清水正の『浮雲』放浪記(連載201)

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清水正ドストエフスキー論全集』第八巻が刊行されました。

清水正といえばドストエフスキー
ドストエフスキーといえば清水正

坂下 将人

ドストエフスキー研究において、清水正の右に出る者はいない。
作品の本質を鋭く抉り出す清水正ドストエフスキー論は、国内において数少ない有益な研究業績の一つである。
文学研究が往々にして、作品の「文学性」に傾斜するあまり、「感想文」や「独善的な文学論」に終始するものが多い中、従来の研究者とは違った角度からテクストを考察し、作品を論証する清水正ドストエフスキー論は、他の研究業績とは明らかに一線を画している。
清水正ドストエフスキー論が斬新的で独創的な解釈に満ち溢れている理由の一つは、清水正が己の実存を賭してドストエフスキー研究を行っているためである。従って、国内におけるドストエフスキー研究の「第一人者」は清水正である
清水正ドストエフスキーという十九世紀を代表する世界的な文豪が書いた作品を前にして、一切怯むことなく、前後、左右、上下、遠近、内外からテクストに何度もブローを打ち続けることで、テクストに「揺さぶり」をかける。テクストは軋み、その振動は、水面に波紋が広がるように、作品全体へと波及していく。やがて清水正の放つブローは「コークスクリュー・ブロー」へと軌道を変えて威力を増し、その衝撃はテクストに亀裂を生じさせ、テクストの深奥部に埋め込まれた作品の「核」へと到達する。その結果、累積したダメージによって表層テクストは崩れ落ち、テクストの奥に隠在する著者の真意と作品の本質はその姿を明らかにする。
清水正はテクストを「解体」することで、ドストエフスキー文学の「神髄」を掴み出し、作品とテクストの裏に隠在する描かれざる場面と描写を「再構築」する。ドストエフスキーのテクストは重層的であり、「蟻の巣」のように構成されているため、ドストエフスキーの作品には作品内に無数の描かれざる場面と描写が存在する。
ドストエフスキーはそれらを解くための「手がかり」を作品の随所に散りばめることで、作品内における無数の描かれざる場面と描写の「構築」を読者の手に委ねているが、清水正のようにドストエフスキーに比肩する天才的な文学的才能を持つ人間でない限り、読者はドストエフスキーが作品とテクストに仕掛けた謎を解明することはできない。
ドストエフスキーの作品を読むにあたって、読者は作品内における無数の描かれざる場面と描写を「把握」し、また作品内に散在する無数の描かれざる場面と描写を解くための「手がかり」を「発見」することが求められる。なぜならば、発見した「手がかり」を無数の描かれざる場面と描写に「結合」させ、テクストの「構築」を行うことではじめてドストエフスキーの作品は「完成」するからである。読者が作者の「意図」に深く留意し、作品内における無数の描かれざる場面と描写の「把握」と「構築」を行わなければ、ドストエフスキーの作品は「未完成」のままの状態で読まれてしまうことになる。それでは作品を読んだことにはならない。従って、読者は主体的に作者の精神世界の「結晶」である作品世界へと参入し、その世界の中で作者、作品、テクスト、登場人物達と積極的に「格闘」することが求められる。作品内における無数の描かれざる場面と描写の「把握」と「構築」によって、すなわち、「テクストの解読」を通して、ドストエフスキーの作品は「完成」する。ドストエフスキーの作品を理解するためには「テクストの解読」は必要不可欠である。
 ドストエフスキーの文学作品は「ジグソーパズル」である。清水正はテクストを「解体」することによって形成されたピースと作品の随所に散りばめられたピースの両方を一つ一つ丁寧に集め、検証する。一つ一つのピースに鋭いメスが入れられ、様々な種類の照明があてられた結果、ピースの種類や形状は特定され、額縁の中へとはめ込まれていく。清水正は精査されたピースを「再構築」することで、ドストエフスキーによって作られた難解なパズルを完成させる。やがて清水正の手によって配列され、組み立てられたピースは「一枚の絵画」となり、「藝術作品」へと昇華する。従って、作品に内在する「美」を抽出した清水正の『ドストエフスキー論全集』はそのどれもが「藝術作品」である。「美」は読者の心の中に映る。
清水正の『ドストエフスキー論全集』はそのどれもがキャンバスに描かれ、フレームに収められた、「藝術作品」としての価値を持った「一枚の絵画」である。ピースの一つ一つが「美」の「結晶」である。一つ一つの「美」によって構成された「一枚の絵画」は、すなわち、清水正によって紡ぎ出され、そして積み重ねられた「謹製」の考察の数々は、やがて一つの形となり、『清水正ドストエフスキー論全集』という「筐体」に収められ、「藝術作品」として「結実」する。従って、清水正の『ドストエフスキー論全集』は、ドストエフスキー研究をライフワークとする清水正の「総決算」、「集大成」であると同時に、国内におけるドストエフスキー研究の「金字塔」でもある。清水正の『ドストエフスキー論全集』は、その一冊一冊が「珠玉」である。 (特に『ドストエフスキー論全集6』に収められている『悪霊』論は秀逸である)
