清水正の『浮雲』放浪記(連載111)

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清水正の著作   D文学研究会発行本   グッドプロフェッサー
清水正研究室」のブログで林芙美子の作品批評に関しては[林芙美子の文学(連載170)林芙美子の『浮雲』について(168)]までを発表してあるが、その後に執筆したものを「清水正の『浮雲』放浪記」として本ブログで連載することにした。〈放浪記〉としたことでかなり自由に書けることがいいと思っている。



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 清水正の『浮雲』放浪記(連載111)

平成□年7月20日

小説的必然性から見ても、ジョオと関係を結んだ時点でゆき子は富岡と別れていたはずである。ゆき子は伊庭から富岡、そしてジョオへと男を遍歴する女であって、富岡一人に終着するというのは余り説得力がない。もちろん作者はそのことを十分に承知した上で、富岡とゆき子の〈腐れ縁〉を執拗に描き続けている。従って、批評は作者の手の内を承知した上で展開することになる。
 ゆき子は「あなたというひとは、人を殺す人なンです。あなたのために、おせいさんも私も、そして、加野さんも、それから、あなたの奥さんも、みんな不幸になっています」と書いているが、この文章からすぐに想起するのは、やはり『悪霊』のニコライ・スタヴローギンである。ニコライは十一歳の少女マトリョーシカを凌辱して自殺に追いやったぱかりではない。ニコライの正妻マリヤ・レビャートキナは脱獄囚フェージカによって殺され、ニコライの子供を身ごもってスクヴァレーシニキに戻って来たマリヤ・シャートワは子供と共に死んでしまう。ニコライの思想上の弟子であった人神思想家アレクセイ・キリーロフはピストル自殺、革命思想家から国民神信仰者へと転向したとシャートフはピョートル・ヴェルホヴェーンスキーによって殺害されてしまう。その他、『悪霊』の中で死んだ者をあげれば、マリヤの兄レビャートキン、ニコライを愛していたリーザなどがいる。まさにニコライ・スタヴローギンに関係した人物の大半は不幸の淵へと突き落とされている。
 富岡兼吾とニコライ・スタヴローギンの設定上の決定的な違いは富岡は生き続け、ニコライは首を括って死んでしまったことである。ただしニコライの〈自殺〉はピョートル一派による他殺の疑いがきわめて強い。が、わたしがそのことを指摘するまで、ニコライ・スタヴローギンの〈自殺〉を疑った研究家や批評家はいなかった。小林秀雄埴谷雄高はもとより、林芙美子もまた『悪霊』の世界に深く踏み込んではいない。『悪霊』のスケールは巨きく、そこには神、ロシアの神、革命の問題が小説世界の隅々にまで浸透している。林芙美子は『浮雲』で神や革命を前面に出すことはなかった。ただし、富岡兼吾というろくでなしが、死ぬこともできずにおめおめと生き続ける和製スタヴローギンであることに間違いはない。
 ゆき子は続ける「あなたを責めるわけではありませんが、私はそう思うのです。なぜ、もう一度、昔の勇気を出してくださいませんの?」と。富岡の〈昔の勇気〉とは何だろう。そもそも富岡に〈勇気〉などあったのだろうか。妻の邦子がありながら安南人の女中ニウと関係したこと、妻とニウがいながらゆき子とも関係したこと、それを〈勇気〉というならまだ分かる。しかし、それ以外の〈勇気〉が思い浮かばないことも確かである。富岡が農林省を辞めて材木関係の商売に踏み切ったことは〈勇気〉というよりは無謀である。山林事務官でドストエフスキートルストイを読んでいる男が、目先の利益に目が眩んで材木商になるなど、余りにも浅薄な判断である。富岡が抱え込んでいる虚無と材木商はどうみてもつり合っていないし、そもそも富岡に〈勇気〉という言葉は不釣合なのである。もし、富岡に最もふさわしい〈勇気〉があるとすれば、それはゆき子ときっぱりと別れる勇気だけである。この勇気がなかったことによって、富岡は次々に不幸を招き寄せたとも言えるのである。