清水ドストエフスキーの「クリティカル・ポイント」

清水ドストエフスキーの「クリティカル・ポイント」
― 『世界文学の中のドラえもん』について―


  福井勝也


今夏(7/26)江古田校舎で開催された清水正教授の講演を拝聴する機会を得た。そのうえ、講義のテキストとも言える著書までご恵存頂いた。今回折角の機縁と感じ、稀代のドストエフスキー批評家清水正氏に関する拙論を寄稿することになった。
清水先生とのご縁は、僕自身のドストエフスキー体験の発端に位置している。今回空調の効いた教室で講義を聴きながら、記憶は、最初の講演での出会い(ドストエーフスキイの会、1978.1)に戻っていた。36年以上前の清水氏の風貌(当時氏の髪は肩までのびていた)こそ今とは明らかに異なるが、今回教授の弁舌を耳にしつつ、経過したはずの時間が雲散霧消する不思議を感じた。それはおそらく清水氏の語りが、氏の背負われた運命に正直に促された肉声として響いて来たからであろう。その一貫した肉声が、生涯のドストエフスキー批評になって、今日に結実してきていることは周知のことである。これを現在どう受け止めるべきか、その一端をここに述べたい。
内田魯庵が明治の初めに英文の翻訳から本邦に紹介して以来、その影響は近代日本文学のみならず、日本近代そのものを直撃し、そしてポストモダンと言われるようになった21世紀の現代にまで及んでいる。当方のドストエフスキーへの興味も、その文学(作家)本体から、それを受容してきた日本近代(文学)に、そしてそれを担った個々の日本人自身のそれへと深化拡張してきた。現在もお世話になっている下原夫妻発行の「読書会通信」の当方連載が「ドストエフスキー体験をめぐる群像」と銘打っているのもそんな経緯からだ。
そして実はこの標題が、清水氏の処女作の『ドストエフスキー体験』(1970)という書名の意識的影響から来ていることをまず断っておきたい。確か同時期に、作家椎名鱗三もほぼ同書名の著書『私のドストエフスキー体験』を発行しているが、清水氏のそれは、その中身が文字通りの作品論であって、椎名の内容とは時代を画したものと考えている。言えば、清水氏の著書は戦前からドストエフスキー文学の私小説的受容とは異なり、現代のドストエフスキー論の端緒ともなった批評と言える。と同時に、清水正氏の個性が強烈に刻印されたものでもあったことを注視すべきである。ここからすべてが始まっている。
当方上記連載文で、江川卓氏の「謎解きシリーズ」に触れながら、その影響を受けた弟子筋?の方々に言及させて頂いたことがある(2008.5)。芦川進一氏と亀山郁夫氏と清水正氏、ほぼ同年代ドストエフスキー研究者のお三方であった。勿論、三人の立脚点とその個性の相違は一緒に論じられることを拒否しておられる。つまり以下は当方の勝手な思いによるものだが、まず芦川氏の厳密な聖書学に基づく求道的なドストエフスキー探求に対して、亀山、清水両氏のそれは、芦川氏のものとは明らかに異なる個性の貪欲な発露が見て取れるものと言える。
今夏の清水氏の講義を聴いて、改めてその思いを強くした。それはほぼ同時期、研究・翻訳の傍ら小説にまで手を染められた亀山郁夫氏の「新カラマーゾフの兄弟」を読んだことにも重なる。そして勿論、清水氏の今回講義の種本の『世界文学の中のドラえもん』(2012)も読んでの感想にもなるが、そこにドストエフスキーを介在させたお二人の文学的欲求の到達点を見る思いがした。当然両著はそのジャンルも違い、元来比較の対象にはならない。しかし、既に「新カラマーゾフの兄弟」の感想として書いたことだが、ここでの亀山氏の文学的欲求とは、自分自身をドストエフスキーの(文学)世界に憑依をさせてゆく強烈な想像力のことである。この点では清水氏にも同様なことが言えると感じた。
そうでなければ、何故「ドラえもん」がドストエフスキー文学と同次元で論じられよう。僕は『世界文学の中のドラえもん』を読みながら、その簡潔な比較思想的、比較文学的表現に清水氏の柔軟かつ強力な想像力(=創造力)を感覚し、清水ドストエフスキーの到達したエッセンスを見る思いがした。「想像・創造批評」なるものが清水氏のドストエフスキー研究の根幹にあるわけだが、それ自体、物語世界(神話的レベルを含む)への自由な思惟の飛躍があってこそ実現可能なことだろう。不自由な専門研究者とは異質な清水氏独自の批評スタイルがここにある。極言すれば、今回僕は、清水氏の『世界文学の中のドラえもん』を「小説」として読み、その講義を「物語」を聞くように聴いたと言ってもよい。
そもそも清水正論を亀山氏のそれと重ねて論ずる意図もなかったが、そのような経緯を辿っている本文に異論もあろう。しかしもう少し続けたい。やや旧聞になるが、お二人、正確には作家の三田誠広氏を含めた『悪霊』をめぐっての鼎談が「週刊読書人」で行われたことがある(2012.12)。この際の清水、亀山両氏の遣り取りが印象的だった。けっこう興味深い対話があり、亀山氏が拘る「父殺し」に対して、清水氏が拘るのが「太母」(グレートマザー)で、結果対照的な「母殺し」が問題化する。その<根幹>の違いから、ドストエフスキー(とりあえず『悪霊』)へのお二人の読みも当然に違って来る。ここで清水氏は亀山氏の「父親との問題」に食い下がり、「黙過」という亀山ドストエフスキーのキイワードを突いて「それは亀山さんの中にある罪の感覚だと思うんです」と詰め寄ってもいる。亀山氏は「そうですね」と軽く?受け流し、清水氏は自説のピョートル殺害説に話をもってゆく。僕にとって何より興味を引いたのは、亀山氏に詰め寄る清水氏の姿勢から逆に顕わになる氏自身が抱える問題の強度にある。それは氏の発言の幾つかに読み取れるもので以下に引用してみる。