清水正は「テキストの解体と再構築」という研究方法を用いることで、ドストエフスキーがキャンバスに描いた絵を炙り出し、「浮き彫り」にする。従って、ドストエフスキーが描いた作品を「再現」し、「完成」させる清水正の『ドストエフスキー論全集』は、「藝術作品」としての価値を持った「一枚の絵画」である。読者は清水正によって「浮き彫り」にされた「一枚の絵画」の中に存在する様々な絵を鑑賞することができる。
さらに清水正の『ドストエフスキー論全集』は、その一冊一冊が「ピース」となることで、また新たに「一枚の絵画」を形成する。清水正の『ドストエフスキー論全集』は輪郭がはっきりした絵画であり、油彩画のように「重層的」であると同時に「立体的」でもある。しかし、水彩画のように無と有の「あわい」から生じる「幻想的」な雰囲気をも内包し、「神秘的」な世界観に包まれている。それは清水正ドストエフスキーだけでなく、ドストエフスキーの背後に存在する「霊的な存在」と常に対峙し、ドストエフスキーを操る「霊的な存在」をも見据えて、考察の対象としているためである。
清水正の考察は「絵」が見える。読者は渦を巻くようにして形成された清水正の考察を通して、ドストエフスキーの作品世界の中へと吸い込まれていく。ドストエフスキーの作品と清水正の考察を貫く光の中には竜巻があり、さらにその竜巻の中に存在する「龍」が強烈なうなりをあげて、うねりながら螺旋状に天へと昇る絵が見える。「トルネード」のように回転しながらテクストを削り、穿ちながら作品世界を「旋回」する清水正の考察は、ドストエフスキーによって黒く塗られた作品世界に差し込んだ一筋の光である。テクストとテクストの隙間から差し込んだ一筋の光がドストエフスキーの作品世界を照らし出すことで、清水正の『ドストエフスキー論全集』もまた同時に照らし出される。
天と地の「間」に存在する一条の光。天と地を「接続」する一筋の光。ドストエフスキーの作品世界と清水正の『ドストエフスキー論全集』を貫き、「連結」する役割を果たす希望の光。それは、ドストエフスキーによって仕掛けられた謎が清水正によって解明された瞬間に生じ、作品の深奥部へと向けて照射された「光」であり、また清水正の解釈とドストエフスキーの真意とが「合致」し、清水正の心とドストエフスキーの心が時空をこえて「共振」し、通じ合い、結びついた「証」でもある。一条の光はドストエフスキーの作品世界と清水正の作品世界との間に架る「虹色の橋」である。そして一条の光は、清水正ドストエフスキー清水正ドストエフスキーの背後に取り憑く「霊的な存在」の三者によってなされた「ラリーの軌跡」でもある。
清水正ドストエフスキー、向かい合った二人の「眼差し」が重なることによって生じる一条の光。清水正の眼差しは「軌跡」となり、「光」となり、ドストエフスキードストエフスキーの背後に取り憑く「霊的な存在」を通過し、やがて「神」へと至る。よって清水正の考察は、ドストエフスキーの作品と同じく、「神」へと至る「プロセス」である。
 ドストエフスキー研究を主軸とする清水正の考察は、宮沢賢治林芙美子萩原朔太郎志賀直哉手塚治虫へと連鎖していき、作品とテクストが持つ解釈の無限の可能性を探求し、今日に至るまで「アート」し続けている。従って、清水正は文芸批評家である以上に「藝術家」である。
驚天動地の「発見」は、常に画一的な概念に「反発」し、常識を疑い、通説や定説を「否定」することによってうまれる。「輸入学問」に終始していては何も始まらない。輸入した学問に「付加価値」を付けて学問を「プロデュース」し、研究成果を「還元」する清水正の研究姿勢は、研究者としての「あるべき姿」であり、畏敬の念を抱かざるにはいられない。清水正ドストエフスキー研究の「第一人者」である理由も納得できる。清水正は、軽視されがちなドストエフスキーの初期作品にも精通しており、ドストエフスキー研究に対する守備範囲はきわめて広い。実際、清水正の考察と解釈を目の当たりにすると、清水正がまるでドストエフスキーのうまれ変わりではないか、ドストエフスキーその人自身ではないかと思わされるほどである。ドストエフスキーが時空をこえて清水正に乗り移り、清水正を通して、作品とテクストに仕掛けた謎を我々に開示しているかのようである。従って、ドストエフスキーの作品と同様に、清水正の『ドストエフスキー論全集』もまた、我々人類に与えられた「財産」である。
ドストエフスキー清水正を通して「復活」する。ドストエフスキーの魂を「救済」し、ドストエフスキーを「復活」させる清水正は、ドストエフスキーにとって「神」のような存在であると言っても過言ではない。ドストエフスキーに対する「救い」と「復活」は、清水正によってもたらされる。その結果、ドストエフスキーの作品における登場人物達にも「救い」はもたらされ、登場人物達の「復活」によってドストエフスキーの作品は「更生」し、「復活」、「救い」の文学へと変容する。(八巻・栞より)


