清水正の『浮雲』放浪記(連載200)

清水正の講義・対談・鼎談・講演がユーチューブ【清水正チャンネル】https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%B8%85%E6%B0%B4%E6%AD%A3%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%AD%E3%82%8Bで見れます。是非ご覧ください。
清水正ドストエフスキー論全集』第八巻が刊行されました。

 批評としての「スクラップ・アンド・ビルド」

此経啓助

 第一五三回芥川賞の受賞作が羽田圭介氏の『スクラップ・アンド・ビルド』に決まった。タイトルのことばは近年、ビジネス用語などでよく使われているので、私は「文学作品のタイトルとしてはちょっとユニークだな」と感想を抱いた。と同時に、「待てよ、どこかで聞き覚えがあるぞ」と思い出したのが、清水正教授の『清水正ドストエフスキー論全集』だ。八冊目になるこの全集は、ドストエフスキー作品の清水教授による「解体と再構築」、いわば「スクラップ・アンド・ビルド」半世紀の集大成である。
 ビジネス用語の「スクラップ・アンド・ビルド」(以降、S&Bと省略)は、一般に老朽化で非効率的になった工場設備や行政などの組織を廃棄あるいは廃止して、新しいものに変えることで、生産設備や行政機構などの集中化、効率化を実現することをいうようだ。受賞作は「早う死にたか」と毎日ぼやくスクラップ化した祖父と転職目指してビルド中の孫との関係を通して、いわば人間版S&Bを暗喩的に描いて、家族の再生物語を誕生させた。一方、清水教授が半世紀にわたって挑戦してきたS&Bは、物語における遠回しな暗喩でなく、文学における本格的なS&Bである。教授は古く定番化したテキストの読み方を「解体」し、テキストを新しい思いがけない物語に「再構築」した。
 この清水式S&Bは、教授がよくいう「まずテキストをきちんと読む」ことからはじまる。というより、多くの読者がこの原則をしっかり守らないから、例えば、「『白痴』のムイシュキン公爵の前身が『罪と罰』のスヴィドリガイロフではないか」というような教授の指摘にとまどってしまうのだ。ま、こういう言い方のほうが教授にふさわしいが、いずれにしても、私は「テキスト・クリティック」という批評方法を「深層テキストの読みの問題」として精密・丹念に深めた文芸批評家を教授以外に知らない。
 一九六〇年代から七〇年代にかけて、文芸批評の方法に新しい流れが目立つようになってきた。いわゆる読書経験、人生体験、芸術鑑賞などの経験的な直感にたよった「印象批評」にかわって、文学作品の構造・形式などの解釈・分析に重点を置いた「テキスト・クリティック」が批評の中核になった。といって、そうした文芸批評が流行したというのでなく、「ニュー・クリティシズム(新批評)」とか「ロシア・フォルマリズム」といった包装紙につつまれて、欧米文学研究者によって少しずつ翻訳紹介された。その流れは現代まで続いており、いくつもの支流に分かれているようにも見えるが、いまもって「テキスト・クリティック」が本流である。
 しかし、私には、この新しい流れの批評の多くが文学作品の構造・形式などによって、単に「印象批評」の成果を重ねて裏付けているようにしか見えない。半世紀前、文芸批評家の進藤純孝先生(故人)が大学の研究室にいたころ、川端康成の文学の特徴を「母胎希求説」と批評したことがあった。それは『雪国』をテキストにして導き出したものだったが、先生は私に「こういう説はどの作品にもいえて、あまりおもしろくないね」といった。当時(現代も?)、文学関係者の間では、テキストをダシにして批評家自身の感想を巧みに綴る「印象批評」の人気が高かった。そのころ大学生だった清水教授は、「印象批評」の代表格だった小林秀雄を真剣に読んでいたが、「やがて小林の批評の文体が鼻につくようになった」(「ドストエフスキー放浪記」、『ドストエフスキー曼陀羅 5号』所収)という。そして、「さらば小林秀雄」になるのだが、教授はその理由について、小林がドストエフスキー研究をライフワークにしながら重要な初期・中期の作品を批評していないことを指摘して、こういう。
 「わたしはドストエフスキーの全作品を対象にしてドストエフスキー論を展開しようとしていたので、もはや小林秀雄の批評は過去のものとなっていたのである」
 小林がテキストを恣意的に選んで、凝った文体で「印象批評」するとすれば、教授は全テキストの「表層」を「解体」し、「深層テキスト」を「再構築」して批評する。確かに私たちはテキストの「表層」を読んで、定番化した読後感想を抱くことに満足してきた。しかし、清水式S&B批評が明かしてきたように、テキストの「深層」には思いがけない物語、人物、意味、謎、光景などが横たわっている。そのことを素直に理解しているのが教授の教え子たちだ。教授は雑誌『ドストエフスキー曼陀羅』を発行して、彼らが果たした肉体労働なみの読書のよろこび、新鮮な感想、人生の新発見などであふれたドストエフスキー論を毎年発表している。近年、学生たちが本を読まなくなったといわれるが、彼らは評価の決まってしまった教養書を決められたように読むことが嫌なので、好みの本には熱中する。新しい発見が約束されている読書ならば、彼らは嫌がらないだろう。そのことを教授が証明して見せた。
 清水式S&B批評の詳細は、この『清水正ドストエフスキー論全集』を読んで知ってもらいたいが、「テキスト・クリティック」がメタ文学理論に傾いている今日、教授のそれが文芸批評の世界に何をもたらしてきたかを考える必要があろう。やはり文芸批評の王道は作品自体を批評することだろう。しかし、「テキスト・クリティック」において考慮しなければならない問題は、「テキスト」とは何かということで、それがイコール作品自体にならないことだ。教授は先の文章で、「わたしは批評に対して貪欲なので、作品自体を批評することが、作家研究や読者論を排除することにはならない」と述べているが、私はそれこそが「テキスト」の定義だと思う。「作品自体」は物理的には不変だが、内容は読み方によって変わる。作品の背後に作者の人生や思想を読む人もいる。しかし、「作品自体を批評すること」のルールからはずれてはなるまい。教授はそのルールを守りながら、つまり「まずテキストをきちんと読むこと」を守りながら、清水式S&Bによって、作品の背後に作品(「深層テキスト」)を探り出した。
 いずれにしても、「作家研究や読者論を排除」しないで、しかも純粋に「作品自体を批評」できたことが、「さらば小林秀雄」になったのだろう。というより、私には、小林秀雄が独断と偏見に満ちているといわれようとも、「作品自体を批評すること」の意味を提示したとすれば、清水教授はその文学的な意味をさらに哲学的にも深めたように見える。(栞より)




