=bKlpsJTBPhc

 

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https://youtu.be/RXJl-fpeoUQ

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これを観ると清水正ドストエフスキー論の神髄の一端がうかがえます。日芸文芸学科の専門科目「文芸批評論」の平成二十七年度の授業より録画したものです。是非ごらんください。

ドストエフスキー『罪と罰』における死と復活のドラマ(2015/11/17)【清水正チャンネル】 - YouTube

文学の交差点(連載31)

清水正

○ソーニャの最初の男(キリスト)

 作品は読者の数だけの感想があり、一人の読者の内にも様々な感想がある。どれが正しい読みであるとは言えない。様々な〈感想〉〈解釈〉が 存在するだけである。これから少し厄介な問題に踏み込んでいこう。わたしは今までソーニャが最初に身売りした男は〈イワン閣下〉であると して批評を進めてきた。が、これも一つの〈解釈〉であって絶対的な事実ではない。 わたしはソーニャの最初の男に関してはもう一つ別の〈解釈〉も提示している。それは〈キリスト〉である。イワン閣下はマルメラードフの口から〈生神様〉(божий человек)と言われていたが、この言葉は字義から言えば淫蕩漢のイワン閣下より遙かに神の子イエス・キリストの方が近いということになる。

 ソーニャはロジオンが斧で殺したリザヴェータと〈秘密の会合〉を持っていたが、この会合と彼女たちが所属していたと思われる分離派の一つ〈観照派〉とを結びつけると、ソーニャの最初の男は観照派の男性信者の可能性も出てくる。観照派の秘密の会合においてキリストの霊に憑かれた男性信者をキリストと見れば、まさにソーニャの最初の男は〈キリスト〉ということになる。

 ソーニャの最初の男はイワン閣下なのか、それともキリストなのか。わたしはどちらが正しくてどちらかが間違っているかなどとは問わない。わたしは作品批評において様々な〈解釈〉を受け入れる。最初の男をイワン閣下と見なすことで一義化し固定化しがちなテキスト解釈を限りなく解放し、そのことで新たに開かれた領野に大胆に踏み込んでいく、それがわたしの批評の方法である。