僕は最初に刊行したのが『ドストエフスキー体験』なので、自分から離して考えることが出来ないんですね。―中略― ニコライ・スタヴローギンの虚無を日本人の視点から描いたのは林芙美子です。『浮雲』の富岡兼吾という主人公がそうです。富岡は嘘つきで、ろくでもない卑劣漢ですが、彼が抱え込んでいる虚無はすごいんですよ。『浮雲』には、西洋の神というものを度外視せずに取り込みながら、林芙美子が求めた神があります。

この後の亀山氏の反応も独自なもので、氏が反キリストと言明するスタヴローギンになぜドストエフスキーは「わざわざ、美貌、腕力、知力の三つの力を与えたのか。林芙美子が与えたイメージとは全く違うわけですね」と反駁し、ここではっきりと二人はすれ違っている。両者の抱える<根幹>の違いが顕現したわけだが、僕には、その話題が『悪霊』ではなく、『白痴』のムイシュキンであったらどうかと思った。
変な余談はともかく、対談で当方が清水氏の真骨頂が露出したと感じたところをもう少し、その前後の微妙な文脈も注意しながら引用してみる。問題は、亀山氏の黙示録からの『悪霊』への引用文の「なまぬるきもの」は清水氏の拘るピョートルということになりますか、という質問を受けての箇所だ。実はここには、ムイシュキンにも言及したキリストの二面性について論じた三田氏の発言が絡んでもいる。ともかく、清水氏は亀山氏に応えて次のように語る。

 それはなりませんね。三田さんにもここが課題になると思うんだけれど、つまり日本 の神は、熱いか冷たいかの神じゃないでしょう。日本は火山列島で、熱湯が噴出しているところに水を入れて適温にして「いい湯だな」となる。僕はここにこそ日本人が代々受け継いできた信仰、などという言葉を使わない神の意識があると思うんですよ。(清水)
 そう、そこが根本的にキリスト教とは違うんですよね。ではドストエフスキーは、なぜ、『悪霊』であんな真っ暗闇を描き出したのだと思いますか。(亀山)
 暗闇を徹底することでしか光は現れないんです。三田さんがドストエフスキーと違う設定で一条の光を与えるとき、その一条の光を辿って行くとどこに通じるんですか、-中略- シャートフは、ニコライに向かってロシアの神は断言できても、それじゃ神は?と訊かれるとあいまいな返事しか返せない。彼はなまぬるいものを吐き出す神を信じ切れていない。-中略- ドストエフスキーの文学の中には偉大な母性がないんですよ。(清水)

 さてやや遠回りをしながら述べてきた、今回講義のテキスト『世界文学の中のドラえもん』の感想を述べて本論を収束したい。清水氏が本著の補遺まとめとも読める「ドラえもん余話」のなかで、次のように述べている。ややアトランダムに繋げて引用してみる。

