清水正の『浮雲』放浪記(連載126)

清水正への原稿・講演依頼は  qqh576zd@salsa.ocn.ne.jp 宛にお申込みください。ドストエフスキー宮沢賢治宮崎駿今村昌平林芙美子つげ義春日野日出志などについての講演を引き受けます。

清水正の講義がユーチューブで見れます。是非ご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=LnXi3pv3oh4
批評家清水正の『ドストエフスキー論全集』完遂に向けて

清水正VS中村文昭〈ネジ式螺旋〉対談 ドストエフスキーin21世紀
詩人と批評家の四時間に及ぶ世紀の対談


https://youtu.be/KqOcdfu3ldI ドストエフスキーの『罪と罰
http://www.youtube.com/watch?v=1GaA-9vEkPg&feature=plcp 『ドラえもん』とつげ義春の『チーコ』
https://youtu.be/s1FZuQ_1-v4 畑中純の魅力
https://www.youtube.com/watch?v=GdMbou5qjf4罪と罰』とペテルブルク(1)

https://www.youtube.com/watch?v=29HLtkMxsuU 『罪と罰』とペテルブルク(2)
清水正『世界文学の中のドラえもん』『日野日出志を読む』清水正への原稿・講演依頼は  http://www.ebookjapan.jp/ebj/title/190266.html


ここをクリックしてください。清水正研究室http://shimi-masa.com/

デヴィ夫人のブログで取り上げられています。ぜひご覧ください。
http://ameblo.jp/dewisukarno/entry-12055568875.html

清水正研究室」のブログで林芙美子の作品批評に関しては[林芙美子の文学(連載170)林芙美子の『浮雲』について(168)]までを発表してあるが、その後に執筆したものを「清水正の『浮雲』放浪記」として本ブログで連載することにした。〈放浪記〉としたことでかなり自由に書けることがいいと思っている。



人気ブログランキングへ←「人気ブログランキング」に参加しています。応援のクリックをお願いします。







人気ブログランキングへ←「人気ブログランキング」に参加しています。応援のクリックをお願いします。




清水正の著作・購読希望者は日藝江古田購買部マルゼンへお問い合わせください。
連絡先電話番号は03-5966-3850です。
FAX 03-5966-3855
E-mail mcs-nichigei@maruzen.co.jp




人気ブログランキングへ←「人気ブログランキング」に参加しています。応援のクリックをお願いします。



 清水正の『浮雲』放浪記(連載126)
平成◎年3月3日
世の中にはダンディをかこってはいるが、いざとなると優柔不断で、みっともない卑怯な真似をする男がいる。東京高等農林学校出身の富岡は専門の山林に関する研究員であるが、同時にロシア文学にも通じている知識人である。二十歳を二年過ぎたばかりのゆき子が、このインテリ風のダンディな男に惹かれたことは納得できる。が、作品中で描かれた富岡に、人間としての魅力を見いだすことはほとんど不可能である。作中で富岡がゆき子相手に文学談義をすることはまったくない。『悪霊』を読んでいた富岡が、ニコライ・スタヴローギンに関して感想のひとつでももらしていれば、彼の内部世界への参入も可能となろうが、林芙美子は見事にそういった感想を記すことはなかった。林芙美子は、作中で形而上学的な議論を展開することはなかった。富岡がどのような思想を抱いていたのか、それを彼が発する言葉で知ることはできない。
 林芙美子は革命から神へと向かった椎名麟三でも、際限のない観念の宇宙を遊泳しつづけた埴谷雄高でもなく、ましてやドストエフスキーを一時は先生とまで仰いで、まさに「神と悪魔の戦場」の内的カオスにのたうち回った萩原朔太郎でもない。林芙美子の描く富岡兼吾はドストエフスキーを愛読しても、ドストエフスキー世界のカオスに没入するようなタイプの男ではない。ドストエフスキーの人物たちと富岡兼吾が決定的に異なっているのは、前者が神の存在をめぐって苦しんでいるのに、後者にはその神が初めから不在であったということである。富岡は神の問題で苦しみようがないのである。ロジオンの内部には〈神か革命か〉の二者択一がのっぴきならない問題として存在していたが、富岡にあっては〈邦子かゆき子か〉の選択すらなにか薄っぺらな感じを受ける。ダラットにおける富岡にとって、ニウやゆき子は内地にいる妻の邦子に代わって性欲を満たすためだけの存在であったとしか思えない。妊娠までしたニウに対する富岡の対応と、ゆき子と結婚の口約束をしてさっさと日本に引き揚げた富岡のやり口をみれば、富岡がいかに行き当たりばったりの卑怯な男であるかは明白である。もしゆき子が富岡を執拗に追い続けるようなタイプの女でなかったならば、富岡はおそらく都合の悪いことにはだんまりを決め込んで、何の反省もなく、妻の邦子と再び平凡な生活を続けていったことだろう。
 富岡は南方の〈果実の思い出〉を執筆することはできても、自分の生の深淵をえぐり出すような〈ニウとの思い出〉や〈ゆき子との思い出〉を執筆することはできない。否、富岡はそれらを〈果実の思い出〉に託して描くことしかできないのである。ニウもゆき子も、肉欲が欲した甘い〈果実〉であり、その〈果実〉は交換可能なものであったからこそ、富岡はそれらから決別して、性懲りもなく何回でも新しい〈果実〉を求めるのである。この富岡の性行にストップをかけようとしたのがゆき子であるが、そのゆき子の試み自体も醜女の深情けに似て、別にそこに何ら崇高な意志が働いていたわけではない。ゆき子は富岡のダンディな思わせぶりな格好に心牽かれたのであって、一度関係を結んでからは、その肉体の虜になっただけのことである。男と女の場合は、肉欲の嗜好の合致が精神的な結びつきを越えることがある。富岡とゆき子の腐れ縁の持続は、おそらくそこにある。