新著紹介


小林秀雄の三角関係』2015年11月30日 Д文学研究会発行・私家版限定50部

清水正の『浮雲』放浪記(連載201)
平成A年9月20日


 ゆき子は、背中に響く、船の動揺を、こころよく感じていた。動いて走っている船まかせの気分は、仏印から戻って来る時の気持ちそっくりである。あの医者の、ものやわらかな動作や薬臭い体臭が、ゆき子には、妙に忘れがたいのだった。加野に似たおもざしでもあった。こんな、ちぐはぐな感情を持っている自分の心が、ゆき子には、自分でなっとくゆかなかったが、ゆき子は、屋久島の山の中で迎える比嘉との、危険な出逢いの空想を、いつまでも、牛の胃袋のむしかえしのように、愉しみに描いていたのだった。(393〈五十九〉)

 ドヴォルザークの『新世界』に耳を傾け、その世界と海上での富岡における〈新生〉を重ねようとした試みは失敗に終わる。富岡兼吾とニコライ・スタヴローギンをそのまま重ね合わせることができないように、『新世界』全編に鳴り響く神聖で荘厳な音調を富岡の内的宇宙に見いだすことはできない。富岡の心は、陽射しを受けた白い海上へ出てすら、その陽射しに神聖で荘厳なものを感じない。富岡の〈爽快な気持ち〉と『新世界』の神々しい新生へと開かれた境位とは重ならないのである。
 ロジオンとソーニャが「愛によって復活した」という、その復活劇にリアリティを感じない読者にとっては、看板上の富岡が〈新世界〉や〈新生〉ではなく、単なる〈爽快な気持ち〉にとどまっていることに重いリアリティを感じる。ゆき子が富岡を追ってきたことも、ソーニャがロジオンを追ってきたこととは全く性格を異にする。そもそもソーニャは〈自己犠牲〉という宗教的な聖性を帯びた人物で、娼婦でありながら肉体次元の出来事にはいっさい照明を与えられていない。こういう〈少女マンガ〉的人物がリアリズム小説の世界に登場してきていいものだろうか、と思うのだが、いずれにせよドストエフスキーはソーニャの聖性を微塵も損なうことなく描き切った。ゆき子は徹底的に女として描かれている。林芙美子はゆき子に、ソーニャが被る〈聖性〉のショールなど絶対に授けない。ゆき子はずるいし、卑劣だし、肉欲にも素直だし、嫉妬も憎悪も殺意も露わにするし、好きになった男の妻や愛人に妙な同情心など少しも抱かない。ゆき子は謂わば、自分の肉体と心の欲求に素直に従って生きている。ゆき子は、ソーニャが、もしかしたら、この神を信じないロジオンも、「ラザロの復活」を聞けば、死の床から蘇生するかも知れない、などと考えたようには、富岡の新生も復活も願っていない。そもそもゆき子には、新生も復活も関係ない。そんなことにはほとんど関心がない。ゆき子が富岡を追ってきたのは、確かにゆき子の意志には違いないが、この意志は何か確固たる目的意識に支えられているわけではない。現に、富岡が看板で爽快な気持ちを味わっている時、ゆき子が思っているのは富岡ではなく比嘉医師のことなのである。単に医者としての優しさを反芻しているのではなく、男としての比嘉医師、新たな男女関係に発展するかも知れないという、謂わば危険な男としての比嘉医師に思いを馳せている。生きている限りは息を吸ったり吐いたりするのと同じように、ゆき子は一人の男を追いながらも、不断にほかの男に対しても心と肉の扉が開いているのである。この意味では、ゆき子は富岡と対等である。照国丸という一つの船に乗って、二人して屋久島へ向かっているのに、彼らは〈ひとり ひとりで ひとり〉なのである。ここまでくれば、ひとりであることの孤独にもさわやかな風が吹くというものだ。広い海上の看板で、ほかほかと暖かい陽射しを受けて爽快な気持ちにひたっている富岡と、一等船室のベッドで、背中に響く船の動揺をこころよく感じているゆき子は、〈ひとり ひとりで ひとり〉の孤独を存分に味わっている。富岡とゆき子は、ひとりであることでしか、もうひとりのひとと結びつくことができない。今、〈ひとり〉のゆき子は、〈ひとり〉の富岡と同じ船に乗っている。が、彼らが一緒に乗れていたのは、屋久島に着くまでのわずか〈四日間〉であった。