新著紹介


小林秀雄の三角関係』2015年11月30日 Д文学研究会発行・私家版限定50部

清水正の『浮雲』放浪記(連載200)
平成A年9月18日

富岡は妻と愛人ニウがありながらゆき子と情事を繰り返す。敗戦後、日本に引揚げる際には、ニウには金(作者は金額を報告しない)を渡して別れ、ゆき子には日本での結婚を約束している。ゆき子が半年遅れで日本に引揚げて来たとき、富岡は知らんぷりを決め込む。自宅まで押し掛けてきたゆき子を拒みきれずに仕方なく関係を続ける。材木事業に失敗した富岡ははゆき子と心中しようと伊香保につくが、心中できなかったどころかバーの女おせいと関係を結んでしまう。富岡がおせいと関係したことで、ゆき子は嫉妬の地獄を味わい、向井清吉はおせい殺しの下手人となる。妻の邦子はさんざっぱら苦労した末に病死する。富岡の半生をざっと振り返っただけでも、彼はずいぶんと罪深い人間に思える。が、富岡は邦子に対しても、ニウに対しても、ゆき子に対しても、そしておせいに対しても、〈罪〉の意識に襲われることはなかった。少なくとも富岡の表層意識において〈罪〉と〈罰〉はいっさい問題にならなかった。富岡もゆき子も、人生なるようにしかならない、と思っている。なるようにしかならない人生を悔いても嘆いても仕方がないと思っている。ましてや、そのなるようにしかならない人生の出来事に対して〈罪〉だ〈罰〉だと見る視点は持ち合わせていない。つまり富岡は、自分の人生の地獄を生きるだけであって、そこからの脱出や魂の救いを求めたりはしない。だから、煩悩地獄をくぐり抜けて、新しい世界へと生まれ変わるという発想がない。比嘉医師が投げた〈緑のテープ〉は、富岡の手によって、陽射しを受けた白い海上を吹き渡る風に散らされてしまう。その光景は富岡の新生を象徴する光景と重なることはなかった。富岡を描く林芙美子はあくまでも冷酷な眼差しを崩さない。富岡兼吾に最も相応しくないのが〈新生〉である。