清水正の「ドストエフスキー論」自筆年譜(連載3)

江古田文学」82号(特集 ドストエフスキーin21世紀)に掲載した「ドストエフスキー論」自筆年譜を連載する。

清水正の「ドストエフスキー論」自筆年譜(連載3)

一九七一年(昭和46年)22歳

○「〈断想・2〉肖像画に見るドストエフスキ──ー並びに批評の問題──」 :「陀思妥夫斯基」No.3(1月15日 日本ドストエフスキー協会資料センター)
○「肖像画に見るドストエフスキーニーチェ :「ニーチェ・ノート」(3月30日 日本大学芸術学部文芸学科)
○「〈断想・3〉三角関係に見るドストエフスキ──ー〈一〉『虐げられた人々』における三角関係」 :「陀思妥夫斯基」No.10(8月30日 日本ドストエフスキー協会資料センター)
◎『停止した分裂者の覚書』(9月15日 豊島書房)四六判・上製二八二頁 定価一〇〇〇円
 ※『ドストエフスキー体験』の増補改訂版。『未成年』論と「不条理の世界──カミュドストエフスキーか──」を増補。

 【近藤氏は『ドストエフスキー体験』を赤羽の豊島書房主岡田富朗氏に紹介、増補改訂版の刊行を企閲してくれた。豊島書房は古書店を経営していたが出版も手掛けていた。白川正芳氏の埴谷雄高論や近代文学派関係の本を刊行していた。(略)最初のタイトルは『トストエフスキー 体験──停止した分裂者の党書──』であった。しかしこのタイトルは、椎名麟三に『私のドストエフスキー 体験』(一九六七年五月十日教文館)があるということで変更を余儀なくされた。そこでタイトルとサブタイトルを入れ換えて現行のものとした。
 近藤承神子氏と一一緒に小沼文彦氏が主宰する「日本ドストエフスキー協会資料センター」を渋谷に訪れたのはドストエーフスキイの会総会の後まもなくしてのことであった。小沼氏は豊島書房から『ドストエフスキー体験』の増補改訂版が出ることを知って、「本は大きな出版社からだした方がいい」と言って、岩波書店からチェーホフの翻訳を出していた湯浅芳子氏の話などをされた。確かにそうだろうとは思ったが、小沼氏のアドバイスよりは、出版の斡旋をしてくれた近藤氏の友情の方がはるかに嬉しかった。】(「自著をたどって」より)

一九七二年(昭和47年)23歳  ●浅間山荘事件(2月19日〜28日)
○「ドストエフスキー体験記述Ⅰ ドストエフスキ──ーそのディオニュソス的世界」: 「ピエロタ」17号(12月1日 母岩社)

一九七三年(昭和48年)24歳
○「ドストエフスキー体験記述Ⅱ 『貧しき人々』の多視点的考察(1)」
: 「ピエロタ」18号(2月1日 母岩社)
○「ドストエフスキー体験記述Ⅲ 『貧しき人々』の多視点的考察(2)」 :「ピエロタ」19号(4月1日 母岩社)
○「ドストエフスキー体験記述Ⅰ 意識空間内分裂者による『分身』解釈(1)」 :「るうじん」創刊号(4月1日)
○「回想のラスコーリニコフ :「あぽりあ」15号(4月10日 「あぽりあ」編集室)
○「ドストエフスキー体験記述Ⅱ 意識空間内分裂者による『分身』解釈(2)」 :「るうじん」2号(5月1日)
○「ドストエフスキー体験記述Ⅲ  意識空間内分裂者による『分身』解釈(3)」 :「るうじん」3号(6月1日)
○「ドストエフスキー体験記述Ⅳ 意識空間内分裂者による『分身』解釈(4)」 :「るうじん」4号(7月1日)

一九七四年(昭和49年)25歳
◎『ドストエフスキー体験記述──狂気と正気の狭間で──』(5月1日 私家版) A5判・並製二一一頁 定価一二〇〇円
 ※「肖像画に見るドストエフスキーニーチェ」「回想のラスコーリニコフ──自称ポルフィーリイの深夜の独白」「ドストエフスキー──そのディオニュソスヒサ的世界」「『貧しき人々』の多視点的考察」「意識空間内分裂者による『分身』解釈」所収。
 【一九七〇年末から一九七三年末までの約三年間、私は相変らずドストエフスキーを読み続け、書き続けた。喫茶店の薄暗い片隅でコーヒーをすすり煙草をのみながら、あるいは皆の寝静まった深夜に私はひとりドストエフスキーの宇宙に旅立った。その孤独で悩ましい体験のみが、私の生活であり、現実であったかのように──。/ドストエフスキーの作品群は、私にとって偉大な現代文学であり現代心理学であり現代哲学であり、人間存在の深淵に照明を与えてくれる唯一のものとして存在し続けた。ドストエフスキーの世界を解明する作業が、現代に生きる私自身の存在のあり方を解明する作業である限り、私は一生彼の宇宙を彷徨い続けなければならないのであろう。】(「あとがき」より)
【二十五歳になったら本を出したいと思っていたので原稿の準備だけはしていた。大学三年時のゼミ雑誌「ニーチェ・ノート」(一九七一年三月三十日 日本大学芸術学部文芸学科)に発表した「肖像画に見るドストエフスキ!とニーチェ」、三年から書きはじめた「貧しき人々」論、四年から書きはじめ卒業後一年たってようやく書き上げた「分身」論などを収録して『ドストエフスキー体験記述』は刊行する運びとなった。この本は最初の本と同じく高知の土電印刷所に頼んだ。当時は石油ショックで紙代が高騰し、印刷代が予想の三倍を超えた。完全な自費出版で百万近くの金がかかった。細君が貯金の全額を降ろして協力してくれた。金銭的にも精神的にも感慨深い三冊目の本である。
「分身」解釈を書いている頃、精神状態は最悪であった。主人公ゴリャー トキン氏の狂気が感染しそうな感じすら覚えた。江古田につくといつも烏が鳴いていた。その鳴き声が耳について離れなかった。百三十枚ほど書いて行き詰まった。書くべきことはある。が、それがなかなか表現になってくれない。苛立ちの中でハイデッガーの『有と時』(辻村公一訳)を読み、ビンスワンガーの『精神分裂病』、R - D ・レインの『引き裂かれた自己』など多くの精神病理学の本を読んだ。それもこれもゴリャートキン氏の狂気に照明を与えるためである。半年の間、一文字も書くことができなかった。ある日、日暮里から乗った電車の中でノートを聞き、とにかく我孫子駅までぺンを走らせた。それで突破できた。「意識空間内分裂者による「分身」解釈」は三百枚を超える批評となった。】(「自著をたどって」より)




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