  ドストエフスキーの文学の特殊性としてあげられる<同情=サストラダーニィエ>と<淫蕩=スラドストラースティエ>のうち、『ドラえもん』の世界で展開されるのは<同情>と極端化を回避した<欲望>の発揮である(p.135)。
人間の欲望はあらゆる面に向けられる。性的欲望から世界征服・世界滅亡願望に至るまで、人間に絶大な権力と能力を与えるとまずろくなことはない。まさに、このろくでもないことを『ドラえもん』の作者はしでかした。しかし、なぜ多くの読者がこのとんでもない設定をだまって許容するのかと言えば、それは先に指摘した通り、作者がのび太と<ドラえもん>の欲望を制御してほどほどのところで話を展開しているからである。−中略−『ドラえもん』には世間の非難批判を受けても描ききってしまおうというアナーキイな意志や冒険心を感じることはない。『ドラえもん』には中断を余儀なくされるような毒は予め中和されている。−中略−
要するに『ドラえもん』はのび太と<ドラえもん>を中心に据えて、人間とは何かを問い続けるような実存マンガではなく、アイデアさえ続けば永遠に幕を閉じることのないエンターテインメントなのである(p.149-150)。

 清水氏は、最後に『ドラえもん』をエンターテインメントだと言い切っているが、この言葉は本著の結論のように聞こえて実はそうではないだろう。ここで問題にされてきたことは、単純にドストエフスキーの文学世界と『ドラえもん』のそれとの違いを指摘することではなかったはずだ。そんなことなら、だれも承知していてあえて主題化するに及ばない。今回、前述の亀山・三田氏との鼎談を振り返ったのも、そこに共通する清水氏のドストエフスキー文学に注ぐ独自な視線を感じたからである。そこには日本人の信仰心からドストエフスキーのキリストを見つめ直そうとする直感が鋭く働いている。言い方を変えれば、ドストエフスキー文学の中には偉大な母性がないと氏は述べたが、それでも清水氏はあえてその内実をドストエフスキーの中に探そうとしているのではないかと思えるのだ。そう考えると、清水氏が日本人の精神のあり方が集約されたような、日本人の国民的文学ならぬ国民的マンガである『ドラえもん』をあえてドストエフスキー文学と比較対照させた意味が解ったような気がするのだ。
 ここで清水氏にそれは違うと言われそうだが、最後に今回本文の標題とした清水ドストエフスキーの「クリティカル・ポイント」という文言について触れて終わりにしたい。当方このところ上述の連載等で主に小林秀雄の批評の問題を取り上げている。小林の遺作の『本居宣長』(1977)とその執筆直前まで苦闘していたドストエフスキー論(具体的には「白痴」論)との関連性、その連続性について論じようとするものである。実は、この連続性を切断して、小林の最後の「白痴」論を評価しつつ、それ以後の『本居宣長』を切り捨てて論じたのが批評家の山城むつみ氏であった。そのことを書いたのが氏の処女批評の「小林秀雄のクリティカル・ポイント」(1992)であった。僕は、その批評に触発されて来たが、今夏氏の最新作(『小林秀雄とその戦争の時』)から、あえて処女批評まで遡ってその批判を試みるに至っている。そんな折り、清水氏の本著に触れて、実は清水氏は山城氏とは反対で、やはり小林の『本居宣長』の世界に連続しているものがあると感じた。そこでのキイワードは、清水氏の言葉を借りれば、『ドラえもん』の世界でも展開されるドストエフスキーの<同情>である。『白痴』の最後、オバケとなって(「復活」でなく)現れるナスターシャの姿を感じて「もののあはれを知る」ムイシュキンの物語での顛末。この「白痴」論から『本居宣長』に転ずる小林の「クリティカル・ポイント」は、ドストエフスキーを語るうえで『ドラえもん』の世界に着目した清水氏の視線と重なっていないか。 (2014.10.11)   
福井勝也(ふくいかつや)
1954年 東京都生まれ
1978年 「ドストエーフスキイの会」入会(現会員、運営編集委員
現在、自営業の傍ら、文芸批評執筆(文芸評論家)
「全作品を読む会」(世話人)、発行の <読書会通信>に
    評論「「ドストエフスキー体験」をめぐる群像」を連載執筆、
    近時、小林秀雄論を掲載中(通算55回、web公開)。
    「ベルクソン講義」(講師前田英樹)にも参加
    「読書会著莪」(会員、日本近代文学・講師小森陽一
著書等 『ドストエフスキーとポストモダン』(2001)
     『近代日本文学の<終焉>とドストエフスキー』(2008)
     「日本のドストエフスキー」『現代思想』特集(2010.4)ほか