「世界文学の中のドラえもん」を読んで・柏倉 遥

 平成二十四年度 雑誌研究 夏期課題 
「世界文学の中のドラえもん」を読んで

柏倉 遥
 私はあまり批評というものを読まない。ネット通販における口コミぐらいしか他人の批評を読んだことがない。しかし漫画の批評、それもドラえもんという世界的に有名な漫画を世界文学と比較するという点にとても興味をそそられた。
 実際にお会いしたことのある方の書いている本を読むのは面白い。生身の本人を体感したことがあり、さらに講義を何回も受けているとなると、「先生、あの時こう言ってたな」とか、「あれはそんな意味だったんだ」と新しい発見をすることができるからだ。たまに伺える言葉の言い回しや誤字に、私は清水先生らしさを感じた。
 さて、「世界文学の中のドラえもん」の感想だが、世界文学というものだから、もっとたくさんの書籍が登場することを覚悟していた。だが届いてみるとそこまで厚い本ではない。あまりたくさんの本は出てこなさそうだ。題名が世界文学の中のドラえもんであるから、世界の文学界においてドラえもんはどのような位に立っているのか、などということが書かれていると踏んでいたため、読んでいて私は少しの脱力感をおぼえた。期待はずれといえばそうだが、結果的に全く予想していな方面から面白いと思うことができた。
 雑誌研究の講義において、のび太という名前だけで「のびている」、つまり死んでいるという話になった時、講義というものが伝えうる限界があったのかもしれないが、私は何故そうなるのか、後の話を聞いてもわからなかった。こうして文章にされているものを落ち着いて読んでみて初めて、意味を理解した。
 ドラえもんという作品は、日本人で知らない人はいないというくらい有名であるから、知りたいわけでもないのに、様々な「説」が耳に飛び込んでくる。のび太脳死説や、同人活動をしている無名の人間が描いた、のび太が大人になってからの話などが有名どころである。私が驚いたのは、清水先生が本書でよく書かれている「空虚」というキーワードが、どの説や作品にもあてはまるような気がしたという点だった。
 のび太の子供っぽいわがままに小言を言いつつ、何でも叶えてくれるドラえもん。彼が登場したことで出来上がったユートピアは、脳死説ではそのまま空虚だし、成長したのび太にとってはおぼろげだがとても楽しかった記憶のみとして作中に登場する。これを聞いた者は、ユートピアが失われた悲しみと共に、「当然だ」という気持ちに駆られる。ユートピアはいつまでも手に届かないところにある理想であるからだ。つまり空虚なのである。
 しかしドラえもんという作品の中に、ドラえもんとの生活が全て夢でした、というオチはもちろんない。消滅することが予想できるユートピアユートピアではないからだ。清水先生は、しかしながら、のび太のいる時空が空虚であると、第一巻の第一コマから見抜いた。私は批評家というのはよくわからない自論を押し付けてくる人間だと思っていたが、この点に感嘆した。
 次に、「死と復活」についてである。人間には予知能力が少なからず備わっていると私は思っている。例えば、母が火曜日に作る料理はいつもカレーだから、今日はカレーだろうといったような、何回もあった事例に基づいた簡単な予測もそうである。人間は生きていくにつれ、自分の性格、生活や環境から未来をある程度予知しているのだ。それが無意識の範疇であっても。私は、のび太が自分のだめ人間ぶりに、明るい未来はないと無意識に予知していたのではないのだろうかと思う。それは避けられない運命であることも同時に悟ったのではないだろうか。そして、一年の始めという世間的には喜ばしい日が、のび太にとっては暗い未来への一歩だった。
 清水先生の言われる、のび太の自分自身の決定された運命を変えたいという野望は、この予知と悟りがあって初めて成り立つものではないだろうか。のび太は死に、野望が具現化してドラえもんという分身を生み出す。こののび太の死因について先生は言及されておられなかったが、私は間違いなく自殺であると思う。そこで私は、一番自殺を連想させる「首つり」というワードに注目した。この言葉は、暗にのび太の死因を呈していたのではないだろうか。窓や戸が閉めきられ、密閉された空間で両親にばれずに死のうとするならば、のび太のような子供の頭に一番思いつきやすい死に方のはやはり首つりなのである。
 ドラえもんの世界をこのような形で考察していくと、必然的に重く暗い気持ちになる。誰しものび太のように、自分にコンプレックスを持っていて、決められた運命を変えたい、もしくは変えてくれる存在を欲している。しかし実際は、オイディプス王のように、運命から逃れようともがくだけに終わるのだろう。ドラえもんという作品は、読者にユートピアという夢を感じさせてくれるだけではない。夢は夢なのだと、全体を通して教えてくれていると私は思う。現に、のび太ドラえもんの道具によって夢を見た後、痛い目にあう(目を覚ます)のだから。




清水正ドストエフスキー論全集』第六巻刊行
A五判608頁 定価3675円(3500円+税金)



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