『世界文学の中のドラえもん』を読んで・岩間理々子

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「雑誌研究」平成24年度夏期課題
『世界文学の中のドラえもん』を読んで
岩間理々子
 「ドラえもん」は幼少のころから慣れ親しんでいる漫画、アニメであり、私は二十歳をこえた今現在でも大好きな作品の一つである。私は「ドラえもん」に関してはもはや子供向けのアニメであるとは考えていない。例え大人であってもアニメを見ていて素直に楽しみ、感動したら涙を流せる、そんなピュアな作品である、と考えていた。
 しかし、先生の講義を拝聴し、「世界文学の中のドラえもん」を読んでいく中で今までの私の中にあった「ドラえもん」という概念がことごとく崩壊され、全く新しいものとして見えるようになった。先生の斬新で強烈な解釈に衝撃を受けた。

 本書の中で私が一番気になったところは「のび太の死と復活」という点である。優等生な外見とは全く異なり、勉強もスポーツもダメで、特技も何も無い。すぐに楽な方向に流されようとするのび太は誰もが認める典型的なダメ人間である。それは漫画と現実の垣根を越え、とくに学校などにも行かず家でダラダラと堕落した生活を送る人を「のび太」と形容されることもしばしばある。そんな何をやってもダメなのび太が、死んでいて、さらに復活しても尚、まだ過去ののび太のままである。普通、人間は失敗したら反省し、学び、それを糧とし更なる発展へと繋げていける生き物だからである。しかし、のび太にはそれがない。まごうことなきのび太のままである。それでは、死から復活へと経てのび太は何が変わったのか。−それは「ドラえもん」という存在、もはやツールを手に入れたという事である。
 先生は本書の中で、「ドラえもんは”神”をも超えた”神”である」と記している。ドラえもんは不可能とされることをあの小さなポケットから道具を出すだけでたちどころに可能にしてしまう。空だって簡単に飛ぶし、世界の大きさだって自由自在に操ることができる。息つくわけでもなく、いとも簡単に、しかも無償で不可能を可能にしてしまう。あのポケット一つで何もかもを可能にしてしまうドラえもんは向かうところ敵なしで、確かに”神”のような存在である。では、その”神”をもう一つ超えた”神”とは一体何なのだろうか。
 本書を読んで私なりにも思考をめぐらせ、ドラえもんについて深く、自由に考えてみた。私が一番気になる所は、先にも挙げたが、のび太の死と復活についてである。人が死ぬには必ず理由がある。そして生き返るにはもっと理由がある筈だ。のび太は何故、何のために生き返ったのか。外見も内面も何一つ変わらず、だめだめのままであったのび太が生き返った理由とは何か。私が考えるにのび太は復活しても勉強もスポーツも芸術の才能も開花せず、何の特技も与えられなかった。その欠落してしまった穴埋めとして「ドラえもん」というスーパーバイザーが与えられたのではないだろうか。
 今まで出来ないと諦めていた事がドラえもんの存在によりたちどころに解決する。いじめられっぱなしだったジャイアンとスネ夫に対しギャフント言わせ報復することが出来る。但し、ドラえもんのお蔭で。嫌いな勉強、憂鬱な宿題の存在もすらすらと解く事が出来る。但し、ドラえもんのお蔭で。このように、努力をしなくても何もかも希望通りになる現実にのび太は蜜の味を感じ、ドラえもんに頼り切りになっていく。何か嫌なことがあったらドラえもんに泣きつく。そうすればドラえもんが解決し、無敵の存在になれる。そうして小学生にして努力することを放棄し、ドラえもんにただ縋り付くしかない、という負のスパイラルが完成するのである。私は本書を読むと同時に自分自身の考えから、実はのび太自身が死から復活を経て”神”という存在になったのではないだろうかと考えた。今まで負けっぱなしの人生が復活を経て180度変わることが出来た。ドラえもんという唯一無二の武器を手に入れ、「無敵の存在」になる事が出来た。この無敵の存在というのは、即ち”神”と同義なのではないだろうか。しかし、これはあくまで「ドラえもん」の存在が必要不可欠である。のび太を超えるドラえもん。つまりそれは”神”をも超える”神”と言い換えることが出来るのではないだろうか。

 本書のドラえもんの斬新な解釈に正直私は最初動揺を隠しえなかった。まさかドラえもんの世界の中から”死”なんていう絶望的ワードが出てくるなんて。それこそ、昔のアニメのオープニングのようにホンワカパッパで何もかも片づけてしまう平和なアニメではなかったのか、と。しかし、読み進めていくうちにどんどん先生の解釈の世界観に深く入り込んでいってしまった。汚れのない国民的アニメにもこんなにも違う見解があり、様々な角度から考察し、何気ない描写でも徹底的に追及していくところがとても面白かった。先生の解釈されるドラえもんもそれはそれでありかもしれないと肯定して考えるようになった。
 しかし、私はやはりほんわかとした「ドラえもん」も変わらずに大好きである。今回先生の講義と本書に触れたことをきっかけに、大好きなドラえもんを見ていく中で私の中にある固定観念化したイメージだけで見るのではなく、新たな角度からもぜひドラえもんに触れていきたいと感じた。


京都造形芸術大学での特別講座が紹介されていますので、是非ご覧ください。
『ドラえもん』の凄さがわかります。
http://www.youtube.com/watch?v=1GaA-9vEkPg&feature=plcp
 『世界文学の中のドラえもん』 (D文学研究会)

全国の大型書店に並んでいます。
池袋のジュンク堂書店地下一階マンガコーナーには平積みされていますので是非ごらんになってください。この店だけですでに?十冊以上売れています。まさかベストセラーになることはないと思いますが、この売れ行きはひとえにマンガコーナーの担当者飯沢耕さんのおかげです。ドラえもんコーナーの目立つ所に平積みされているので、購買欲をそそるのでしょう。
我孫子は北口のエスパ内三階の書店「ブックエース」のサブカルチャーコーナーに置いてあります。
江古田校舎購買部にも置いてあります。